第25話 戻さんかい
深夜。
リリアーナは、寝台の上で眠っていた。
昼間は車椅子で王宮を回り、休憩を挟みながら何人もの話を聞いた。
モビーズを結成した。
葉巻と煙草の試作へ向けて、仕事も分かれ始めた。
今は、ゆっくり眠っている。
その横のソファには、黒スーツ姿の清司が座っていた。
黒い上着。
黒いシャツ。
刀を傍らへ置き、腕を組んで目を閉じている。
その時だった。
ふわりと、白い光が降りてきた。
花びら。
羽。
どこからともなく響く、鈴の音。
やたら清らかな光の粒。
「……また来よったな」
清司が目を開けた。
次の瞬間、ソファに重なっていた姿が浮いた。
「おい」
寝台のリリアーナは、眠ったままだった。
清司だけが、刀ごと白い光へ引き込まれていく。
「呼ぶ前に、一言言えや!」
*
気づけば、真っ白な空間に立っていた。
雲のような床。
降り続ける花びら。
柱の向こうからも、眩しい光が漏れている。
その中央に、ふわ姫女神が立っていた。
金色の髪。
白い衣。
胸の前で重ねられた手。
全身から、祝福と課金画面のような光を放っている。
『清司様』
「光、落とせ」
『おやめくださいませ』
「何をや」
『すべてです』
「雑すぎるやろ」
ふわ姫女神は、困り果てたように眉を下げた。
『攻略対象の皆様を、次々と働かせて』
「仕事あるからな」
『恋愛イベントを、工事へ変えて』
「道が危なかったんや」
『背景だった方々を集めて』
清司の目が、細くなった。
『葉巻と煙草の組織まで、結成なさいました』
「モビーズや」
『名前までつけないでくださいませ!』
「呼ぶ時、便利やろ」
『問題は、呼びやすさではありません!』
「何やねん」
『物語が変わりすぎております!』
清司は、肩へ刀を担いだ。
「それより、前の質問の答えは」
『……質問?』
「何で俺が、姫の身体に入っとんねん」
ふわ姫女神の笑みが、僅かに固まった。
「俺の身体に戻る方法はあるんか」
『それは、少々複雑な――』
「自分の言いたいことだけ持ってきたんか」
『まずは、こちらの世界での、新たな恋について――』
「俺の身体に戻さんかい!!」
清司が刀を抜いた。
『キャーーーー!』
ふわ姫女神が、慌てて飛び退く。
刃が白い空間を横切る。その向こうを、花びらが降り続けていた。
「身体戻したいんじゃボケ!!」
刀を握る手に、力が入った。
自分の足で立ち、動ける身体だった。
今は、姫の身体を借りている。
その身体を無理に動かすわけにもいかない。
前の人生が終わったことと、この姿で生きていくことに納得できるかは、別だった。
『ですが、清司様には、新しい人生が――』
「何が恋愛やねん!!」
清司が刀を振り抜いた。
『キャーーーー!』
「もう恋愛いらんって言うとるやろが!!」
女神が、白い柱の陰へ逃げ込む。
清司は追いかけ、その手前で止まった。
「俺が身体戻したい言うとんの、聞こえへんのか」
低い声だった。
ふわ姫女神は、すぐには答えなかった。
花びらだけが、二人の間へ落ちてくる。
『……今、この場でお約束できることではございません』
「なら、調べろ」
『はい』
「新しい恋やの何やの、その話の前やろ」
女神は、胸の前で手を握った。
清司は、その顔を見ていた。
「それと、姫の身体や」
『はい』
「もうちょい、動けるようにならんのか」
『少しずつ回復されております』
「それは分かっとる!」
刀を持ち直す。
女神が、素早く柱の向こうへ回った。
「立って、歩いて、休んで、また立ってや!」
『大切な積み重ねですわ!』
「知っとるわ!」
清司が踏み込む。
女神は、花びらを撒き散らして逃げた。
『今日は、ご自分で椅子へ座れましたでしょう!』
「見とったんか!」
『見守っております!』
「見とるんやったら、手伝えや!」
『わたくしが、すぐに丈夫な身体へ変えられるわけではございません!』
「最初から、そう言え!」
『申し訳ございません!』
清司は足を止めた。
女神も、少し離れたところで止まる。
訓練すれば、できることは少しずつ増えている。
バルドも、ミレーヌも見てくれている。
そこは、続ければいい。
元の身体へ戻る方法を探す間も、姫の身体を粗末に扱うつもりはなかった。
「できへんことは、できへんでええ」
『……はい』
「せやからって、俺の気持ちまで勝手に変えようとすな」
女神は、口を閉じた。
「俺の返事、何回聞いたら覚えるねん」
『清司様のお気持ちは、分かりました』
「なら、忘れんなよ」
清司が刀を鞘へ収め、肩へ戻す。
ふわ姫女神は、ようやく息を吐いた。
そして、また口を開いた。
