第17話 恋愛より人員配置
一時間後。
レイナが戻ってきた。
「はや!」
黒スーツ姿の清司も、刀を肩に担いだまま扉を見た。
ミレーヌは黒革の手帖を開く。
「早すぎますね」
「冷静に言うな」
「もう少し、お時間がかかるかと思っておりました」
「戻ってくるとは思っとったんか」
「はい」
「戻って参りましたわ」
レイナは涼しい顔で背筋を伸ばした。
艶のあるダークブラウンの髪にも、ドレスにも乱れはない。ただし、その両腕には分厚い資料が抱えられていた。
「春の交流会の資料をお持ちしました」
「さっきも持ってきたやろ」
「先ほどは、リリアーナ様へお渡しするものです。こちらは運営側の資料ですわ」
「多いな」
「必要なものに絞りました」
「これで?」
「ええ」
ミレーヌが立ち上がり、資料を受け取った。
レイナは礼を言うと、机の上へ順番に並べ始める。
出欠表。
未提出者一覧。
班分け案。
準備担当者の一覧。
過去三年分の交流会トラブル記録。
最後の表紙を見て、リリアーナの眉が動いた。
「学園、思ったより荒れてるやんけ」
「荒れているのではありません」
レイナは、きっぱりと言った。
「整っていないのです」
「それを荒れてる言うねん」
ミレーヌの筆が走る。
『春の交流会。
表面上は華やか。
運営上の課題あり』
「書き方に悪意がありませんこと?」
「控えめにいたしました」
「でしたら、結構ですわ」
「納得するんかい」
リリアーナは、一番上の紙を手に取った。
参加予定者と、まだ返事を出していない者の名前が並んでいる。
「未提出、多いな」
「王子方の周辺が、特に」
「やっぱりか」
「やっぱり?」
「いや、続けろ」
レイナは一枚の紙を抜き、リリアーナの前へ置いた。
「問題は、未提出そのものだけではございません。周囲まで、様子見を始めることです」
「様子見」
「殿下がまだ決めていないのなら、自分も待とう。あの令嬢と同じ班になるなら、希望を変えよう。誰が誰の隣へ座るかだけで、意味を読まれます」
「面倒くさ」
「学園ですので」
「学園で済ますな」
「実際、そうなのですもの」
レイナは、次の資料を広げた。
「仲の良い者だけで組ませれば、同じ顔ぶれになります。想いを寄せる相手の希望まで聞けば、いつまでも決まりません」
「恋愛感情を班分けに入れるな」
「勝手に入ってくるのですわ」
「乙女ゲームの弊害やな」
「言い切りますのね」
「言い切る」
レイナは、少しだけ口元を上げた。
「でしたら、役割から考えます」
リリアーナが顔を上げる。
「誰の隣がいいかではなく、何を担当できるか、ですわ」
「具体的には」
「進行、受付、記録、案内、物品の管理。それぞれに必要な人数を決め、できる方へ頼みます」
ミレーヌの筆が、静かに動いた。
「仕切りたがる方を進行役に置く場合は、時間と進め方を先に決めておきます。好きに話し始めると、終わりませんので」
「暴走防止やな」
「ええ。それから、苦情を強く言われると、返事ができなくなる方がいます」
「受付に一人で置いたらあかんな」
「ですから、記録や準備の方が落ち着いてできるか、本人に確認するつもりです」
「ええやん」
「誰にでも、その場で頷いてしまう方にも注意が必要ですわ」
「何でも引き受けるんか」
「同じ時間に、三人のお手伝いを約束なさいます」
「体、一個やろ」
「ええ。毎年、一個です」
「今年も一個やな」
「ですから、今年は予定を先に確認いたします」
黒スーツ姿の清司の口元が、僅かに緩んだ。
「ほんまに、よう見とるな」
「見ざるを得ませんでしたの」
レイナの声が、少しだけ冷えた。
