第17話 また来た
一時間後。
レイナが来た。
「はや!」
リリアーナの口から、清司の声が飛び出した。
横の黒スーツ清司も、まったく同じ顔で扉を見ている。
ミレーヌは、黒革手帖を開いた。
「早すぎますね」
「冷静に言うな」
「想定より四時間ほど早いです」
「想定してたんか」
「来るとは思っていましたので」
「来ましたわ」
レイナは、当然のように答えた。
背筋は真っ直ぐ。
表情は涼しい。
そして、その後ろには、取り巻き令嬢が三人。
全員、分厚い資料を抱えていた。
「春の交流会の資料をお持ちしました」
「多いな」
「少ない方ですわ」
「これで?」
「ええ」
リリアーナは、机の上に積まれていく資料を見た。
出欠表。
未提出者一覧。
課題提出状況。
班分け案。
派閥別注意事項。
過去三年分の交流会トラブル記録。
「学園、思ったより荒れてるやんけ」
「荒れているのではありません」
レイナは、きっぱりと言った。
「整っていないのです」
「それを荒れてる言うねん」
ミレーヌの筆が走る。
『王立学園。
表面上は華やか。
実態、段取り未整備』
「書き方に悪意がありませんこと?」
「事実です」
「なら仕方ありませんわね」
「納得するんかい」
リリアーナは、資料の一番上を見た。
そこには、春の交流会の参加予定者と、未提出者の名前が並んでいる。
「未提出、多いな」
「王子方の周辺が特に」
「やっぱりか」
「やっぱり?」
「いや、続けろ」
レイナは、すっと一枚の紙を差し出した。
「問題は、未提出そのものではありません。未提出を理由に、周囲が様子見を始めることです」
「様子見」
「ええ。王子方が出さないなら、まだ決めない方がいい。あの令嬢が出さないなら、同じ班にならないよう調整したい。誰が誰の隣になるかで、勝手に意味を読まれる」
「面倒くさ」
「学園ですので」
「学園で済ますな」
レイナは、次の資料を置いた。
「班分けも同じですわ。仲の良さで組ませると派閥が固まり、恋愛感情で組ませると揉めます」
「恋愛感情を班分けに入れるな」
「入ってくるのです。この世界ですので」
「乙女ゲームの弊害やな」
「弊害と言い切りますのね」
「言い切る」
レイナは、少しだけ口元を上げた。
「なら、役割で分けますわ」
黒スーツ清司の目が変わった。
リリアーナの体も、ほんの少し前へ傾く。
「役割?」
「ええ。誰と誰が仲が良いかではなく、誰が何をできるかで分けるべきです」
ミレーヌの筆が、止まった。
リリアーナは、レイナを見た。
昨日と同じだ。
この女は、恋愛で見ていない。
配置で見ている。
「具体的に言え」
「まず、仕切りたがる方は進行へ。ただし、発言時間を制限します」
「暴走防止やな」
「ええ。泣きやすい方は受付から外します。相手の感情に巻き込まれますので」
「裏方か」
「記録係がよろしいかと」
「ええやん」
「誰にでも優しい方は、調整役に置いてはいけません」
「なんでや」
「全員にいい顔をして、全員に誤解されます」
「それはあかん」
「揉めますわ」
「揉めるな」
ミレーヌの筆が、静かに走る。
『レイナ嬢。
人員配置視点あり。
性格傾向と役割不一致を認識』
「お前、ほんまに学園見てたんやな」
「見ざるを得ませんでしたの」
レイナの声が、少しだけ冷えた。
「誰も見ませんから」
部屋の空気が、一瞬だけ静かになった。
華やかな令嬢。
強い言葉。
高慢な態度。
その下にあるものが、少しだけ見えた。
場が乱れるのが嫌だった。
誰も責任を取らないのが嫌だった。
だから、強く立つしかなかった。
清司は、資料を一枚めくった。
「困ってる奴、他におるか」
