第19話 現場報告
朝の訓練で、リリアーナは三歩歩いた。
一歩。
二歩。
三歩。
そして、椅子に座る。
倒れ込むようにではない。
バルドに抱えられるようにでもない。
自分の足で三歩進み、
自分の意思で腰を下ろした。
「……座れたな」
リリアーナの口から、低い声が漏れる。
横に立つ黒スーツ清司も、同じように椅子を見下ろしていた。
「はい。本日は、ここまでにいたしましょう」
「もう終わりか」
「終わり方が大切です」
「終わり方?」
「倒れて終わる訓練は、前進ではありません」
バルドは、淡々と言った。
「本日は、三歩歩き、自力で座れました」
「三歩で報告書作るなよ」
「作るのは、ミレーヌ殿です」
「作るな」
横で、ミレーヌはすでに黒革手帖を開いていた。
『姫様。
三歩歩行後、自力着席。
倒れ込みなし。
進捗:大』
「大か?」
「大です」
「三歩やぞ」
「三歩歩いて、座れましたので」
「……まあ、昨日より現場は荒れてへんな」
「姫様の体を現場扱いしないでください」
「現場やろ」
バルドは否定しなかった。
否定しないなりに、少しだけ満足そうだった。
そこへ、扉が叩かれた。
「姫様。セレスティア様がお見えです」
「早いな」
リリアーナの眉が、ぴくりと動く。
横の黒スーツ清司も、まったく同じ顔で扉を見た。
「昨日の今日やぞ」
「清司さんが、現場を見ろと仰ったので」
「俺が悪いみたいに言うな」
「実際、原因ではあります」
「言い方」
扉が開く。
入ってきたのは、セレスティア・ヴァレンティーヌだった。
通称、レイナ。
今日も背筋はまっすぐで、顔は強い。
そして、その後ろには、書類を抱えた令嬢が二人。
さらに、少し遅れて、エミール・クラウスが入ってきた。
手には、分厚い紙束。
「おはよう、リリアーナ」
エミールは、にこやかに微笑んだ。
リリアーナは、姫らしく微笑み返した。
完璧な姫スマである。
横の黒スーツ清司は、ものすごく嫌そうな顔をしていた。
「お久しぶりです、エミール様」
「昨日会ったばかりだよ」
「社交辞令です」
「割れてます」
ミレーヌが小さく言った。
「少しや」
「かなりです」
エミールは、手元の紙束を机に置いた。
「昨日、言われた通り、好感度表は破棄したよ」
「破棄したんか」
「写しは取ってある」
「取るな」
「記録として」
「未練としてやろ」
エミールは、少しだけ目を逸らした。
ミレーヌが黒革手帖に書く。
『エミール・クラウス様。
好感度表、本体は破棄。
写しは保持。
未練:あり』
「書かなくていいよ」
「重要な残留ですので」
「残留すな」
レイナが扇を開いた。
「ですが、人員表としては悪くありませんわ」
「ほう」
清司の声が低くなる。
レイナは机の上に、数枚の紙を並べた。
「春の交流会に向けた、学園内の配置案です」
「もう作ったんか」
「作れと仰ったのは清司さんですわ」
「言うたけど、早いな」
「現場は待ちませんもの」
「言い方がこっち側やな」
並べられた紙には、生徒の名前が細かく書かれていた。
班分け。
役割。
不満が出やすい組み合わせ。
休みがちな生徒。
発言が強い生徒。
人前に立つと固まる生徒。
荷物運びが得意な生徒。
人の間に入るのがうまい生徒。
そして、赤い印がついた箇所。
「これは?」
「苦情が溜まりやすい場所ですわ」
レイナが答える。
「場所?」
「はい。講堂前の階段。中庭へ続く渡り廊下。旧校舎側の出入口。食堂前の混雑」
ミレーヌのペンが、止まった。
「導線ですね」
「導線やな」
清司の目が細くなる。
エミールが少し誇らしげに紙を一枚出した。
「苦情受付表も作ってみたんだ」
「見せろ」
「はい」
紙には、こう書かれていた。
『不満内容』
『発生場所』
『関係者』
『対応者』
『再発可能性』
『備考』
リリアーナは、黙ってそれを見た。
「……好感度は?」
「消した」
「爆弾は?」
「不満に変えた」
「イベント未発生は?」
「未対応案件に変えた」
「言い方がまだちょっと怪しいな」
「努力はしたよ」
「まあ、前よりだいぶ健全や」
エミールの顔が、少し明るくなった。
「本当に?」
「人を攻略する表ではなくなっとる」
「……よかった」
「ただし」
リリアーナの口から、低い声が出る。
「人を数字だけで見るな」
エミールの背筋が伸びた。
「はい」
「表は現場を見るための道具や。現場の代わりちゃう」
「……はい」
ミレーヌが、静かに頷いた。
「記録します」
「するな」
「します」
「するんか」
レイナは次の資料を出した。
「こちらは、攻略対象……いえ、主要関係者の現場報告です」
「攻略対象言いかけたな」
「失礼。言葉が残っていましたわ」
「残すな」
紙束が、さらに増えた。
ノエル・グランヴェール。
『孤児院支援継続中。
パン、果物、石鹸、布を持参。
子どもたちの反応は良好。
ただし、水桶不足、柵の破損、衣類の不足あり。