「最後になって、誰もできないと分かっても困りますもの」
彼女は担当者の一覧へ目を落とした。
「学園へ戻りましたら、先ほどの三人にも確認を頼みます。受付で困ったこと、足りない備品、案内に必要な人数。それぞれ、聞く相手を分けますわ」
清司は、その紙を見ていた。
誰に、何を頼むか。
すでに小さな字で書き添えてある。
自分一人で抱え直すつもりはないらしい。
「ほかに、困っとる奴は」
「おりますわ」
「どんな奴や」
「会議中に、詩を読む方がいます」
「会議中に詩読むな」
「本人は、場を和ませているつもりですの」
「開会の挨拶にでも回せ」
「挨拶ですの?」
「読む時間決めて、そこだけ任せたらええ。会議中は、議題の話や」
レイナは、少し考えた。
「……最初から、読む場所を用意するのですわね」
「人前で読みたいんやろ」
「ええ」
「なら、勝手に差し込むな言えるやん」
ミレーヌが書き込む。
『会議中に詩を読む者。
朗読の時間を別途検討』
「詩、追放せんでええからな」
「はい」
「次」
「何かにつけて、剣へ手をかける方がいます」
「学園で何しとんねん」
「本人は、護衛のつもりですわ」
「それ、先に止めろ。先生にも言うとけ」
「注意はされております」
「バルドに話聞けるか、俺から相談するわ」
「バルド様へ?」
「本物の護衛が、どこ見て立っとるか。一回見せた方が早いやろ」
レイナは、ゆっくり頷いた。
「剣の腕前ではなく?」
「まず位置と距離や。誰の邪魔にもならんところに立つ。それができてへんのに、抜くな」
「……必要ですわね」
ミレーヌの筆が走る。
『剣を抜きたがる者。
教員へ再確認。
バルドへ指導の相談』
「次」
「三人の令嬢へ同じ言葉をかけ、全員に誤解されている方がいます」
「最悪やな」
「本人は、励ましただけだそうです」
「何て言うたんや」
「君だけは、放っておけないと」
「三人に?」
「三人に」
「だけ、増やすな」
ミレーヌが、僅かに顔を伏せた。
「笑うな」
「申し訳ありません」
「お前、今日それ何回目や」
レイナも扇を口元へ寄せた。
リリアーナは二人を見たが、先を続けた。
「そいつ、行事の手伝いはするんか」
「頼めば、快く引き受けます」
「なら、配布物の準備とか頼め。言葉だけやなくて、手も動かしてもらえ」
「資料の仕分けが残っておりますわ」
「ちょうどええやん」
「令嬢三人も、手伝いたがるのでは?」
「担当する時間分けろ。あと、本人には言うとけ」
「何をですの?」
「優しくしたいなら、誤解されたあとも放っとくな」
レイナは、短く頷いた。
「そこは、きちんと申し上げます」
「頼むわ」
ミレーヌの筆が止まる。
「清司さん」
「なんや」
「本日は、恋愛相談も扱っております」
「揉め事の後始末やろ」
「分類上は」
「分類増やすな」
レイナは、さらに一枚の紙を抜いた。
「もうお一人、よろしいですか」
「まだおるんか」
「幼なじみを名乗る、管理王子です」
リリアーナの目が止まった。
「管理王子」
「エミール・クラウス殿下ですわ」
ミレーヌが顔を上げる。
「好感度表の方ですね」
「知っとるんか」
「先日、殿下方がお話しされていました」
「あぁ。爆弾の奴か」
レイナの眉が上がった。
「そこまで、ご存じでしたの」
「人の感情を危険物扱いしとる奴やろ」
「否定しにくいですわね」
レイナが出したのは、エミールから届いた出欠の返答だった。
参加は決まっている。
余白には、ほかの者の希望や、話し合いで揉めそうな組み合わせまで書き添えてあった。
「細かいな」
「リリアーナ様の予定も、好みも、以前どなたと何を話したかも、よく覚えていらっしゃいます」
