第22話 君に届いたらいいな
説明しよう!
リリアーナは、学園へ復帰したわけではない!
まだ三歩歩いて座るのが限界であり、
本格的な登校など、到底できる体ではない!
では、なぜ学園に来ているのか!
現場視察である!
春の交流会。
学園内の導線。
生徒の配置。
苦情が溜まりやすい場所。
報告書だけでは分からないものを、
車椅子で、相棒に押されながら、実際に見に来たのである!
なお!
護衛兼体調監視役として、バルドも同行している!
「雑に説明すな」
リリアーナの口から、低い声が漏れた。
横に立つ黒スーツ清司も、同じように眉間に皺を寄せている。
リリアーナは車椅子に座っていた。
押しているのは、ミレーヌ。
少し後ろには、バルド。
黒スーツ清司は、車椅子の横を歩くように立ち、
白い石造りの校舎をじっと見ていた。
腕を組み、目を細め、窓、階段、人の流れを順に追っている。
完全に、現場を見に来た顔だった。
「えらいここもキラキラしとんなぁ」
「乙女ゲームの学園ですので」
「窓、花壇、噴水、白い校舎。標準装備かと」
「標準装備いらんねん」
ミレーヌは車椅子を押しながら、黒革手帖を開いている。
「押しながら書くな」
「相棒ですので」
「便利に使うな」
「便利ですので」
「認めるな」
正面には、大きな階段があった。
白く、美しく、広い。
いかにも誰かと出会いそうな階段だった。
黒スーツ清司が、そこで少しだけ足を止める。
リリアーナの目も、同じように階段を見た。
「……綺麗やけど、通れんな」
「記録します」
「まだ早い。まず全体見る」
「承知しました」
その時だった。
「リリアーナ!」
明るい声が、風みたいに飛んできた。
「うわ」
リリアーナの肩が跳ねる。
黒スーツ清司も、同じように一歩引いた。
人の間をするりと抜けて、ひとりの青年が現れた。
淡い金茶の髪。
健康的な肌。
整った顔。
笑うと、周囲の空気まで明るくなるような目。
爽やかだった。
あまりにも爽やかだった。
爽やかが制服を着て歩いてきたような男だった。
「久しぶり、リリアーナ」
青年は、悪気のない顔で笑った。
「ハハッ、元気そうでよかった」
「距離近いな」
「え?」
「いえ、何でもありません」
リリアーナは姫スマを貼り付けた。
横の黒スーツ清司は、まったく貼り付けていなかった。
「前より顔色いいね」
「まだ三歩です」
「三歩も歩けるようになったんだ。すごいじゃん」
「……」
「ハハッ、何その顔」
「爽やかすぎて腹立つ顔です」
「割れました」
「少しや」
「かなりです」
青年は、リリアーナに笑いかけながら、通り過ぎる生徒や教師へ次々と声をかけていった。
名前を呼び、荷物の重さに気づき、迷っている下級生を別の生徒へつなぎ、講堂の鍵の場所を教え、球技場の予約まで確認していく。
その間、リリアーナへの笑顔は一度も崩れない。
「……同時に何人相手してんねん」
「ハハッ、そんなに?」
「十人はおったぞ」
「みんな知り合いだから」
「人脈が廊下を歩いとる」
ミレーヌの黒革手帖が開かれた。
『セシル・ヴェント殿下。
分類:清浄機王子。
呼称:リリアーナ呼び捨て。
口調:自然なタメ語。
笑い方:ハハッ。
友人数:測定不能。
同時対応人数:十名前後。
現場適性:受付、窓口、誘導、広報』
「清浄機王子ってなんや」
「場の空気を明るくし、悪い空気を薄める能力があるためです」
「薄めるな。解決しろ」
「そこが課題です」
「的確やな」
説明しよう!
セシル・ヴェントは、平成大ヒット少女漫画枠である!
爽やか!
友達が多い!
自然なタメ語!
距離感が近い!
風のように現れる!
つまり!
乙女ゲーム世界における、
爽やか恋愛フラグ担当の一種なのである!
