第18話 貴族エミール
エミール・クラウスが、リリアーナの部屋へやって来た。
幼なじみを名乗る、上級貴族の青年である。
「リリアーナ」
「あぁ」
エミールの足が止まった。
「……あぁ?」
「座れ」
「え?」
「そこ座れ言うとんねん」
リリアーナは、向かいの椅子を指した。
姫らしい微笑みはない。
丁寧な挨拶もない。
横では、黒スーツ姿の清司が刀を肩に担ぎ、最初からエミールを睨んでいる。
ミレーヌは、いつものように黒革の手帖を開いた。
『エミール・クラウス様。
入室三秒。
姫スマなし』
「最初から書くな」
「重要ですので」
エミールは戸惑いながらも、椅子へ腰を下ろした。
「セレスティア嬢から聞いたよ。僕が、春の交流会の人事を担当するらしいね」
「せや」
「僕は、人事なんてしたことがないんだけど」
「表作るん得意なんやろ」
「表?」
「出せ」
「何を?」
「持ってきとるやつ全部や」
エミールの微笑みが、少しだけ固まった。
「ずいぶん急だね」
「はよせぇ」
「リリアーナ?」
「聞こえへんかったんか」
黒スーツ姿の清司が、無言で刀を抜いた。
エミールの肩から、袈裟斬りにする。
何も起きない。
だが、清司はもう一度斬った。
「清司さん」
ミレーヌの筆が動く。
『返答遅延。
二太刀』
「数えんでええ」
エミールには、何も見えていない。
リリアーナの横に誰もいないはずなのに、なぜか部屋の空気だけが重くなっていく。
「分かったよ」
エミールは革張りの手帳を取り出した。
「これは、君との関係を記録したものだ」
「貸せ」
「大切に扱ってね」
「内容見てから決める」
リリアーナは手帳を受け取り、最初の頁を開いた。
『リリアーナ様 好感度推移表』
部屋が静かになった。
黒スーツ姿の清司が、刀を振り上げる。
一太刀。
二太刀。
三太刀。
手帳ごとエミールを斬り始めた。
「なんちゅう表作ってんねん!」
リリアーナは頁を破り、思い切り丸めた。
「え?」
「好感度推移表てなんやねん!」
「関係性を分かりやすくしたものだよ」
「人の気持ちを点数にすな!」
丸めた紙を、ごみ箱へ投げる。
入った。
ミレーヌの筆が走る。
『好感度推移表。
廃棄完了』
「廃棄?」
エミールが目を見開いた。
「大切な記録なんだけど」
「知らん」
「何年もかけて作ったんだよ」
「余計怖いわ!」
リリアーナは、次の頁をめくった。
『月曜 紅茶の話題 +三』
『火曜 庭園で会話 +五』
『水曜 体調不良により接触不可 変動なし』
『木曜 好きな花の話題 +二』
『金曜 ノエル殿下接近 注意』
『土曜 ルシアン公爵接近 警戒』
『日曜 イベント未発生』
「おい」
「何かな?」
「イベント未発生てなんや」
「予定していた偶然の出会いが、起こらなかったんだ」
「予定しとったら偶然ちゃうやろが!」
黒スーツ姿の清司が、エミールを横一文字に斬った。
返す刀で、もう一度斬る。
さらに突いた。
『予定された偶然。
三太刀追加』
「ミレーヌ」
「はい」
「こいつ、今まで何回くらい斬られた?」
「九回です」
「まだ九回か」
「まだ?」
エミールが首を傾げた。
「何の話をしているんだい?」
「こっちの話や」
リリアーナは頁を破り、まとめて丸めた。
「ちょっと待って」
「待たん」
「それは、君がどの話題に反応するかを記録した大切な資料だ」
「今の俺見て、何に反応しとるか分かるか?」
「……怒っている?」
「表見んでも分かるやろ!」
丸めた紙をごみ箱へ投げる。
また入った。
「ちゃんと見ろ!」
リリアーナは、机を叩いた。
「目の前におる人間見んと、紙ばっかり見やがって!」
「僕は、ずっと君を見てきたよ」
「見てへん!」
エミールの笑顔が止まった。
「見とるんは、昔のリリアーナや」
「昔の?」
「体弱くて、お前に笑いかけて、お前が用意した話題に頷いとったリリアーナやろ」
「それは……」
「今ここにおる俺を見ろ!」
