第31話 真実は灰の中に
リリアーナの歩行訓練は、少しずつ進んでいた。
部屋の中なら、もう自分の足で歩ける。
短い距離なら、息も乱れにくくなった。
今は、王宮の建物内を歩く訓練に入っている。
もちろん。
バルドの管理つきである。
チリン。
「本日は、ここまでです」
「鈴、歩行訓練にも使うんか」
「必要です」
「便利やな、それ」
「便利です」
「認めるんやな」
リリアーナは、壁際に置かれた椅子へ腰を下ろした。
足は、まだ細い。
体力も、まだ足りない。
それでも。
倒れずに歩ける距離は、確実に伸びていた。
その隣では、黒スーツ姿の清司が刀を肩へ担ぎ、リリアーナの足元を見ている。
「焦るなよ」
リリアーナが言った。
「はい」
バルドが頷く。
「焦らせません」
「お前は安心やな」
「必要ですので」
「何でも必要で通すな」
その時だった。
廊下の向こうから、二人分の足音が近づいてくる。
シャーホムズとワトゾンだった。
二人とも、分厚い報告書を抱えている。
嫌な予感しかしない。
「姫様」
シャーホムズが足を止めた。
「事件です」
「歩行訓練中やぞ」
「真実は待ってくれません」
「待たせろ」
「待ちません」
「強いな」
ワトゾンが、報告書を差し出した。
「試作品の煙草が減っています」
「煙草が?」
「はい」
いつの間にか。
ミレーヌが、黒革手帖を開いていた。
「続けてください」
「灰が残っていました」
ワトゾンが報告書を開く。
「吸い殻は処理されていましたが、処理が雑です」
「雑やな」
「窓際に匂いも残っています」
「さらに」
シャーホムズが眼鏡を押し上げた。
「製造記録と管理記録の間に、不自然な空白があります」
「犯人は?」
「分かっています」
「早いな」
「真実は、灰の中にありました」
「格好ええけど、事件しょーもな」
「真実に大小はありません」
「言い切ったな」
リリアーナは、椅子に座ったまま少し息を整えた。
バルドが、すぐに顔色を確認する。
「移動できますか」
「行く」
「無理はさせません」
「せえへん」
リリアーナは、椅子の肘掛けへ手を置いた。
「歩けるとこまで歩く」
チリン。
「許可します」
「お前の鈴、権限強なってないか?」
「必要です」
「便利やな」
「便利です」
「さっきも聞いたわ」
一行は、モビーズの作業場へ向かった。
リリアーナは、廊下の途中まで自分の足で歩いた。
一歩。
もう一歩。
途中で椅子へ座り、休憩を挟む。
無理はしない。
けれど、止まらない。
黒スーツ姿の清司は、刀を肩へ担いだまま隣を歩いている。
歩幅。
息の上がり方。
足の震え。
バルドが止める位置。
全部、見ていた。
前へ進ませる。
だが。
倒れるまでは進ませない。
それもまた、現場の見方だった。
作業場へ着くと、眼鏡の聖女がすぐに頭を下げた。
「姫様」
「煙草、減っとるらしいな」
「はい」
眼鏡の聖女は、机に並んだ管理表を示す。
「試作品の数が合いません」
「犯人は」
シャーホムズが、すっと指を伸ばした。
「ネツゾウです」
「名前で八割終わっとるやないか」
作業台の端には、ネツゾウが立っていた。
表情は落ち着いている。
落ち着きすぎていた。
「私は吸っていません」
「まだ聞いてへん」
「その時間、私は時系列表を作成していました」
「聞いてへん言うとるやろ」
ネツゾウは、一枚の紙を差し出した。
細かい時刻が、びっしり書かれている。
「こちらが証拠です」
リリアーナは、その紙を受け取った。
「この時系列表、誰が作った」
「私です」
「ほな、ネツゾウし放題やないか」
「捏造ではありません」
「名前がネツゾウやのに?」
「名前で判断しないでください」
「めちゃくちゃ不利やぞ」
「自覚はあります」
「あるんかい」
黒スーツ姿の清司が、ゆっくり刀を肩から下ろした。
鞘の先が、床へつく。
コツン。
作業場が静かになった。
黒スーツ姿の清司は、何も言わない。
ただ。
ネツゾウを見ている。
机の上。
窓際。
指先。
服。
目。
順番に見ていく。
ネツゾウの視線が、ほんの少しだけ泳いだ。
黒スーツ姿の清司が、刀を持ったまま一歩近づく。
ネツゾウが、一歩下がる。
もう一歩。
清司が近づく。
ネツゾウの背中が、作業台へ当たった。
「目ぇ見たら分かる」
リリアーナが言った。
「吸った目や」
「……」
「吸ったな」
「……吸いました」
「早い」
ワトゾンが、すぐに報告書へ書き込む。