『では、物語のお話へ戻っても――』
「懲りへんな、お前!」
『それも、わたくしの役目ですので!』
「こっちの質問、持って帰るんやろな!」
『確認いたします!』
「頼むぞ、ほんま!」
清司が肩から刀を下ろす。
女神は、また身構えた。
『ですが、攻略対象の皆様には、大切な場面がございます!』
「仕事もあるやろ!」
『物語の中での、役割なのです!』
「人間の役目、それだけにすな!」
再び抜かれた刀が、白い空間を横切る。
女神が、白い衣を翻して避けた。
『キャーーーー!』
『アレクシス殿下には、ローズセレモニーが!』
「通路、塞いどったやろ!」
『美しい場面でしたのに!』
「資材、通られへんわ!」
もう一振り。
『キャーーーー!』
『エリオット殿下には、皆様とのお茶会が!』
「図面の横へ、飯置くな!」
『和やかな交流を!』
「休憩所でやっとる!」
『そこで、恋の予感を――』
「茶ぁ飲ませたれや!」
女神が飛び退く。
髪に、大量の花びらが絡まっていた。
『レオン殿下には、花火と告白がございます!』
「工事現場で火ぃつけるな!」
『夜空を彩る、美しい演出ですのに!』
「昼間やったぞ!」
『では、夜に!』
「場所の問題もあるやろが!」
清司が刀を振り抜いた。
女神はしゃがみ込み、すぐに立って逃げる。
『キャーーーー!』
『セシル殿下には、爽やかな青春の場面が!』
「十分やかましかったわ!」
『風を受けて、共に駆け出すのです!』
「車椅子見ろ!」
『背を押してくだされば――』
「走って押すな言うたやろ!」
女神が、両手で耳を押さえかける。
「聞け!」
『聞いております!』
「お前、聞いとる時の返事、王子らと一緒やな!」
『皆様、素直な方々ですもの!』
「なら、仕事の話も通るやろ!」
『そこへ戻さないでくださいませ!』
清司は刀を鞘へ収め、肩へ戻した。
「ちゃんと手伝っとるで、あいつら」
女神が、少しだけ顔を上げる。
「案内板作って、休憩所整えて、人が危ないとこ入らんように見とる」
『存じております……』
「知っとるなら、何が悪い」
『恋愛の場面が、減ってしまいます』
「減って困るん、お前やろ」
女神が、口を閉じた。
「本人ら、やりたい言うて手伝っとるんや。止める理由、何や」
『乙女ゲームの世界ですので』
「便利に使うな!」
清司が肩から刀を下ろす。
女神が、素早く身構えた。
『それから、バルド様にまで、鈴を持たせて!』
「俺ちゃう!」
『どなたが持たせたのですか!』
「最初から持っとったわ!」
『なぜ、恋愛の場面を終了させるのです!』
「邪魔しとったからや!」
『あの鈴が鳴るたび、場面が止まるのです!』
「現場は進んどるわ!」
清司が刀を抜き、振った。
『キャーーーー!』
女神は、今度は床を転がって避けた。
白い衣へ、花びらが何枚も貼りつく。
『そして、モブだった方々まで!』
清司の動きが止まった。
『勝手に表へ出さないでくださいませ!』
「勝手ちゃう」
声が低くなった。
「仕事見て、話聞いて、頼んだんや」
『背景として、必要な方々なのです!』
「背景が帳簿つけるか」
女神が、目を瞬く。
「背景が、薬草分けるか」
『それは――』
「箱の印、考えるか」
清司が一歩進む。
女神は、同じだけ下がった。
「道具の場所、覚えとるか」
『ですが、物語の中心ではありません!』
「中心やなかったら、何も考えてへんことになるんか」
女神は答えなかった。
降ってくる花びらだけが、二人の間を通った。
「見てへんだけやろ」
清司は刀を持ち直した。
「手、動かしとったぞ。知らんこと聞いたら、分かる奴に確認する言うとった」
『……はい』
「俺がおらんとこでも、仕事しとった」
『はい』
「なら、お前が背景言うて済ませるな」
女神は、胸の前で手を握った。
『物語には、主役が必要なのです』
「主役だけで国回るか!」
刀が、白い床すれすれを走った。
女神が飛び上がる。
『キャーーーー!』
「誰が紙切るんや!」
『職人の方が!』
「誰が在庫数えるんや!」
『係の方が!』
「誰が失敗見つけるんや!」
『確認する方が!』
「仕事、あるやろが!」
『ございます!』
「名前もあるやろ!」
『ございます!』
「なら、背景で片づけるな!」
女神は、何度も頷いた。
『分かりました! 分かりましたから、刀を!』
「何が分かった」
『皆様、それぞれのお仕事をなさっています!』
「せや」
『モビーズも、お仕事を始めています!』
「よし」
清司が刀を下げた。
ふわ姫女神は、ようやく胸へ手を当てた。
『……お話が通じたのでしょうか』
「最初から聞いとったらええねん」
