第34話 工場設立
葉巻と煙草は完成した。
国王陛下と王妃陛下にも認められ、狙われる可能性があることも分かった。
なら、次に必要なのは量産である。
「工場やな」
リリアーナが言うと、ミレーヌは黒革手帖を開いた。
「はい。製造、保管、検品、出荷。すべて一か所で管理できる場所が必要です」
「せやな」
「場所は、貧民街の外れがよろしいかと」
「働き口も作れるしな」
「はい」
そうして、リリアーナたちは貧民街の外れへ向かった。
リリアーナは車椅子に座り、バルドがその横につく。ミレーヌは記録を抱え、刀を肩へ担いだ黒スーツ姿の清司が隣を歩いていた。
王宮から学園へ。
学園から工房へ。
工房から貧民街へ。
乙女ゲームの舞台は、どんどん違う方向へ進んでいる。
やがて荒れた土地の向こうに、大きな建物が見えてきた。
「……できとる」
リリアーナは、目の前の建物を見上げた。
できていた。
工場が。
中にはまだ新しい木の匂いが漂い、大きな作業台が並んでいる。窓は広く、風も通り、倉庫や検品用の部屋だけでなく、書類を保管する小部屋まで用意されていた。
「早っ」
リリアーナが言うと、鉄ちゃんは、にっと笑った。
「オヤジさんに頼まれやして」
「オヤジ、動き早すぎるやろ」
「急ぎやって聞きやしたんで」
「急ぎにも程があるわ」
「鉄ちゃん組、腕だけは早いんで」
「腕だけちゃうやろ。判断も早い」
鉄ちゃんは、少しだけ照れたように頭をかいた。
「ありがてぇこって」
刀を肩へ担いだ黒スーツ姿の清司は工場の中へ入り、作業台の間をゆっくりと歩いた。
広い。
無駄が少ない。
人が動きやすい。
ただ建てただけではなく、作業する者のことまで考えられている。
「ええ仕事や」
リリアーナが言うと、鉄ちゃんは嬉しそうに笑った。
「へへ」
「オヤジに礼言うとけ」
「もう言いやした」
「早いな」
「急ぎやったんで」
「それで全部通すな」
鉄ちゃんは、工場の奥を指した。
「それと、工場に向いてる奴らはこちらでさぁ」
そこには、百人近い者たちが並んでいた。
身なりは決して良くない。
けれど、目は死んでいなかった。
手が早そうな者。
黙々と作業を続けられそうな者。
細かい仕事が得意そうな者。
周囲を見ながら動けそうな者。
皆、働く力はあるのに、働き口を持てなかった者たちだった。
「多いな」
「量産するなら、これくらい要りやす。腕は確かでさぁ」
リリアーナは、並んだ者たちの目を一人ずつ見た。
腹を括った目。
飢えを知っている目。
手を抜く余裕などなかった者の目。
「あぁ。目ぇ見たら分かる」
鉄ちゃんは、少しだけ笑った。
「ありがてぇこって」
リリアーナは、並んだ者たちをまっすぐ見た。
「安心しろ。お前らは、もう飯に困らんでええ。その代わり、働け。お前らの力を、ここで存分に発揮してくれ」
工場の空気が止まった。
誰かが息を呑み、誰かが拳を握った。
下を向いた者も、すぐに顔を上げる。
「……働けるんですか」
列の中から、小さな声が上がった。
「働ける」
「毎日?」
「仕事がある限りな」
「飯、買えますか」
「働いた分は払う」
その言葉で、空気が変わった。
乙女ゲームの空気ではない。
生活の空気だった。
ミレーヌは黒革手帖へ静かに書き込んだ。
『貧民街工場。
雇用開始。
鉄ちゃん推薦者、多数採用。』
「次や。モビーズ」
リリアーナが呼ぶと、元モブたちが一斉に前へ出た。
作る者。
検品する者。
記録を見る者。
手順を教える者。
モビーズの半分は、今日から教える側へ回る。
「お前らは、自分でできるだけやったら足りん。人に教えろ。作業を分けろ。見本を見せろ。間違いを見つけろ」
「はい!」
「怒鳴るな。雑に扱うな。けど甘やかすな。ここは工場や。恋愛イベント会場ちゃう」
「はい!」
「返事ええな」
眼鏡の聖女が作業台の上へ工程表を広げた。
「葉の保管、乾燥、巻き、検品、箱詰め、記録。作業は分けます。新人には、まず箱詰めと検品補助から。細かい作業が得意な者は、巻きに回します」
「分け方うまいな」
「必要ですので」
「お前も必要で通すんか」
バルドは工場の出入口や作業台の間隔を確認してから、静かに鈴を鳴らした。
チリン。
「安全確認を行います」
「お前は工場でも鳴らすんか」
「必要です」
「坂東さん化が進んどるな」
「どなたですか」
「知らんでええ」
シュドケンは倉庫の扉を開閉し、鍵の位置を確かめていた。
「ここは二重にします。出入りする者も、必ず記録を残します」
「頼む」
ゲンコワは帳簿を手に取り、一枚ずつ確認する。
「不正があれば、すぐに分かるようにします」
「証拠ありでな。顔だけで詰めるなよ」
「承知しました。努力します」
「怖いな」
イレギュラーは、すでに窓の外や工場の周囲を見ていた。
「人が増えたから、噂も増えるよ」
「拾っとけ」
「もう拾い始めてる」
「早いな」
「裏は早いからね」
リキュウは商人仲間を連れて来ていた。
全員が、完成品だけでなく、数字や売り場まで見ている目だった。
リキュウは作業台へ書類を並べる。