ミレーヌも、黒革手帖へ記録する。
『隠れ煙草事件。
犯人:ネツゾウ。
アリバイ:自作。
結果:不採用。』
「不採用って書くな」
「通用しませんでしたので」
「お前も容赦ないな」
ネツゾウは、深く頭を下げた。
「申し訳ありません」
「試作品の違いが気になり」
「つい」
「ついで隠れて吸うな」
「はい」
「何本吸った」
「三本です」
「三本も吸っとるやないか」
「一ミリ、八ミリ、ミントを一本ずつ」
「比較までしとるやんけ」
「違いが気になりましたので」
「ほな」
黒スーツ姿の清司が、刀を肩へ戻した。
リリアーナは、ネツゾウをまっすぐ見た。
「吸ってもええ」
作業場が止まった。
「……はい?」
ネツゾウが顔を上げる。
「吸ってもええ言うてんねん」
「よろしいのですか」
「その代わり」
リリアーナは、机の上の報告書を指差した。
「データにしろ」
「データ」
「重さ」
「香り」
「喉への当たり」
「吸い始め」
「途中」
「後味」
「火のつき方」
「燃える速さ」
「灰の落ち方」
「吸い終わった時の満足感」
「全部書け」
「全部」
「隠れて三本も吸うほど、違いが気になるんやろ」
「……はい」
「ほな、仕事にせぇ」
ネツゾウは、少しだけ目を見開いた。
「仕事」
「試喫報告係や」
「試喫報告係」
「吸って」
「比べて」
「書け」
「隠れて吸うな」
「はい」
「報告書で吸え」
「はい?」
「仕事として吸え言うとんねん」
「承知しました」
ワトゾンが、ぱっと顔を上げる。
「正式な試喫記録ができるのですね」
「お前は清書や」
「任せてください!」
シャーホムズも、満足そうに頷いた。
「事件は解決しました」
「解決の仕方、おかしい気ぃするけどな」
「真実は、役割へ変わりました」
「うまいこと言うな」
ミレーヌが、先ほどの記録へ追記する。
『処分。
試喫報告係へ配置転換。
業務。
吸う。
比べる。
記録する。
注意。
隠れて吸うな。
吸うなら書け。』
「それは、そのまま書いてええ」
「はい」
こうして。
ネツゾウは、隠れて煙草を吸う男から。
堂々と煙草を吸わされる男になった。
一ミリ。
三ミリ。
六ミリ。
八ミリ。
十ミリ。
十二ミリ。
そして。
ミント。
机には、試作品が強さの順番に並べられた。
ネツゾウは椅子へ座り、一ミリの煙草へ火をつける。
吸う。
吐く。
すぐに報告書へ書き込む。
「一ミリ」
「煙が軽く、喉への刺激も弱いです」
「初めて吸う者には入りやすいですが」
「慣れている者には、物足りないかもしれません」
「ええやん」
次に、三ミリへ火をつける。
「三ミリ」
「柔らかいです」
「日中でも吸いやすく、食事の味を邪魔しにくいと思います」
「食後より、途中向きか」
「はい」
「ちゃんと見とるな」
六ミリ。
「六ミリは、日常向きです」
「軽すぎず、重すぎず」
「何本か吸う者には、扱いやすいと思います」
「八ミリは」
「基準として安定しています」
「香り」
「喉への当たり」
「満足感」
「すべて中間です」
「やっぱり八ミリは基準やな」
十ミリ。
「十ミリは、吸った感覚がしっかり残ります」
「満足感を求める者向きです」
「十二ミリ」
ネツゾウが煙を吐き、少しだけ眉を寄せる。
「強いです」
「喉にも残ります」
「慣れていない者には勧めにくい」
「人を選ぶな」
「はい」
「箱にも強いって分かるように書いとけ」
眼鏡の聖女が、すぐに記録する。
「色分けも必要でしょうか」
「せやな」
「軽い方は明るく」
「重い方は濃く」
「分かりやすくしろ」
「かしこまりました」
「話はや」
「数値があるので、分けやすいです」
「ほんま有能やな」
最後に。
ネツゾウは、ミントの煙草を手に取った。
火をつける。
吸う。
少しだけ目を細める。
吐く。
「ミントは」
「女性向けです」
「分かっとるやんけ」
眼鏡の聖女が首を傾げた。
「女性向け、ですか?」
「前世で、女がよう吸っとった」
リリアーナは、ミントの試作品を見る。
「重さより」
「香り」
「口当たり」
「吸ったあとの涼しさ」
「そこから入る奴が多い」
ネツゾウも頷いた。
「後味が涼しく、煙草に慣れていない者でも受け入れやすいと思います」
「口の中に重さが残りにくいです」
「お前、ちゃんと見とるな」
「……ありがとうございます」
「ほな」
リリアーナは、眼鏡の聖女を見た。
「フレーバーも分けるぞ」
「はい」
