第25話 おやめなさい
深夜。
リリアーナの部屋は、静まり返っていた。
ベッドの上では、リリアーナが眠っている。
昼間、王宮中を回って人材を探し、モビーズを結成し、葉巻と煙草という名のブツの準備まで始めたせいで、体はすっかり限界だった。
そして、その横のソファには、黒スーツ清司がいた。
黒い上着。
黒いシャツ。
緩めた襟元。
腕を組み、深く沈むように目を閉じている。
見た目だけなら、姫の寝室に絶対いてはいけない男である。
だが、誰にも見えない。
なので、ぎりぎり問題にはなっていない。
その時だった。
ふわり、と白い光が降りた。
花びら。
羽。
鈴の音。
やたら清らかな粒子。
乙女ゲームのオープニングのような演出である。
「……何や」
黒スーツ清司の目が、ゆっくり開いた。
次の瞬間。
ソファの足元が、消えた。
「は?」
ベッドのリリアーナは、眠ったまま。
ソファにいた黒スーツ清司だけが、白い光の中へ引きずり上げられていく。
「おい、身体置いていくな」
返事はなかった。
気づけば、清司は真っ白な空間に立っていた。
雲のような床。
降り続ける花びら。
どこからともなく鳴る鈴の音。
そして正面には、ふわふわした女神がいた。
金色の髪。
白い衣。
柔らかな微笑み。
全身から、癒しと祝福と課金画面のような光が出ている。
「清司様」
「夜中やぞ」
「おやめなさい」
「第一声それか」
女神は、微笑んだまま、もう一度言った。
「おやめなさい」
「二回言うな」
「必要ですので」
「バルドみたいなこと言うな」
女神の微笑みが、ほんの少し固まった。
「清司様。前回お会いした際、私は恋愛ルートへ戻るよう、やんわりとお願いしました」
「やんわり?」
「やんわりです」
「俺の記憶やと、光って逃げた女やけど」
「戦略的撤退です」
「逃げたな」
「本日は、逃げません」
「ほう」
清司は、腕を組んだ。
「説教に来ました」
「女神が説教に来るな」
「修正では間に合わないと判断されました」
「誰にや」
「上層部です」
「女神にも上司おるんか」
「います」
「乙女ゲーム運営も現場大変やな」
「誰のせいだとお思いですか」
「知らん」
女神の光が、少しだけ強くなった。
怒っているらしい。
「まず、姫スマをしてください」
「無理や」
「即答しないでください」
「仕事中や」
「姫は、仕事中でも優しく微笑むものです」
「現場でずっと笑ってる奴は怖いやろ」
「可憐なのです」
「怖いわ」
「リリアーナ姫は、可憐で、儚く、優しく微笑むことで攻略対象たちの心を揺らす存在なのです」
「そんなんで国回るか」
「国を回すゲームではありません」
「回り始めてもうた」
「始めないでください」
女神は、胸の前で両手を握った。
「攻略対象を、現場に戻しすぎです」
「戻した方が使える」
「使うものではありません。恋愛するものです」
「人間を恋愛機能だけで見るな」
「乙女ゲームです」
「せやからあかんねん」
女神が、ぴたりと止まった。
「……あかん、とは」
「持ち場ない奴が多すぎる」
「攻略対象には恋愛イベントがあります」
「仕事は?」
「恋愛イベントがあります」
「仕事は?」
「……恋愛イベントが」
「仕事は?」
女神は、そっと目を逸らした。
「お前も分かっとるやないか」
「おやめなさい」
「逃げるな」
女神は、少し咳払いをした。
「ローズイベントを止めたことも問題です」
「建設の邪魔やった」
「アレクシス殿下のローズセレモニー」
「通路塞いでた」
「エリオット殿下のサプライズローズ」
「搬入口塞いでた」
「レオン卿のローズと花火」
「邪魔すぎた」
「言い方をおやめなさい」
「事実や」
「恋愛イベントは、心を動かすために必要なのです」
「現場も動かせ」
「趣旨が違います」
「人がおる場所でイベントするなら、通路と安全確認せえ」
「ときめきが減ります」
「怪我も減る」
「演出が弱くなります」
「事故も減る」
「……」
「何で黙るねん」
女神は、悔しそうに唇を結んだ。
「そして、最も重大なことがあります」
「まだあるんか」
「あります」
女神は、きらきらした光を背負いながら、厳かに言った。
「恋愛イベントに欠かせない階段を、スロープにするとは何事でしょうか?」
「人が通れんからや」
「そこは、偶然ぶつかる場所です」
「ぶつかったら危ないやろ」
「違います。運命の出会いです」
「事故や」
「階段で転びかけた姫を、攻略対象が抱き留める大切なイベントです」
「まず転ばすな」
「ときめきです」
「怪我や」
「高低差は恋愛演出に必要なのです」
「バリアや」
「見下ろす視線、見上げる表情、差し伸べられる手」
「通れん奴のこと考えろ」
「演出です」
「障害物や」
