第33話 葉巻・煙草が完成
葉巻と煙草が、完成した。
作業台の上には、いくつもの箱が並んでいる。
葉巻。
煙草。
メンソール。
貴族用。
庶民用。
もう、試作品ではない。
すべて、正式な商品だった。
「姫様、完成しました」
眼鏡の聖女が静かに頭を下げると、リリアーナは箱を一つずつ見た。
「……早いな」
「皆様が、それぞれの持ち場へ戻りましたので」
「便利な理由やな」
その隣では、黒スーツ姿の清司が刀を肩へ担ぎ、完成した商品を見下ろしていた。
葉巻は、木とスパイス。
ナッツと甘み。
土と革。
華やかで上品な、クリーミー系。
煙草は、一ミリ、三ミリ、六ミリ、八ミリ、十ミリ、十二ミリ。
メンソールは、ベリー系、シトラス系、アップルミント系、トロピカルマンゴー系。
貴族用の箱は上品に。
庶民用の箱は、分かりやすく、手に取りやすく。
可愛い。
だが、安っぽくはない。
「……ええやん。これ、いける」
リリアーナが言うと、スギナ・カワイは胸の前で両手を組んだ。
「女性たちが、愛と光と可愛さを手に取れるように……」
「煙草や」
「煙草を、愛と光と可愛さで……」
「包みすぎるな」
アネイモが横から静かに口を挟む。
「暴走は止めています。ただ、可愛さは必要です」
「そこは否定せえへん」
黒スーツ姿の清司は、刀を肩へ担いだまま煙草の箱を見ていた。
一ミリ。
三ミリ。
六ミリ。
八ミリ。
十ミリ。
十二ミリ。
視線が、十二ミリの箱で止まる。
「吸いたいんですか」
ミレーヌが尋ねると、リリアーナはすぐに答えた。
「吸いたいに決まっとるやろ! この身体で吸ったら死ぬやろ!」
「記録します」
「すな!」
ミレーヌは黒革手帖へ書き込んだ。
『本人、試喫を強く希望。ただし身体上の理由により不可』
「書いとるやないか!」
「記録ですので」
チリン。
「試喫は許可できません」
バルドが静かに告げると、リリアーナは鈴を見た。
「分かっとるわ! せやから見とるだけやろ!」
「念のためです」
「鈴で欲望止めんな!」
黒スーツ姿の清司は何も言わず、十二ミリの箱を見続けていた。
刀を持つ手より。
煙草を見る目の方が、強かった。
ネツゾウは分厚い報告書を両手で差し出した。
「試喫報告です」
「捏造してへんやろな」
「していません」
「名前が不安やねん」
「よく言われます」
ワトゾンも清書済みの書類を抱え、一歩前へ出る。
「内容は確認済みです。時刻、数値、感想、すべて一致しています」
「お前がおるなら安心やな」
「ありがとうございます」
「自作のアリバイだけは一致せえへんかったけどな」
「信頼回復中です」
ネツゾウは静かに頭を下げた。
シャーホムズは香りごとの記録を箱の横へ並べている。
「真実は、煙の中にありました」
「吸い殻事件みたいに言うな」
「続きですので」
「そうやったな」
リキュウは完成品を手に取り、巻き方と箱の作りを確かめてから静かに笑った。
「これは、広がります」
「また早いな」
「商品として形になりました。形になったものは、流せます」
「頼もしいな」
「商いのことは私にもってこいです。このリキュウにお任せあれ」
「自信の塊やな」
「ございます」
「ええやん」
完成した。
ならば、次にすることは決まっている。
「持っていくぞ」
リリアーナが言うと、ミレーヌは黒革手帖を閉じた。
「国王陛下と王妃陛下に、ですね」
「せや。オヤジと姐さんに見せる」
黒スーツ姿の清司も刀を肩へ担いだまま頷いた。
ただし、目はまだ十二ミリの箱から離れていなかった。
王宮の一室では、国王と王妃が完成品を前に待っていた。
表向きには、国王陛下と王妃陛下。
けれど、ここにいる者たちには分かっている。
オヤジと姐さんである。
「待たせたな、オヤジ」
リリアーナが言うと、国王は目の前に並んだ箱へ身を乗り出した。
「はよ吸いたい。種類説明せぇ」
「せっかちやな」
「待ったんじゃ」
「せやな」
リリアーナは葉巻の箱を順番に示していく。
「木とスパイス。ナッツと甘み。土と革。華やかで上品なクリーミー系や」
「最初は」
「木とスパイスや。王道やな」
「それや」
国王は迷わず一本を取り、火をつけた。
先端が赤く灯り、煙がゆっくりと上がる。
黒スーツ姿の清司の目が、その煙を追った。
刀を肩へ担いだまま。
顔だけが、ゆっくりと煙の流れる方へ動いていく。
国王は口の中で香りを転がすように、静かにふかした。
乾いた木。
奥に、細いスパイス。