「ベリー系」
「ベリー」
「中に小さい香りの玉を入れて、潰した時にブルーベリーの香りが広がるやつ」
「香りの玉」
「できるか?」
「魔導素材で、液体を薄い膜へ包める可能性があります」
「できそうやんけ」
「試します」
「頼む」
リリアーナは、指を折っていく。
「シトラス系」
「レモンとライム」
「爽やかで、口直しに向くやつ」
「かしこまりました」
「アップルミント」
「果実感を出して、ミントは強め」
「かしこまりました」
「トロピカルマンゴー」
「甘みは濃く」
「ただし、くどくするな」
「かしこまりました」
「話はや!」
「方向が明確ですので」
「最高やな」
眼鏡の聖女は、すでに試作表を書き始めていた。
『女性向けミント煙草。
ベリー。
香りの玉を潰す方式。
シトラス。
レモン、ライム。
アップルミント。
果実感、強めの清涼感。
トロピカルマンゴー。
濃い甘み、後味は軽く。』
「もう商品っぽなってきたな」
「試喫報告が具体的ですので」
「隠れて吸った奴が役に立っとる」
「申し訳ありません」
「褒めとる」
「ありがとうございます」
「反省もせぇ」
「申し訳ありません」
「忙しいな、お前」
そこへ。
作業場の扉が勢いよく開いた。
「黒き運命の守護者様ー!」
「うるさいの来た」
スギナとアネイモが入ってくる。
スギナは、黒スーツ姿の清司を見るなり、ぱっと目を輝かせた。
「本日も!」
「黒き運命の守護者様が!」
「見えています!」
「毎日見える報告いらんねん」
「昨日より、黒の波動が強いです」
「服一緒や」
「刀を持って詰め寄った気配が残っています」
「見てへんのに分かるんか」
「愛で」
「怖いな」
スギナは、机の上に並ぶ煙草を見た。
「これは」
「女性へ届ける」
「愛と光の煙……」
「愛と光ではない」
「私も吸ってみたいです」
「二十歳になってからや」
スギナは、ぴたりと止まった。
胸へ手を当てる。
「私の年齢と」
「体のことまで……」
「法律と健康の話や」
「守られました……」
「拡大解釈すな」
「黒き運命の守護者様が」
「私を大人になるまで待つと……」
「言うてへん!」
アネイモが、静かにスギナの肩へ手を置いた。
「スギナ」
「戻ってきてください」
「はい」
「戻りました」
「まだ魂が浮いています」
「体ごと戻ってください」
「はい」
スギナは、一歩下がった。
まだ黒スーツ姿の清司を見ていた。
「目も戻せ」
「難しいお願いですね」
「それ、何回目や」
リリアーナは、スギナとアネイモへ机の上の試作品を見せた。
「お前らは、デザインを見ろ」
「デザイン!」
スギナの目が、さらに輝く。
「貴族用と、庶民用で分ける」
「はい!」
「貴族用は」
「上品」
「綺麗」
「高そうに見える」
「手に取った時、特別感がある」
「分かりました!」
「黒と金で」
「黒に寄せすぎるな」
「では、黒き運命の守護者様の瞳を思わせる深い色を」
「俺の瞳関係ない」
「魂の色を」
「もっと関係ない」
アネイモが、静かに紙へ書く。
「深い色を基調にしつつ、金の線を細く入れます」
「それでええ」
「スギナの部分、全部抜けましたね」
「抜いてええ」
「庶民用は」
リリアーナは、別の箱を指差した。
「分かりやすく」
「可愛い」
「買いやすい」
「持ちやすい」
「けど、安っぽくするな」
「はい!」
スギナが両手を広げる。
「私の可愛さを、箱いっぱいに!」
「入れすぎるな」
「愛と光も!」
「入れんな」
「黒き波動を一本だけ!」
「煙草より危ないやろ」
アネイモが、冷静に頷いた。
「スギナが暴走しない範囲で、女性向けの案をまとめます」
「頼む」
「範囲を越えた場合は止めます」
「それが一番大事や」
「はい」
「私の可愛さに範囲なんてありません」
「ある」
「宇宙までです」
「広すぎるわ」
リリアーナは、箱の表面を軽く叩いた。
「ロゴも分けろ」
「貴族用は細く、品よく」
「庶民用は、一回見たら覚えられる形」
「はい!」
「黒き運命の守護者様の紋章を」
「ない」
「今から作ります」
「作るな」
「刀と月と黒い花を」
「絶対作るな」
アネイモが、スギナから紙を取り上げた。
「こちらは不採用です」
「まだ描いていません」
「描く前に止めました」
「有能やな」
「制御担当ですので」
「一番現場復帰しとるかもしれん」
ワトゾンは、すでに内容を記録していた。
「女性向け包装」
「貴族用」