「販売権、流通契約、税の整理、商人ギルドへの申請。順に進めます」
「特許は」
「申請します。製法と名称、箱の意匠も守りましょう」
「そのままパクられたら終わりやからな」
「はい。売れるものほど、真似されます」
「分かっとるやんけ」
「商いですので」
シャーホムズは権利書を手に取り、書類の束を確認した。
「権利書と特許申請書類は、厳重に管理します」
「シャーホムズ」
「はい」
「お前は事件を解決する力もある。盗み、数のズレ、作業場の喧嘩、書類の不備。小さい揉め事ほど、大きなる前に止めろ」
「承知しました。小さな真実ほど、早く見つけるべきです」
「ええこと言うやん」
「探偵ですので」
「ワトゾン」
「はい。原本、写し、提出用、保管用に分けます」
ワトゾンは書類を四つに分け、それぞれ違う色の紐で結んでいく。
「できる助手やな」
「ありがとうございます」
ミレーヌが、その手元を見て少しだけ目を細めた。
「少し私と役目が重なっていませんか」
「いや、お前とはちょっと違う」
「……あっ、確かに」
「納得早いな」
「私は相棒ですので」
「そこは譲らんのやな」
「はい」
「ネツゾウ」
「作業開始から保管まで、時系列表を作ります。捏造はしません」
「毎回言わんでええ」
「信頼回復中ですので」
「回復長いな」
工場は、あっという間に動き始めた。
葉を分ける者。
箱を組む者。
巻き方を習う者。
検品する者。
記録する者。
倉庫を守る者。
外を見張る者。
貧民街の外れに、煙草工場が生まれた。
甘い香りと乾いた葉の匂いが混ざり、木槌の音や紙をめくる音、指示を出す声に、時折バルドの鈴まで重なる。
乙女ゲームとは思えない音が、荒野に響いていた。
「……ほんまに工場やな」
リリアーナが言うと、ミレーヌは黒革手帖へ書き込みながら頷いた。
「はい。産業です」
「恋愛どこ行った」
「現場復帰しました」
「便利すぎるやろ、その言葉」
刀を肩へ担いだ黒スーツ姿の清司は、作業台の間を歩きながら貧民街の者たちを見ていた。
働く場所がなかった者たちが、今は作業台の前に立っている。
まだ不慣れで、手も遅い。
けれど、止まってはいない。
誰かの背景だった者たちが、工場の中で役目を持ち始めていた。
モビーズが、かつての自分たちと同じ者へ仕事を教えている。
元モブが、誰かの持ち場を作っている。
「ええやん。これなら回る」
リリアーナが言った、その時だった。
イレギュラーが人の間をすり抜け、静かに近づいてきた。
「姫、妙な噂が出てる」
場の空気が、少しだけ変わった。
リリアーナの目が細くなり、刀を肩へ担いだ黒スーツ姿の清司も足を止める。
「どんな噂や」
「葉巻と煙草の権利書、製法、販売ファイル。そういう言葉を、外で聞いた」
「誰が」
「まだ分からない。ただ、普通の商人じゃない」
シュドケンが倉庫の前に立ち、ゲンコワは帳簿を閉じた。シャーホムズが権利書の束を抱え直し、リキュウの目も商人のものから、敵を見定めるものへ変わる。
「早いな」
「はい。売れる匂いは、敵にも届きます」
リキュウが答えると、リリアーナは工場の外へ目を向けた。
「せやろな」
ミレーヌは黒革手帖へ書き込む。
『不穏情報。
対象:権利書、製法、販売ファイル。
対応:警備強化。』
「リリアーナ様、守るものが増えました」
「増えたな」
リリアーナは工場を見渡した。
建物。
葉。
箱。
書類。
働く者。
守る者。
売る者。
全部、もう動いている。
だからこそ、狙われる。
「シュドケン、書類と倉庫を守れ」
「必ず」
「ゲンコワ、変な動きがあったら詰めろ。証拠ありでな」
「承知しました」
「イレギュラー、裏を拾え」
「もう拾ってる」
「シャーホムズ、ワトゾン。書類の原本と写しを分けて隠せ」
「承知しました」
「ネツゾウ」
「時系列を――」
「捏造すなよ」
「しません」
「リキュウ、商人仲間にも警戒させろ」
「すぐに」
指示が飛び、人が動く。
工場が、ただの建物ではなくなっていく。
そこはもう、乙女ゲームの背景ではなかった。
働く場所であり、金が動く場所であり、誰かに狙われる場所だった。
チリン。
「本日は警戒を強めます」
バルドが静かに告げると、リリアーナは小さく息を吐いた。
「締めるんかと思ったら強めるんか」
「必要です」
「せやな」
まだ体は弱く、長く立ってはいられない。
けれど、リリアーナの目は低く、鋭かった。
「工場は回す。書類は守る。売る前に、潰されてたまるか」
刀を肩へ担いでいた黒スーツ姿の清司が、静かに刀を下ろした。
鞘の先が地面へ触れる。
コツン。
清司は工場の外へ顔を向け、刀の柄へ手をかけた。
まだ敵の姿はない。
けれど、狙う者がいるなら斬る。
その感情だけが、先に動いていた。
工場の外には、荒れた土地が広がっている。
かつて乙女ゲームの恋愛イベントには、何の関係もなかった場所だった。
花もない。
噴水もない。
大階段もない。
あるのは乾いた風と、新しい工場だけ。
乙女ゲームの舞台だった荒野に、働く者たちの声が響いていた。