しばらく黙ったあと、もう一度ゆっくりと煙を吐く。
「……うまい」
国王は目を細めた。
「うまい。やっと吸えた」
黒スーツ姿の清司が、ほんの少しだけ身を乗り出した。
「吸いたそうやな」
王妃が言うと、リリアーナは国王の葉巻を見た。
「吸いたいに決まっとるやろ! こっちは姫の身体やぞ! 吸ったら死ぬわ!」
「一口くらい」
「姐さんまで勧めんな!」
「冗談や」
「目が本気やったぞ」
国王は葉巻をふかしながら笑った。
「欲しいんか」
「欲しいわ! けど吸われへんのや!」
「可哀想やな」
「笑いながら言うな!」
チリン。
「一口も許可できません」
「バルド、分かっとる!」
「煙を近づけることもお控えください」
「そこまで弱いんか、この身体!」
「弱いです」
「即答すな!」
国王は笑いながら煙を反対側へ流した。
それでも、黒スーツ姿の清司は煙の行方を目で追っている。
オヤジが葉巻を吸っている。
前世では当たり前だったようで、もう二度と見られないと思っていた光景だった。
それが今、目の前にある。
「……よかったやん」
リリアーナが小さく言うと、国王は葉巻を持ったまま笑った。
「ようやった」
次に動いたのは、王妃だった。
速かった。
「それ、まだ説明が――」
リリアーナが言い終わる前に、王妃はブルーベリーのメンソールを手に取っていた。
箱を開ける。
煙草を取り出す。
火をつける。
全部、早い。
「姐さん、早いな」
「待ってたからな」
王妃が細く煙をふかすと、甘いブルーベリーの香りに涼しいミントが抜けていく。
黒スーツ姿の清司は、また少し身を乗り出した。
「お前、メンソールも吸いたいんか」
オヤジが言った。
「吸いたいわ!」
リリアーナが言った。
「何でもええんかい」
「完成させたん俺らやぞ! 全部試したいに決まっとるやろ!」
黒スーツ姿の清司とリリアーナは、刀を肩へ担いだまま王妃の煙草を見つめている。
葉巻も見た。
煙草も見た。
メンソールも見た。
全部、吸いたかった。
「これも無理です」
バルドが言った。
チリン。
「分かっとる言うとるやろ!」
「念のためです」
「何回念押すねん!」
王妃は少しだけ目を細め、もう一度メンソールをふかした。
「あー、うまっ」
飾りのない一言だった。
だからこそ、強かった。
王妃は煙をリリアーナから離れた方へ流し、完成品の箱を見た。
「ええ仕事したやん」
リリアーナは、少しだけ固まった。
黒スーツ姿の清司も、煙草から王妃へ視線を移した。
褒められた。
ただの姫としてではない。
仕事をした者として。
「……おおきに」
リリアーナが答えると、王妃はもう一度メンソールをふかした。
「これ、女に売れるで」
「分かるか」
「分かるわ。香りがええし、重すぎへん。箱も手に取りやすい」
「姐さんに言われると強いな」
「強いやろ」
「強い」
国王は葉巻を見て、王妃は煙草の箱を見た。
先ほどまでの柔らかな空気が、少しだけ変わる。
二人の目が、オヤジと姐さんのものになった。
「これは売れる」
国王が言うと、王妃も煙を吐きながら頷いた。
「売れるな」
「せやから、狙われる可能性あるぞ」
国王の声が低くなった。
リリアーナの目も細くなる。
黒スーツ姿の清司は、刀を肩から下ろした。
鞘の先が床へ触れる。
コツン。
煙草を欲しがっていた目が、一瞬で変わった。
完成品を見る目ではない。
守る現場へ入った目だった。
「……やっぱりか」
「当たり前や」
王妃は煙草を指に挟み、完成品の箱を軽く叩いた。
「金になる。人が動く。流通が動く。権利が動く。そしたら、欲出す奴も出る」
「そらそうやな」
「何したらええんか、分かるやろ」
国王の言い方は、王ではなくオヤジだった。
リリアーナには、すぐに分かった。
売る前に、守る。
品を守る。
作る者を守る。
権利を守る。
書類を守る。
流通を守る。
完成した瞬間に、ただの商品ではなくなった。
守るべきものになった。
「金は任せとけ。やれ」
国王の命令は短かったが、それで十分だった。
リリアーナは、ゆっくり頷いた。
「任せとけ」
王妃が煙草をふかしながら笑う。
「ええ顔してるやん」
「姫の顔ちゃうな」
国王が言うと、リリアーナはすぐに睨んだ。
「そこは黙っとけ」
ミレーヌは黒革手帖を開き、さらさらと記録する。
『葉巻、煙草、完成。
国王陛下、王妃陛下より承認。
備考:売れる。
追加備考:狙われる。
命令:守れ。
資金:金は任せとけ。
清司様:全種類の試喫を希望。