「雑に分類するな」
ミレーヌは黒革手帖に追記した。
『参考印象:平成大ヒット少女漫画枠』
「書くな」
「分かりやすいので」
セシルは、車椅子の横に軽やかに並んだ。
「今日から戻ってくるんだよね?」
「まだ視察です」
「視察?」
「現場を見に来ました」
「ハハッ、リリアーナってそんなこと言う子だったっけ?」
「人は変わります」
「そっか」
セシルは、爽やかに笑った。
「でも、来てくれて嬉しいよ。君に届いたらいいな」
「何がや」
「この気持ちかな」
「気持ちを業務連絡みたいに出すな」
セシルはまた笑った。
そして、少し離れた場所で迷っている下級生へ手を振ると、近くの生徒に自然に声をかけ、その子を案内させた。
流れるようだった。
頼まれた側も嫌な顔をしない。
迷っていた下級生も、安心した顔をする。
黒スーツ清司の目が細くなった。
リリアーナの目も、同じように細くなる。
「……こいつ、めっちゃ使えそうやな」
「記録します」
「するな」
「清浄機王子、現場復帰候補ですね」
「早いな」
「清司さんの顔がそう言っていました」
「顔を読むな」
セシルは何も知らない顔で笑っている。
「じゃあ、僕はちょっと呼ばれてるから行くね」
「また呼ばれてるんか」
「うん。昼休みの球技場の件と、講堂の席の件と、相談が一つ」
「受付窓口やん」
「ハハッ、そうかな」
「そうや」
セシルは風みたいに一歩下がった。
「また後でね、リリアーナ」
そして、いつものように爽やかに言った。
「君に届いたらいいな」
「だから何がや」
「今日の再会かな」
「再会を届けるな」
セシルは笑って、人の流れの中へ消えていった。
去り際にも、また別の生徒に声をかけている。
『定型句:君に届いたらいいな。
使用頻度:高。
清司さんの反応:しつこい』
「最後いらん」
「必要です」
清司は、セシルが去った方を見た。
「剣術と魔法は?」
「記録によると、あまり突出していません」
「何してきたんや」
「球技と学級委員的活動かと」
「ステータス配分おかしいやろ」
「友好度と敏捷性に振ったようですね」
「乙女ゲームで体育会系ビルドすな」
だが、使える。
人が寄ってくる。
空気が悪くならない。
声をかけた相手が動く。
本人がそれを苦にしていない。
受付。
相談窓口。
誘導。
広報。
レセプション。
セシルの持ち場が、清司の中で次々と並んだ。
「……後で捕まえる」
「捕獲対象ですか」
「現場復帰対象や」
「同義に近いですね」
「違う」
ミレーヌは車椅子を押した。
正面階段を避け、脇の通路へ回る。
そこに、一応スロープはあった。
本当に、一応だった。
「……あるやん」
「はい」
「ただし」
「ただし?」
車椅子は、スロープの入口で止まった。
遠い。
正面階段からかなり回り込んだ位置にあり、入口には植え込みが張り出している。
幅も狭い。
途中で折れ曲がっていて、車椅子同士がすれ違える余裕はない。
石畳の継ぎ目も粗い。
雨の日には滑りそうだった。
黒スーツ清司が、しゃがむような姿勢で路面を見る。
リリアーナも、同じように視線を落とした。
「……ほぼ意味ないやんけ」
「記録します」
「これは記録しろ」
『学園正面棟スロープ。
存在:あり。
実用性:低。
位置:遠い。
幅:狭い。
路面:粗い。
雨天時危険性:高。
植え込みによる通行妨害あり』
「辛辣やな」
「事実ですので」
バルドが屈み、車輪の通る幅を確認した。
「この幅では、介助者が横につけません」
「押す側も危ないな」
「はい」
「休憩場所は?」
「見当たりません」
「雨避けは?」
「ありません」
「終わっとる」
その時、校舎側から二人が歩いてきた。
レイナと、エミールだった。
「姫様」
レイナは、すぐに車椅子の前で立ち止まった。
後ろのエミールは、分厚い資料を抱えている。
「お待ちしておりましたわ」
「こっちは着いて早々、爽やかすぎる王子に絡まれたところや」
「セシル殿下ですわね」
「知ってるんか」
「知らない者の方が少ないですわ」
説明しよう!
セレスティア・ヴァレンティーヌ嬢は、
清司に「レイナ」と呼ばれて以降、
なぜか自ら周囲に、
「今後、わたくしのことはレイナと呼んで構いませんわ」
と通達したのである!
受け入れが早い!
本人都合解釈が濃い!
なお、正式文書上は今も
セレスティア・ヴァレンティーヌである!