黒スーツ姿の清司が、刀の切っ先をエミールの顔へ向けた。
見えてはいない。
それでもエミールは、何かを感じたように息を止めた。
「俺が今、喜んどるように見えるか?」
「見えない」
「お前と仲良うなりたがっとるように見えるか?」
「……見えない」
「ほな、好感度いくつや」
エミールは答えなかった。
リリアーナは、残った手帳を机へ叩きつけた。
「測ってみぃや!」
「今は、かなり低いと思う」
「マイナス百や!」
「具体的だね」
「そこ記録すな!」
「癖なんだ」
「その癖を人に向けるな言うとんねん!」
黒スーツ姿の清司が、また斬る。
頭から一太刀。
胴へ二太刀。
最後に刀の柄で殴った。
『好感度への言及。
三太刀、一打撃』
「打撃まで数えんでええ」
「正確な記録です」
リリアーナは、手帳の後ろから折り畳まれた紙を見つけた。
「まだあるやんけ」
「ああ。それは特に重要なものだよ」
「重要?」
「人間関係の爆発を防ぐための表だ」
紙を開く。
『爆弾管理表』
リリアーナは黙った。
黒スーツ姿の清司も、刀を構えたまま止まった。
「……なんやこれ」
「未接触期間による不満の蓄積を、分かりやすく表したものだよ」
『三日 軽度不満』
『七日 中度不満』
『十日 爆発危険』
「爆弾表ってなんやねん!」
リリアーナは一瞬で紙を丸めた。
「待って!」
「誰が爆弾や!」
「人間関係を表した言葉だよ」
「人を爆発物扱いすな!」
「乙女ゲームでは、一般的な表現だけど」
「ここは現実や!」
丸めた爆弾管理表を、ごみ箱へ叩き込む。
黒スーツ姿の清司も、エミールを斬りまくった。
右。
左。
袈裟。
逆袈裟。
突き。
最後に首を刎ねる。
「清司さん」
「なんや」
「六連撃です」
「少ないな」
「少ない?」
エミールは、見えない何かから逃げるように少し椅子を引いた。
「さっきから、なぜか寒気がするんだけど」
「気のせいや」
「殺気では?」
ミレーヌが言った。
「ミレーヌ」
「はい」
「余計なこと言うな」
「記録上、殺気です」
「見えない誰かがいるのかい?」
「おる」
「いるんだ」
「俺の魂や」
「なるほど」
「お前も納得すんの早いな!」
エミールは、何もないはずのリリアーナの横を見た。
「その方は、僕を嫌っているのかな」
黒スーツ姿の清司が、即座に斬った。
「嫌っとるな」
「即答だね」
「表作らんでも分かるやろ」
「確かに」
「納得すな!」
リリアーナは、手帳の残りを乱暴にめくった。
『ライバル接触一覧』
『贈り物成功率』
『会話選択肢』
『偶然を装った接触予定』
『体調別対応一覧』
「まだあんのかい!」
一枚破る。
丸める。
捨てる。
「ライバル一覧いらん!」
破る。
丸める。
捨てる。
「贈り物成功率いらん!」
破る。
丸める。
捨てる。
「会話選択肢てなんや!」
「君が喜びやすい返答を――」
「人と喋る時まで攻略本見るな!」
破る。
丸める。
捨てる。
「偶然装うな!」
破る。
丸める。
捨てる。
「体調まで表にすな!」
「それは必要だと思うけど」
「医者ちゃうやろが!」
手帳の頁が、次々とごみ箱へ消えていく。
黒スーツ姿の清司も、そのたびにエミールを斬った。
ミレーヌの筆が追いつかない。
『ライバル一覧――廃棄。
贈り物成功率――廃棄。
会話選択肢――廃棄。
偶然を装った接触予定――廃棄。
体調別対応一覧――保留』
「保留ちゃう!」
「医療連携に転用できます」
「……それは置いとけ」
「残りましたね」
「使えるもんまで捨てる必要ないやろ」
エミールは、ごみ箱に積み上がった紙を見つめていた。
「ほとんど捨てられた」
「当たり前や」
「僕の何年分もの記録が」
「何年かけて人を攻略しとんねん」
「攻略ではなく、君を理解するためだよ」
「まだ言うか」
リリアーナは、身を乗り出した。
「ほな聞くぞ」
「何を?」
「俺が今、何考えとる」
エミールは、リリアーナを見た。
机を叩いた手。
鋭い目。