ノエル殿下、見られる側から見る側へ移行中』
「チワワ、やっと見始めたな」
「清司さん」
「なんや」
「分類名は正式書類には入れていません」
「入れてたら問題や」
次。
レオン・アーヴァイン。
『春の交流会における警備導線案を提出。
ただし初案では、本人が正面で守る配置に偏りあり。
退路、救護導線、混雑時の分散に改善余地あり』
「命かける癖が配置に出とる」
次。
ルシアン・ヴァルモント。
『北方公爵家より、冬季移動・備蓄・街道凍結に関する資料あり。
本人の文面は詩的。
内容は一部有用。
氷魔法の運用次第で、保存・冷却・凍結防止に転用可能』
「文面が詩的なんいらんねん」
「氷の翼より参上いたしました、から始まっておりました」
「破棄しろ」
「本文は残します」
「翼だけ消せ」
次。
アレクシス・ローゼン。
『式典演出、会場装飾、視線誘導、貴族来賓対応に高い適性あり。
ただし本人の顔と美意識が前に出すぎる危険あり』
「顔がうるさい問題、まだ解決してへんな」
「解決というより、運用かと」
「兵器みたいに言うな」
次。
エリオット・グランヴェール。
『王太子として、学園側および貴族側との調整役が可能。
ただし言葉が美しくなりすぎる傾向あり。
実務へ落とす補佐が必要』
「守るとか支えるとか言う前に、許可取ってこいってことやな」
「はい」
次。
エミール・クラウス。
『人員表、苦情受付表、動線表の作成に適性あり。
好感度表の残留あり。
継続観察』
「残留って書かれてるね」
「残ってるからな」
「否定できないね」
次。
セレスティア・ヴァレンティーヌ。
『学園内の令嬢ネットワーク、班分け、派閥間調整に強い。
場が乱れることへの感度が高い。
現場担当として有用』
「自分のことも入れたんか」
「必要ですわ」
「ええ判断や」
レイナの耳が、少し赤くなった。
だが、扇で隠した。
リリアーナは机の上を見た。
人員表。
苦情受付表。
班分け案。
警備導線。
孤児院報告。
式典案。
北方資料。
学園内の混雑箇所。
そして、車椅子では通りにくい場所の一覧。
恋愛イベントの予定表だったものは、
いつの間にか、現場の地図になっていた。
「……これ、報告書だけでは足りんな」
リリアーナの口から、ぽつりと声が出た。
部屋が静かになる。
レイナが扇を少し下げた。
「何がですの?」
「現場や」
「現場?」
「見に行かなあかん」
エミールが目を丸くした。
「リリアーナが、学園へ?」
「歩いては無理や」
バルドがすぐに言う。
「当然です」
「当然言うな」
「三歩ですので」
「事実で殴るな」
ミレーヌが黒革手帖を開いた。
「車椅子の手配が必要ですね」
「車椅子か」
「はい」
清司は、少しだけ黙った。
かつてのリリアーナも、学園で車椅子を使っていたと聞いている。
だが、話を聞く限り、ひとりで動くことも多かった。
自分で車輪を押し、移動だけで体力を使い、見る余裕も、聞く余裕も、残す余裕もなかった。
それでは、現場は見えない。
「……ミレーヌ」
「はい」
「お前、学園まで来られるか」
「本来、専属侍女の常時同行は難しいかと」
レイナが答えた。
「学園には規則があります。侍女の同行は、身支度や送迎に限られることが多いですわ」
「正式に許可が要るということですね」
ミレーヌが静かに言う。
リリアーナは、すぐに頷いた。
「父王に話を通す」
全員が、少しだけ動きを止めた。
「父王陛下に?」
「リリアーナが学園へ戻る。車椅子で行く。現場を見るには、押す奴と記録する奴が要る」
リリアーナの指が、机を軽く叩いた。
「移動で体力を使い切ったら、何も見られへん」
「……」
「ミレーヌが押せ。記録しろ。俺は見る」
ミレーヌは、少しだけ目を伏せた。
「相棒ですので」
「今それ言うな」
「言います」
レイナが、扇の向こうで小さく笑った。
「では、父王陛下へ許可を」
「ああ」
リリアーナは、資料の山を見た。
学園へ行く理由はできた。
行かない理由も、山ほどある。
体は弱い。
歩けない。
規則もある。
前例もない。
けれど、現場はもう紙の上からはみ出していた。
「……行くか」
「父王陛下のもとへ、ですか?」
「ああ」
リリアーナの口から、低い声が出た。
「相棒の通行許可、取りに行く」
ミレーヌは、黒革手帖に書いた。
『姫様。
学園復帰準備。
目的:恋愛イベント参加ではなく、現場視察。
必要条件:
一、車椅子。
二、専属侍女ミレーヌの同行許可。
三、父王陛下への交渉。』
「恋愛イベント、消えかけてるな」
「順調です」
「順調なんか」
「はい」
こうして、
リリアーナは学園へ戻る準備を始めた。
まだ、三歩しか歩けない姫が。
車椅子で。
相棒を連れて。
乙女ゲームの本拠地へ行くために。
まずは、王の許可を取りに行くことになった。
おいたわしいのは、
まだ出番を待っている学園恋愛イベントである。