「ややこしいな」
「清司さんが始めました」
「俺のせいにすな」
「原因ではあります」
「言い方」
エミールが苦笑する。
「彼は友達が多いからね。学園内で困ったら、とりあえずセシルに聞けと言われるくらいだ」
「完全に窓口やんけ」
レイナは、ミレーヌの手帖を見た。
「もう記録されていますの?」
「はい。分類は清浄機王子です」
「清浄機……」
レイナは一瞬だけ考え、すぐに頷いた。
「的確ですわ」
「受け入れるんか」
「空気は綺麗になりますもの。ただ、責任まで薄まりがちですけれど」
「お前も分かってるやんけ」
エミールが資料を開いた。
「それより、昨日の苦情受付表の件だけど」
「なんや」
「階段に関する不満が、思ったより多かった」
リリアーナの目が動いた。
エミールは紙を一枚出す。
『講堂前大階段』
『正面棟入口』
『旧校舎渡り階段』
『中庭横の短階段』
『雨天時の滑りやすさ』
『足の悪い教師の移動困難』
『荷物運搬時の危険』
『車椅子使用者の遠回り』
『体調不良者の休憩場所不足』
赤い印が、いくつもついている。
「これが、レイナの報告書にあった苦情の核です」
エミールが言う。
「言われるまで、僕もただの古い建物の不便だと思っていた。でも、集めると見えてくる」
レイナが扇を閉じた。
「皆、少しずつ我慢していましたの。大きな苦情にはならない。けれど、毎日小さく不便を積んでいる」
黒スーツ清司が、口元に手を当てた。
リリアーナも、同じように口元に手を当てる。
視線は、手元の紙と、目の前のスロープと、大階段を行き来した。
苦情が溜まりやすい場所。
意味の薄いスロープ。
美しい大階段。
毎日小さく積まれていた不満。
点が、線になる。
「……分かったぞ」
リリアーナの口から、低い声が出た。
黒スーツ清司も、同じ顔で階段を見上げる。
「これや」
「これ?」
エミールが聞き返す。
「これが、苦情の原因や」
リリアーナは、正面の大階段を見た。
白く、美しく、広い。
恋愛イベントが起きそうな階段だった。
だが、通れない者にとっては、ただの壁だ。
「姫様のためだけではありませんわ」
レイナが言った。
「体の弱い生徒。怪我をした者。高齢の教師。荷物を運ぶ使用人。雨の日。式典の日。全てに関わります」
「……これを、スロープにするぞ」
その場が静かになった。
レイナが目を見開く。
エミールが資料を持つ手を止める。
ミレーヌのペン先も止まる。
バルドが階段を見上げた。
「姫様」
レイナが、ゆっくり口を開く。
「今、なんと?」
「スロープや」
リリアーナの指が、階段を指した。
黒スーツ清司も、同じように階段を指している。
「人が通れん場所で、交流すな」
リリアーナの声は低かった。
「春の交流会やる前に、道を作る」
ミレーヌが、黒革手帖を開く。
『学園現場視察。
初期発見事項:
既存スロープ、実用性低。
苦情の核:階段。
対応方針:スロープ建設』
「学園恋愛イベント予定地を、工事現場にするぞ」
「言い方」
ミレーヌが小さく言った。
だが、書いた。
『学園恋愛イベント予定地。
工事現場化予定』
「書くな」
「重要な方針ですので」
レイナは扇で口元を隠した。
だが、目は笑っていない。
本気で考えている目だった。
「……面白いですわ」
エミールも、資料を見下ろす。
「規定、許可、日程、人員、導線……全部組み直しだね」
「嬉しそうに言うな」
「少し、楽しい」
「好感度表の名残消えたと思ったら、工事管理に目覚めるな」
バルドは静かに頷いた。
「安全確認が必要です」
「頼む」
「傾斜、幅、滑り止め、雨天時、避難時。全て確認します」
「話が早い」
リリアーナは、白い大階段を見上げた。
乙女ゲームの学園。
恋愛イベントの本拠地。
キラキラした校舎。
爽やかすぎる王子。
古い階段。
意味の薄いスロープ。
積もっていた小さな不満。
リリアーナは、車椅子の上で、静かに言った。
「まず、ここからや」
こうして、リリアーナの学園現場視察初日は、
王子との再会でもなく。
甘い恋の予感でもなく。
スロープ建設業から始まった。
おいたわしいのは、
大階段で発生予定だった恋愛イベントである。