消えた笑顔。
ごみ箱に捨てられた、自分の記録。
「僕に腹を立てている」
「他には」
「表を捨てさせたい」
「他には」
「……昔の君ではなく、今の君を見ろと言っている」
「分かるやんけ」
エミールの目が、少しだけ動いた。
「表なくても分かるやろ」
「……そうだね」
「その目を、今まで何に使っとった」
「君を見るために」
「一人に使いすぎや!」
リリアーナは、春の交流会の資料を机へ放った。
「これ見ろ!」
エミールが、分厚い資料へ目を向ける。
「未提出者」
一枚置く。
「班分け」
一枚。
「派閥」
一枚。
「揉め事」
一枚。
「困っとる奴」
さらに一枚。
「お前が見るんは、こっちや!」
「学園全体を?」
「せや!」
「でも、僕は君を――」
「俺一人見て、何が守れんねん!」
エミールの言葉が止まった。
「俺が戻る学園がぐちゃぐちゃやったら、どうすんねん」
「……」
「王子らが好き勝手して、令嬢らが派閥で揉めて、役割も決まらん。俺の体調だけ表にして、そこへ戻す気か?」
「それは」
「俺を大事に思うんやったら、俺が戻る場所を整えろ!」
部屋が静まり返った。
黒スーツ姿の清司も、刀を肩へ戻した。
エミールは、初めてリリアーナから目を外し、机の上の資料を見た。
「戻る場所」
「せや」
「リリアーナが、学園へ戻るための場所」
「そこに俺だけおるんか?」
「……いない」
「何人おる」
「生徒と教員を合わせれば、かなりの人数がいる」
「ほな全員見ろ」
「全員」
「お前、細かいん得意なんやろ」
「得意だよ」
「人の予定覚えんのも」
「できる」
「関係性見るんも」
「できる」
「揉めそうなん分かるんも」
「分かると思う」
「ほな人事や」
エミールの眉が、少しだけ寄った。
「本当に、僕を人事にするつもりなんだね」
「最初から言うとる」
「僕の管理癖を使うのか」
「使うんちゃう」
リリアーナは、エミールを真っ直ぐに見た。
「持ち場に戻すんや」
エミールは黙った。
ミレーヌの筆が、静かに動く。
『エミール・クラウス様。
好感度管理から、人員管理へ配置転換』
「配置転換」
「せや」
「僕は、君の幼なじみだよ」
「それがなんや」
「もっと特別な役割があると思っていた」
「特別扱いしてほしいんか?」
「そういうわけでは」
「ほな仕事せぇ」
黒スーツ姿の清司が、無言で一太刀入れた。
「今のは?」
エミールが、なぜか肩を押さえた。
「甘えたから斬られた」
「やっぱり誰かいるんだね」
「おる言うたやろ」
「僕にも見えるようにならないかな」
「見えたらもっと斬られるぞ」
「それは困るな」
「もう斬られまくっとるけどな」
ミレーヌが頁を確認した。
「現在、二十八太刀です」
「二十八」
エミールが目を見開く。
「そんなに?」
「まだ足らん」
「清司さん」
「なんや」
「刃こぼれします」
「魂の刀に刃こぼれあるんか?」
「確認中です」
「確認すな」
リリアーナは、人員資料をエミールの前へ押し出した。
「三日や」
「三日?」
「春の交流会の人員表、三日で作れ」
「必要な項目は?」
「誰が何できるか」
「うん」
「誰と誰を組ませたら動くか」
「うん」
「誰と誰を離した方がええか」
「うん」
「揉めた時、誰を間に入れるか」
「うん」
「体調悪い奴、逃げ場いる奴、表出たくない奴も拾え」
エミールの表情が、少しずつ変わっていく。
柔らかな幼なじみの笑顔ではない。
細かい情報を頭の中で並べ始めた顔だった。
「未提出者の傾向も、分けていいかな」
「理由まで見ろ」
「忘れている者、決められない者、周囲を待っている者」
「せや」
「提出できない事情がある者も」
「おるやろな」
「派閥の影響も項目に入れる」
「派閥に従わせるためやないぞ」
「派閥を崩す配置を探すために」
リリアーナの目が、少しだけ細くなった。
「分かってるやんけ」
エミールは、机の上の資料へ手を伸ばした。
「面白そうだ」
「遊びちゃうぞ」