「庶民用」
「ロゴを分ける」
「スギナ様の黒き紋章案は不採用」
「最後いらん」
「経緯として必要です」
「真面目やな」
シャーホムズは、小さな袋を掲げた。
中には、隠れて吸われた煙草の灰が入っている。
「こちらの証拠品は、保管します」
「もう捨ててええやろ」
「真実の記録です」
「ただの灰や」
「真実の灰です」
「言い方で格上げすな」
「将来」
「最初の試喫報告係が生まれた証拠になります」
「そこまで言われたら捨てにくいやんけ」
「保管します」
「好きにせぇ」
作業場は、いつの間にか動き始めていた。
眼鏡の聖女は、香りの試作案をまとめる。
ネツゾウは、正式な試喫報告書を書く。
ワトゾンは、記録の形式を整える。
シャーホムズは、灰を証拠として保管する。
スギナとアネイモは、女性向けの包装を考える。
ミレーヌは、全部記録する。
バルドは、リリアーナの体調を見る。
隠れて吸われた煙草は。
ただの不正では終わらなかった。
試喫。
記録。
強さの分類。
香りの展開。
女性向け。
貴族用。
庶民用。
全部。
仕事へ変わっていく。
「清司さん」
ミレーヌが言った。
「なんや」
「事件解決です」
「事件やったか?」
「シャーホムズさんによれば」
「真実に大小はないんやったな」
「はい」
「しょーもない事件やったけどな」
「ですが」
ミレーヌは、動き始めた作業場を見る。
「産業は、かなり進みました」
「それはそう」
リリアーナは、椅子に座ったまま足を休めていた。
今日は。
ここまで、自分の足で歩いて来た。
途中で休んだ。
バルドにも止められた。
それでも。
前より遠くまで歩けた。
現場も動いた。
人も動いた。
煙草も、ただの試作品ではなくなった。
黒スーツ姿の清司も、刀を肩へ担ぎ、作業場を見ている。
吸う者。
記録する者。
証拠を保管する者。
香りを作る者。
包装を考える者。
暴走を止める者。
くだらない事件が。
新しい持ち場を生んだ。
「ええやん」
リリアーナが言った。
「隠れて吸った分」
「ちゃんと働けよ」
「はい」
ネツゾウは、深く頭を下げた。
「報告書は、捏造しません」
「当たり前や」
「時系列も」
「当たり前や」
「数値も」
「当たり前や」
「感想も」
「正直に書け」
「承知しました」
「アリバイは」
「もう作りません」
「最初から作るな」
チリン。
「本日は、ここまでです」
「煙草事件も鈴で締めるんか」
「姫様の体力が限界です」
「それは締めやな」
リリアーナは、素直に頷いた。
「戻るぞ」
「車椅子をご用意します」
「頼む」
「歩きますか?」
「今日は、もうええ」
「適切です」
「褒め鈴は」
チリン。
「鳴らすな言う前に鳴らすな」
「適切な判断でしたので」
「先読みすな」
スギナは、黒スーツ姿の清司を見つめたまま、胸へ手を当てていた。
「守られました……」
「まだ言うとる」
「二十歳まで待ちます」
「待て」
「待ちます」
「そこだけは素直やな」
「二十歳になったら」
「データにしてもよろしいですか?」
「お前も吸う気なん?」
「黒き運命の守護者様と同じ煙を」
「俺は吸ってへん!」
「同じ現場の煙を」
「言い直してもあかん!」
アネイモが、スギナの肩を押して作業場の奥へ連れていく。
「まずは包装を考えましょう」
「黒と金で」
「却下です」
「刀と月を」
「却下です」
「黒き花を」
「却下です」
「全部却下されました……」
「仕事をしてください」
「はい……」
こうして。
隠れ煙草事件は、解決した。
犯人は見つかった。
証拠も出た。
自作のアリバイは、すぐに崩れた。
そして。
ネツゾウは、正式な試喫報告係になった。
吸う。
比べる。
記録する。
煙草の違いは、感覚ではなくデータになった。
さらに。
女性向けの香り。
貴族用の包装。
庶民用の包装。
新しい商品展開まで始まった。
くだらない事件から。
また一人。
現場へ戻ったのである。
「姫様」
「なんや」
シャーホムズが、証拠袋を掲げた。
「事件名を決めてもよろしいでしょうか」
「いらん」
「隠れ煙草と、偽りの時系列事件」
「長い」
「灰はすべてを見ていた」
「映画みたいにすな」
「煙の向こうのネツゾウ」
「名前でオチてるやんけ」
「では」
「ネツゾウ、吸う」
「それでええわ」
ミレーヌが、黒革手帖へ書き込んだ。
『事件名。
ネツゾウ、吸う。』
「ほんまに書くなや!」