レイナの目が、わずかに光った。
「おりますわ」
「特徴」
「詩を読みます」
「誰が」
「会議中に」
「会議中に詩読むな」
「本人は場を和ませているつもりですの」
「記録係に回せ」
「記録係ですの?」
「詩を書く手があるなら、議事録書けるやろ」
レイナは、少し黙った。
「……なるほど」
ミレーヌが書く。
『会議中に詩を読む者。
配置:記録係。
理由:書く手がある』
「次」
「何かにつけて剣を抜こうとする方がいます」
「学園で剣を抜くな」
「本人は護衛のつもりですわ」
「バルドの下につけろ」
「バルド様の?」
「一回、本物の護衛見せたれ。抜く前に立ち位置や」
「立ち位置」
「剣は最後や。まず位置、視線、退路、距離」
レイナは、ゆっくり頷いた。
「……それは、必要ですわね」
ミレーヌの筆が走る。
『剣を抜きたがる者。
配置:警備補助。
監修:バルド。
目的:剣より先に立ち位置を学ばせる』
「次」
「誰にでも優しくする方がいます」
「さっき言うてたやつか」
「ええ。令嬢三人に同じ言葉をかけ、全員に誤解されています」
「最悪やな」
「本人は善意です」
「善意が一番燃える時あるからな」
「燃えていますわ」
「受付禁止。個別対応も禁止。物資配布係に回せ」
「物資?」
「パンでも布でも資料でもええ。物を渡す係にしたら、言葉減る」
「なるほど」
「優しさを口で撒くな。手で配れ」
ミレーヌの筆が止まった。
「清司さん」
「なんや」
「名言っぽいです」
「書くな」
「書きました」
「早いわ」
レイナは、少しだけ目を細めた。
「優しさを、手で配る」
「盛るな」
「良い言葉ですわ」
「盛るな言うてるやろ」
「次、よろしいですか」
「まだおるんか」
「おりますわ」
レイナは、一枚の資料を上に出した。
「幼なじみを名乗る管理貴族です」
リリアーナの目が、止まった。
「管理貴族」
「リリアーナ様の予定、好み、交友関係、贈り物、過去の会話、体調の波まで、すべて表にしています」
黒スーツ清司が、机に両手をついた。
リリアーナの目も、同じ鋭さになる。
「……人を攻略しに来とるな」
「ええ。非常に面倒ですわ」
「名前は」
「エミール・クラウス」
ミレーヌの筆が、ぴたりと止まった。
「清司さん」
「なんや」
「攻略対象です」
「やっぱりか」
「分類しますか?」
「する」
リリアーナは、資料を見た。
細かい。
几帳面。
執着ではない。
管理だ。
好意の形をした、管理。
「そいつは、人事や」
「人事?」
レイナが聞き返した。
「好感度表を捨てさせろ」
「好感度表」
「人を攻略する表や。いらん」
黒スーツ清司は、資料の束を指で叩いた。
「人員表を作らせろ」
レイナの目が、わずかに見開かれた。
「人員表」
「誰が何をできるか。誰と誰を組ませたら動くか。誰をどこに置いたら揉めへんか。そっちを見させろ」
「……」
「過去のリリアーナを追うな。今の現場を見ろ。そう言え」
部屋が、静かになった。
ミレーヌの筆が、ゆっくり動く。
『エミール・クラウス。
分類:幼なじみ管理貴族。
問題:好感度管理。
現場復帰先:人事・配置管理。
指示:好感度表を捨て、人員表を作らせる』
レイナは、黒革手帖を見た。
それから、リリアーナを見た。
「……清司さん」
「なんや」
「やはり貴方、かなり危険ですわ」
「今のどこがや」
「人の使い方が、早すぎます」
「使うんちゃう。持ち場に戻すんや」
「それが危険なのです」
「なんでや」
「本人が、自分の役割に気づいてしまいますもの」
リリアーナは、少し黙った。
ミレーヌも、少しだけ目を伏せた。
その言葉は、思ったより重かった。
自分の役割に気づく。