ただし身体上の理由により不可。』
「最後いらんやろ!」
「重要ですので」
「どこが重要やねん!」
「今後、治療法が見つかった際に必要です」
「その時は一番に吸う!」
「記録しました」
「そこは書いとけ!」
チリン。
「治療後も許可するとは限りません」
「何でや!」
「健康管理です」
「元の身体に戻ってもか!」
「煙草は身体によくありません」
「正論で殴るな!」
シャーホムズは眼鏡を押し上げ、書類を順番に確認する。
「権利書、製法記録、販売契約、特許申請書類。すべて保管対象です」
「ワトゾン」
「はい。原本とは別に写しも作ります」
「ネツゾウ」
「作成、移動、保管の時系列表を作ります。捏造はしません」
「先に言うな」
「信頼回復中ですので」
「イレギュラー」
「裏で探るよ。妙な噂が出たら、すぐ拾う」
「シュドケン」
「倉庫、書類、運搬中の商品は必ず守ります」
「ゲンコワ」
「不正があれば詰めます」
「証拠ありでな」
「承知しました」
リキュウは完成品の箱を静かに閉じた。
「商人ギルド、販売権、税、特許申請。すぐに動きます」
「頼む」
「商人仲間にも声をかけます。これは、急いだ方がよろしい」
「分かってる」
国王は葉巻をもう一度ふかした。
「うまいもんは、守らなあかん」
王妃もブルーベリーの煙を細く吐く。
「ええ仕事したんやから、最後までやり」
リリアーナは、完成した箱を見た。
葉巻。
煙草。
メンソール。
貴族用。
庶民用。
そこにあるのは、ただの嗜好品ではない。
職人の手。
モビーズの実務。
セイントミステリアの調査と記録。
スギナの暴走を抑えた可愛さ。
アネイモの管理。
ネツゾウの試喫報告。
リキュウの商人の目。
オヤジと姐さんの承認。
全部が詰まっている。
「完成やな」
リリアーナが言うと、ミレーヌは頷いた。
「はい」
「けど、ここからが本番や。売る前に守る」
「記録しました」
「ほな、動くぞ」
黒スーツ姿の清司は刀を肩へ戻し、完成品を見た。
もう、煙草を欲しがるだけの目ではない。
狙ってくる者を見る目だった。
ただし。
十二ミリの箱だけは、もう一度見た。
その後。
王宮で働く大人たちには、決められた場所での喫煙が許可された。
休憩時間になると、王宮の者たちは新しく作られた喫煙所へ集まるようになった。
文官。
侍女。
護衛。
職人。
そして、たまに国王と王妃。
「……王宮、煙くないか?」
リリアーナが言うと、バルドは換気用の窓を確認した。
「換気しております」
「追いついとるか?」
「努力しております」
「努力なんやな」
黒スーツ姿の清司は、刀を肩へ担いだまま喫煙所の入口に立っていた。
葉巻の煙が流れるたびに見る。
煙草に火がつくたびに見る。
メンソールの箱が開くたびに見る。
「やっぱ吸うか?」
国王が言った。
「見とるだけや」
「俺が言うのも変やけど、めっちゃ入りたそうやぞ」
国王は葉巻をふかしながら話し、近くにいた文官へ箱を指差した。
「下のもんに、あとでわしらの分を届けさせろ」
「もう確保すんのか」
「当たり前や」
王妃もブルーベリーメンソールの煙を細く吐いた。
「うちらの葉巻と煙草、ストックもしといてや。定期的に持ってこさして」
「王宮が煙だらけになるぞ」
「換気したらええ」
「強いな」
「売り切れて吸われへん方が困る」
「販売前から買い占めるな」
「王族やぞ」
「権力の使い方、そこなん?」
こうして、葉巻と煙草は完成した。
作る者。
吸って確かめる者。
記録する者。
権利を守る者。
倉庫を守る者。
売る者。
それぞれが持ち場へ戻り、商品は正式に動き始めた。
そして王宮には、新たに喫煙所という持ち場まで生まれた。
「姫様」
眼鏡の聖女が、喫煙所の前で静かに頭を下げる。
「追加生産の依頼が届いております」
「もう?」
「国王陛下と王妃陛下からです」
「さっき吸い始めたとこやろ!」
「定期便をご希望です」
「商売一番乗り、身内やないか!」
黒スーツ姿の清司は、刀を肩へ担いだまま喫煙所の中を見た。
国王の葉巻。
王妃のブルーベリーメンソール。
文官の六ミリ。
護衛の十二ミリ。
視線が、十二ミリで止まる。
「……あれ、俺が作ったやつやぞ、一番うまそうに吸いやがって」
「見ない方がいいです、余計吸いたくなりますよ」
ミレーヌが言った。
「もう吸いたいわ!」
チリン。
「帰ります」
「バルドォ!!」
リリアーナは吸いたくても吸えない虚しさに包まれた。