『刀を振られながらでは、難しゅうございます!』
「よう喋っとったぞ」
『必死でしたもの!』
清司は刀を収め、肩へ担いだ。
「本人がやりたいこと、聞いたれや」
『……はい』
「恋愛したい奴は、したらええ。働きたい奴は働いたらええ」
『ですが、この世界は――』
「世界の都合で、人の気持ち決めるな」
女神が、また口を閉じた。
清司は、その目を見た。
「俺もやぞ」
『承知いたしました』
「元の身体に戻る方法、確認してこい」
『はい』
女神の周囲へ、光の粒が集まり始めた。
話を切り上げるつもりらしい。
清司が眉を寄せる。
「今度は、ちゃんと持って帰るんやろな」
『確認が必要ですので、上へ持ち帰ります』
「上?」
『はい』
「誰がおんねん」
『今は、お答えできません』
「急に口固なるな!」
光が、さらに強くなる。
花びらまで勢いを増した。
「次来るなら、答え持ってこいよ!」
『検討いたします!』
「検討やなくて、確認せえ!」
『確認いたします!』
「いつや!」
『物語の進行に――』
「待てや!」
清司が刀を抜いて振る。
『キャーーーー!』
ふわ姫女神が、光の中へ飛び込んだ。
『また参ります!』
「自分の用事だけで来んなよ!」
『刀を置いて、お待ちくださいませ!』
「オヤジの刀や。持っとく!」
『なぜ、その点だけ律義なのですか!』
「うるさいわ!」
ふわ姫女神は、花びらを撒き散らしながら、光の彼方へ消えていった。
白い空間へ、静けさが戻る。
清司は刀を鞘へ収め、肩へ担ぎ直した。
「……逃げ足だけは、丈夫やな」
返事はなかった。
清司は、花びらの消えた場所を見ていた。
今日、働く者の話を聞きながら、何度か隣へ顔を向けかけた。
返事が来るはずのところに、四人はいなかった。
恭平。龍二。拓真。圭吾。
あいつらは、無事でやっとるやろか。
会って、顔を見たい。
死んだと分かっていても、それまでなくなるわけではなかった。
*
リリアーナが、寝台の上で目を開けた。
天蓋が見える。
白い柱も、舞い続ける花びらもない。
隣の椅子から、ミレーヌが顔を上げた。
「清司さん」
「……なんや」
「お声が聞こえましたので。お目覚めですか」
「あぁ」
夜番の侍女も、扉の近くへ来ていた。
ミレーヌが短く様子を伝え、必要な時はすぐ呼べるよう、廊下で待ってもらう。
扉が静かに閉まった。
「何がありました?」
「文句言いに来た」
「ふわ姫女神がですか」
「あぁ。恋愛の場面を工事にするな。モビーズを表へ出すな、言うて」
「それで?」
「斬りかかった」
「何回でしょうか」
「数えてへん」
ミレーヌは、黒革の手帖を開いた。
「悲鳴は?」
「毎回でかかった」
「回避能力は?」
「高い」
「質問への回答は?」
「遅い」
「姫様のお身体については?」
「自分がすぐ丈夫にできるわけちゃう、言うとった」
ミレーヌの筆が、少し止まる。
リリアーナは、白く細い手を見た。
「訓練は、続けるわ」
「はい」
「それと」
ミレーヌが顔を上げた。
清司は、その目を見て続けた。
「元の身体に戻る方法、調べろ言うた」
「……そうでしたか」
「あぁ」
ミレーヌは、手帖の新しい行へ筆を移した。
「お返事は?」
「確認してくる言うて、逃げた」
「では、次回の確認事項ですね」
「あぁ。忘れさすな」
「はい」
ミレーヌの筆が、また動き始めた。
『ふわ姫女神。
分類――恋愛ルート修正係。
発光量――高。
現場への理解――不足。
質問への回答――未完。
回避能力――高。
悲鳴――大。
結果――持ち帰り、退場』
「仕事、終わってへんやないか」
「次回へ残します」
「あぁ。今度来たら、それ見せたれ」
「私は、お会いできておりませんので」
「そういや、そうやったな」
リリアーナの横へ、黒スーツ姿の清司が戻ってきた。
刀を肩に担ぎ、ミレーヌの手帖を覗き込む。
「次、持っていくわ」
「ご質問の一覧も、お作りしますか」
「頼む。話逸らしよるからな、あいつ」
「承知しました」
ミレーヌが、新しい頁を開いた。
リリアーナは、枕へ頭を戻す。
「もう寝るわ」
「はい。まだ、夜ですので」
「昼も働いて、寝とる間まで呼び出されるん、割に合わんな」
ミレーヌの筆が止まった。
「次回は、面会時間の事前調整も求めましょう」
「女神相手に?」
「睡眠時間が削られますので」
清司が、低く笑った。
「そこも書いといてくれ」
「はい」
黒スーツ姿の清司が、ソファへ戻る。
傍らへ刀を置き、腕を組んだ。
ミレーヌは、手帖の最後へ一行足した。
『清司さんの就寝中に、無断で呼び出さない』
今度は、清司も消せとは言わなかった。