それは、救いでもある。
同時に、逃げ道が消えることでもある。
リリアーナは、椅子の背にもたれた。
黒スーツ清司も、同じように腕を組み直す。
「逃げたい奴は逃げたらええ」
「意外ですわね」
「逃げ道ない現場は潰れる」
レイナが、少しだけ黙った。
「けどな」
リリアーナの口から、低い声が続く。
「立ちたい奴には、立つ場所が要る」
ミレーヌの筆が止まった。
レイナも、息を止めたように清司を見た。
「お前もそうやろ」
「……わたくしが?」
「場が乱れるのが嫌で、ずっと立ってたんやろ」
レイナの顔が、わずかに強張った。
「でも、一人で全部締めるには限界がある」
「……」
「せやから、配置する」
リリアーナは、資料を指で叩いた。
「立ちたい奴は立たせる。向いてへん奴は外す。見えてへん奴には現場見せる。喋りすぎる奴には手を動かさせる」
黒スーツ清司の目が、静かに光る。
「恋愛イベントやと思うから揉めるんや」
「では、何にするのです?」
「仕事にする」
レイナは、しばらく黙った。
そして、ふっと笑った。
それは、悪役令嬢の笑みだった。
高慢で。
美しくて。
少しだけ楽しそうな笑みだった。
「最低ですわね」
「褒めてんのか」
「かなり」
「褒め方が悪役やな」
「悪役令嬢ですので」
「受け入れるな」
ミレーヌの筆が走る。
『春の交流会。
恋愛イベントから業務イベントへ変更予定』
「変更するな」
「もう変わり始めています」
「怖いこと言うな」
レイナは、資料をさらに広げた。
「では、班分けを役割別に組み直しますわ」
「今日中に」
「当然ですわ」
「無理すんな」
「できる範囲で、ですわね?」
リリアーナは、少しだけ笑った。
「分かってるやんけ」
レイナの耳が、また少し赤くなった。
ミレーヌが、すかさず筆を動かそうとした。
「書かないでくださいませ」
「まだ何も」
「その顔は書く顔ですわ」
「鋭いですね」
「昨日も同じことを言いましたわ」
「記録にあります」
「あるんですのね」
「あります」
レイナは、資料を抱え直した。
「では、改めて組み直して参りますわ」
「ああ」
レイナが踵を返す。
その背中に、リリアーナの口から低い声がかかった。
「あ、あとな」
レイナが振り返る。
「なんでしょう」
「お前は悪役やない」
レイナの目が、止まった。
「逆や」
「……逆?」
「お前はちゃんと、情、持っとる」
部屋が、静かになった。
レイナの顔から、いつもの高慢な色が抜けた。
ほんの一瞬。
言葉を失ったように、黒スーツ清司を見つめる。
「……」
「それだけや。引き止めて悪かったな」
レイナは、返事をしようとした。
けれど、声が出なかった。
「セレスティア様?」
取り巻き令嬢が、慌ててその体を支える。
レイナは、胸元に手を当てた。
「……少し、眩暈が」
「なんでや」
ミレーヌが、静かに黒革手帖を開いた。
『セレスティア・ヴァレンティーヌ嬢。
通称:レイナ。
黒スーツ清司さんの容姿ではなく、清司さんの中身に反応』
「清司さん」
「なんや」
「悪役令嬢じゃなく、攻略対象に変わりました」
「何がや」
「絵が出ました」
「絵?」
「イベントスチルです」
「出すな」
「出ました」
「出すな言うてるやろ」
リリアーナは、資料の山を見た。
春の交流会。
学園の華やかな行事。
王子たちが微笑み、令嬢たちが胸を高鳴らせ、恋愛フラグが立つはずだった場所。
その予定表は今、机の上で人員配置表に変わろうとしている。
この世界は、今日も順調に、乙女ゲームから遠ざかっている。
おいたわしいのは、恋愛イベントの予定表と、絵が出てしまった元悪役令嬢である。