「怖っ」
「会話のなかった日数まで」
「もっと怖っ」
「殿下に尋ねれば、誰が何を嫌がるかも分かります。ただし、話が最後には、必ずリリアーナ様へ戻ります」
清司は、紙へ目を落とした。
字は細かいが、読みやすい。
項目も揃っている。
余白の使い方まで、几帳面だった。
「そいつ、配置考える方に回せそうやな」
「配置ですの?」
「誰が何できるか。いつ手が空いとるか。どこに人が足りんか。そういう表、作れるやろ」
レイナが、紙を見直す。
「好感度ではなく、人員表」
「せや。人のこと、よう覚えとるんやったら、行事の方でも使えるやん」
「……なるほど」
「ただ、本人にも聞けよ。勝手に知っとるつもりで決められたら、嫌やろ」
レイナは頷いた。
「できることと、引き受けられることは、別ですものね」
「分かっとるやん」
彼女の耳が、また少し赤くなった。
ミレーヌが筆を動かしかける。
「今は、殿下の記録ですわよ」
「承知しております」
「でしたら、続けてくださいませ」
ミレーヌは、涼しい顔で書いた。
『エミール・クラウス殿下。
人員配置、予定の整理に適性の可能性あり。
本人及び担当者への確認が必要』
「そいつとは、一回話したいな」
「学園へお越しになれば、お会いできますわ」
「部屋まで来るやろ、どうせ」
「……その可能性は、高いですわね」
「全員そうやんけ」
レイナが、少し笑った。
「清司様」
「様いらん」
「人の使い方を、よく考えられますのね」
「仕事やったからな」
「ですが、役割を見つけられた方は、断りにくくなりますわ」
リリアーナは、彼女を見た。
「断ってええやろ」
「意外ですわね」
「向いとっても、今できるとは限らんやん」
「……ええ」
「逃げ道のない現場は潰れる」
レイナは、少し黙った。
机に並んだ紙へ、目を落とす。
「お前もやぞ」
「わたくしが?」
「できるからって、全部回ってきたらしんどいやろ」
レイナは答えなかった。
「せやから、分けるんや。立ちたい奴には、立つ場所作ったらええ。一人で全部立っとらんでええようにな」
黒スーツ姿の清司は、刀を肩へ担いだまま、彼女を見ていた。
張り合おうとする目ではない。
こちらを従わせようとする目でもない。
レイナは、そっと息を吐いた。
「……分かりましたわ」
「お前、もう分けて考えとるやん」
リリアーナは、担当者の一覧を見た。
「そのままでええ」
レイナは、僅かに顎を上げた。
「当然ですわ。わたくし一人では、確認に時間がかかりますもの」
「せやな」
「皆さんにも、手伝っていただきます」
そう言って、新しい班分け案を広げた。
「では、先に必要な役割を整理いたします」
「恋愛の希望は、後やな」
「全部聞いていては、終わりませんわ」
「仕事にした方が早いやろ」
レイナが、ふっと笑った。
気の強い目を細める。
整った口元に浮かんだ笑みは、少しだけ意地が悪かった。
「夢のない交流会ですこと」
「仕事終わってから喋ったらええやん」
「……それは、そうですわね」
ミレーヌの筆が走る。
『春の交流会。
恋愛イベントから、役割分担のある行事へ』
「元から行事やろ」
「ようやく、本来の姿へ」
「書き方や」
レイナは、資料を三つに分けた。
「こちらは教員へ。こちらは準備担当者へ。エミール殿下には、人員表の件をご相談します」
「今日は、そこまででええやろ」
「ええ。返事が揃ってから、案を直します」
「無理すんなよ」
「できる範囲で、ですわね?」
清司が、少しだけ笑う。
「分かってるやんけ」
レイナの指が止まった。
今度は扇を落とさなかった。
机の端に、きちんと置いていたからである。