女神は、とうとう少し涙目になった。
「あなたは、乙女ゲームの美しい階段を、工事現場にしました」
「したな」
「認めないでください」
「したもんはした」
「恋愛イベントの発生率が下がります」
「通行率は上がる」
「その言い方をおやめなさい」
「大事やろ」
女神は、言葉を失った。
黒スーツ清司が、腕を組み直す。
「人が通れん場所で恋愛すな」
低い声が、白い空間に落ちた。
女神は、口を開きかけて、閉じた。
「それから」
「まだあるんか」
「モブを勝手に班にしないでください」
「モビーズか」
「名前までつけないでください」
「元モブがムーブするからモビーズや」
「説明しないでください」
「可愛いやろ」
「可愛いのが問題なのです」
「そこなんか」
女神は、ふわふわした袖を握った。
「モブは、背景として配置されています」
「背景ちゃう」
「画面上の役割としては」
「仕事しとったやろ」
「……」
「見たか? メガネ聖女の手元」
「見ました」
「弟子のロゴは」
「見ました」
「文官の書類は」
「見ました」
「ほな背景ちゃう」
「……」
女神は、返事に詰まった。
「才能がないんちゃう。見抜かれてへんだけや」
「……その言い方は」
「何や」
「少し、ずるいです」
「知らん」
女神は、悔しそうに目を伏せた。
「それでも、物語には中心が必要です」
「中心があるんはええ」
清司は言った。
「でも、中心だけで国は回らん」
「乙女ゲームは国を回すものでは」
「もう聞いた」
「……」
「姫が微笑んで、王子がときめいて、ローズ渡して、階段で抱き留めて」
清司は、鼻で息を吐いた。
「それで誰が道作るんや」
「……」
「誰が薬草見るんや」
「……」
「誰が記録するんや」
「……」
「誰が危ない時に止めるんや」
「……バルド様でしょうか」
「そこだけ即答すな」
女神は、気まずそうに目を逸らした。
「バルド様は、想定以上に現場向きでした」
「認めとるやないか」
「鈴は想定外です」
「俺もや」
少しだけ、白い空間の空気が緩んだ。
だが、女神はすぐに顔を戻した。
「葉巻と煙草も、おやめなさい」
「それは俺も思う」
「では」
「オヤジと姐さんが待っとる」
「その二人が一番問題です」
「それも俺は思う」
女神と清司の意見が、一瞬だけ合った。
だが、何も解決しなかった。
「嗜好品を国家事業にしないでください」
「もう人集めた」
「集めないでください」
「モビーズが動き出した」
「動かさないでください」
「ブツがいる」
「言い方を移さないでください」
女神は、頭を押さえた。
「どうして、よりによってリリアーナ姫に」
「知らん」
「よりによって、なぜ元若頭が」
「知らん」
「しかも人を見る目がありすぎます」
「褒めてんのか」
「困っています」
「正直やな」
女神は、大きく息を吐いた。
ふわふわした光が、少し弱くなる。
「せめて」
「なんや」
「せめて、姫らしくしてください」
「姫らしくって何や」
「優しく、微笑み、愛されることです」
「愛されるだけの人間にする気か」
女神が、黙った。
白い空間が、静かになる。
花びらだけが、ふわふわと落ちた。
「俺はもう見えてもうた」
「何を、ですか」
「通れん階段も」
清司は、静かに言った。
「仕事しとるモブも」
女神は、目を伏せた。
「持ち場のない攻略対象もや」
「……」
「見えたもんを、見えんふりして笑えるか」
女神は、何も言わなかった。
しばらくして、ふわ姫女神は、ゆっくり顔を上げた。
「……本日は、一度持ち帰ります」
「どこにや」
「上層部に」
「ほんまに上司おるんやな」
「います」
「乙女ゲーム運営も大変やな」
「誰のせいだと」
「知らん」
女神の眉が、少しだけ下がった。
「最後に、お願いです」
「なんや」
「明日だけでも、姫スマをしてください」
「考えとく」
「それは、しない返事ですね」
「よう分かっとるやん」
「おやめなさい」
「もう遅い」
女神は、泣きそうな顔で光の中へ戻っていく。
消えかけたところで、もう一度だけ振り返った。
「階段をすべてスロープにするのは、本当におやめなさい」
「全部とは言うてへん」
「一部でお願いします」
「現場見てから決める」
「それが一番怖いのです」
ふわ姫女神は、光の中に消えた。
次の瞬間。
清司は、リリアーナの部屋に戻っていた。
ベッドの上で、リリアーナは眠ったまま。
横のソファには、黒スーツ清司が座っている。
腕を組んだまま、清司は深く息を吐いた。
「……女神も大変やな」
ミレーヌはいない。
誰も記録していない。
だから、その一言は、夜の部屋に溶けた。
おいたわしいのは、
ふわ姫女神と、まだ乙女ゲームだと思っている運営側である。