「分かっているよ。だけど、僕は表を作るのが好きなんだ」
「好感度やなかったら好きなだけ作れ」
「爆弾表は?」
「捨てたやろが!」
「苦情の蓄積表なら?」
リリアーナが止まった。
「……何やそれ」
「誰が、何に困っているか。どの段階で不満が大きくなるか。不満が爆発する前に拾う表」
ミレーヌの筆が止まる。
リリアーナは、エミールを見た。
「それや」
「いいの?」
「爆弾て書くなよ」
「苦情蓄積表」
「硬いな」
「困り事一覧」
「それでええ」
エミールは、すぐに手帳へ書き始めた。
「項目は、対象者、困っている内容、発生場所、関係者、緊急度、必要な対応」
「できるやんけ」
「表なら」
「最初からそっち作れや!」
「君のことしか見ていなかったからね」
「気色悪いこと堂々と言うな!」
黒スーツ姿の清司が、また斬った。
「二十九太刀目です」
「ミレーヌ、逐一報告せんでええ」
「節目ですので」
「何の節目や」
エミールは手帳へ書き込みながら、少しだけ笑った。
「今の君は、ずいぶん変わったね」
「悪いか」
「いや」
エミールは、初めて目の前のリリアーナを観察するように見た。
「昔より、分かりやすい」
「喧嘩売っとんのか」
「表にしなくても分かる」
「そういうことや」
「怒る時は、目が怖い」
「斬るぞ」
「見えない方が、もう斬っているんだよね」
黒スーツ姿の清司が、無言で首を刎ねた。
「三十太刀です」
「記念すな」
エミールは、春の交流会の資料を抱えた。
「三日後に持ってくるよ」
「好感度欄いらんぞ」
「入れない」
「ライバル欄も」
「入れない」
「イベント発生も」
「入れない」
「偶然装った接触予定」
「入れない」
「爆弾」
「困り事一覧にする」
「よし」
エミールは立ち上がった。
「リリアーナ」
「なんや」
「君のために、学園全体を見るよ」
リリアーナの眉が動いた。
「俺のためやない」
「では、学園のために」
「せや」
「その結果、君が戻りやすくなる」
「それでええ」
エミールは、少しだけ考えてから頷いた。
「分かった」
「ほんまに分かったんやろな」
「表を作って証明するよ」
「表以外でも証明せぇ」
「努力する」
「実行せぇ」
「はい」
エミールは資料を抱え、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
リリアーナは、深く息を吐いた。
「……なんちゅう表作っとんねん」
黒スーツ姿の清司も、刀を鞘へ戻した。
ミレーヌは、ごみ箱を覗き込む。
「好感度表」
「捨てろ」
「爆弾管理表」
「捨てろ」
「偶然を装った接触予定表」
「燃やせ」
「体調別対応一覧」
「医務室へ回せ」
「贈り物成功率」
「物資調達の資料に使えるか見ろ」
「ライバル一覧」
「派閥関係図に直させろ」
ミレーヌの筆が止まった。
「清司さん」
「なんや」
「結局、ほとんど使いますね」
「内容やなくて、向きが悪いんや」
「向き」
「一人に向けすぎやねん」
リリアーナは、ごみ箱の中の丸めた紙を見た。
「見る力あるんやったら、全体見させたらええ」
「なるほど」
ミレーヌは黒革の手帖へ書き込んだ。
『エミール・クラウス様。
現場復帰先――学園人事。
好感度表――人員表へ。
爆弾管理表――困り事一覧へ。
幼なじみ攻略――終了。
管理能力――学園全体へ転用』
「終了するんか?」
「させます」
「強いな」
「記録は武器ですので」
ミレーヌは、何事もなかったように紅茶を差し出した。
「紅茶、いりますか?」
「今、紙丸めすぎて喉乾いた」
「では、どうぞ」
「珍しく合うたな」
「相棒ですので」
「それ言いたいだけやろ」
春の交流会。
王子たちが微笑み、令嬢たちが胸を高鳴らせ、幼なじみが好感度を管理するはずだった学園行事。
その準備は今、丸められた好感度表の横で、人員表へ変わり始めていた。
この世界は今日も順調に、乙女ゲームから遠ざかっている。