ミレーヌが、そちらを一度だけ見た。
「落下対策も済んでおりますね」
「何のお話ですの」
「扇です」
「たまたまですわ!」
「まだ何も言うてへんやろ」
「お二人とも、何かおっしゃりたそうでした!」
清司が、低く笑った。
レイナは扇を取り、残していく書類を揃えた。
「復帰に必要な資料は、そのままお使いください。こちらの運営資料は、確認後にまた持って参ります」
「分かった」
残りの束を抱えて、扉へ向かう。
「あ、レイナ」
「何でしょう」
「さっき、悪役言うたけど」
彼女が足を止めた。
「お前、情あるな」
レイナの表情が変わった。
「……何ですの、急に」
「俺が戻る場所、残しとったやろ」
リリアーナは、机の配置図を指した。
「面倒や言いながら、ちゃんと考えとる」
「それは、必要ですから」
「必要でも、誰もせんことあるやん」
レイナは口を閉じた。
「お前は、やっとったんやろ。助かるわ」
黒スーツ姿の清司も、僅かに頷いた。
それだけだった。
大げさな言葉も、綺麗な約束もない。
ただ、自分が残していた席を、見つけられた。
レイナは、抱えた資料へ少しだけ力を込めた。
「……当然のことですわ」
「おう。頼むな」
「承知いたしました」
返事をして、扉へ向き直る。
しかし、すぐには動かなかった。
「……少し」
「なんや」
「待ってくださいませ」
レイナは資料を片腕へ寄せ、扇を開こうとした。
紙の端が、僅かに滑る。
ミレーヌが静かに手を添えた。
「お持ちいたします」
「……ありがとう」
両手が空くと、レイナはようやく扇を開いた。
口元は隠れた。
だが、耳までは隠れなかった。
ミレーヌがリリアーナを見る。
「清司さん」
「なんや」
「絵が出ました」
「絵?」
「イベントスチルです」
「出すな」
「出ております」
「どこにや」
「今、目の前に」
ダークブラウンの髪を揺らし、赤い顔を扇で隠した令嬢。
その目だけが、帰る間際まで黒スーツ姿の清司を追っている。
清司は、少し眉を寄せた。
「仕事の話しとっただけやぞ」
「はい」
「何でそうなるねん」
「それがよろしかったのでは」
「解説せんでええ」
「全部聞こえておりますわよ!」
レイナの声に、ようやくいつもの勢いが戻った。
「では、失礼いたします!」
「あぁ」
「また、ご報告に参りますわ!」
「分かった」
ミレーヌから資料を受け取り、今度こそ扉を開ける。
硬い靴音が、廊下の向こうへ遠ざかっていった。
部屋に静けさが戻る。
リリアーナは、椅子へ深く背を預けた。
「……有能やな」
「はい」
「学園のこと、だいぶ助かるわ」
「皆様にも、お仕事を分けられそうですね」
「あぁ。一人で全部見とったら、そらきついわ」
ミレーヌは、黒革の手帖を閉じた。
それから、少しだけ声を落とす。
「奥さんがいらっしゃる事は伏せた方が良いかと」
リリアーナは、彼女を見た。
この世界では、リリアーナの姿で生きている。
前の人生のことまで、誰にでも話す必要はなかった。
「そやな、お前とバルドだけでええ」
「承知しました」
ミレーヌは手帖を開かなかった。
清司も、それ以上は言わなかった。
机の上には、学園の配置図が残っている。
車椅子で通れる廊下。
途中で休める部屋。
まだ確認の必要な段差。
その一つずつを、レイナが調べてくる。
清司は、図面へ目を戻した。
「……戻れそうやな」
「はい」
ミレーヌが、新しい紅茶を置いた。
今度は清司も何も言わず、カップを受け取った。
春の交流会。
王子たちが微笑み、令嬢たちが胸を高鳴らせるはずの行事は、まず必要な人数を数えるところから、組み直されることになった。




