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任侠の若頭だった俺、なぜか乙女ゲームのヒロインになりました――ふわ姫若頭  作者: 夜嶋朔
第一章 現場復帰編

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第16話 こっち側の女

 悪役令嬢は、帰らなかった。


 正確には、一緒に来た三人の令嬢を先に帰した。


「貴女たちは、お戻りなさい」


「ですが、セレスティア様」


「リリアーナ様とは、もう少しお話がありますの」


 三人の令嬢は戸惑いながらも、深く礼をした。


 扉が閉まる。


 部屋に残ったのは、リリアーナ、ミレーヌ、セレスティア。


 そして、黒スーツ姿の清司である。


 普通に数えれば三人。


 だが、圧は四人分あった。


 セレスティアは、またリリアーナの横へ目を向けた。


 黒いスーツ。


 緩めた襟元。


 肩に担いだ、鞘入りの刀。


 王子たちのような宝石も、金の刺繍もない。


 それでも、目が向いてしまう。


 清司が僅かに顔を傾けると、黒い前髪の隙間から、静かな目がこちらを見た。


「見すぎや」


 リリアーナが言った。


「見ておりませんわ」


「ずっと見とるやろ」


「珍しい魔術現象を観察しているだけです」


「顔赤いぞ」


「部屋が暑いのですわ!」


 ミレーヌの筆が動いた。


『セレスティア嬢。


 黒スーツ姿の清司さんを観察中。


 室温――変化なし』


「室温まで書かないでくださいませ!」


「先ほどとの比較です」


「お前も楽しんどるやろ」


「少しだけ」


「認めるな」


 セレスティアは咳払いをし、机の上の書類へ目を向けた。


「それで、学園復帰についてですが」


「その前に聞きたいことある」


「何ですの?」


 リリアーナは、椅子へ背を預けた。


「交流会とか班分けとか、俺が休んどるから困っとんのか?」


 セレスティアの眉が、わずかに動いた。


「決められないことは、ございますわね」


「何が止まっとる」


「リリアーナ様を、どの班へお迎えするかです」


「俺抜きで決めたらええやろ」


「ほかの方々の班分けは、進めております」


 セレスティアは、一枚の書類を取った。


「ですが、途中から戻られる場合にも備えなければなりません」


「俺が入る場所か」


「ええ。それから、付き添いの方の位置」


 次の紙を並べる。


「車椅子で通れる経路。休憩できる部屋。担当教員への連絡。医務室との連携」


「多いな」


「座席を一つ空ければ済む話ではございませんもの」


 リリアーナは、並べられた紙を見た。


 教室の配置図には、小さな印がついている。


 階段。


 段差。


 扉の狭い場所。


 まだ確認が必要な箇所には、違う色の線が引かれていた。


「これ、お前が調べたんか」


「以前、リリアーナ様が通われていた時にも、不便な場所がございましたので」


「そのまま覚えとったんやな」


「同じところで、また困られても面倒でしょう」


 言い方は、相変わらずだった。


 だが、書類は丁寧だった。


「交流会は?」


「出席されるかどうかで、準備が変わりますわ」


「欠席で進めたらええ。間に合わんのに待たせる方が悪い」


「では、出欠のお返事には、そのように」


 セレスティアが紙を一枚、脇へ分けた。


「ただし、学園へ戻られた時の席まで、なくすつもりはございません」


「席?」


「班も、役割も、人間関係も。すべて固まったあとで戻れば、入りにくくなりますもの」


 彼女は、当然のように続けた。


「途中からでも入れるよう、担当教員と相談しております」


 部屋が、少し静かになった。


「俺のために?」


「ほかに、どなたがいらっしゃいますの」


「……お前」


「何ですの?」


「ちゃんと現場見てるやんけ」


 セレスティアの指が止まった。


 横に立つ黒スーツ姿の清司も、刀を肩に担いだまま、彼女を見ていた。


「……当然ですわ」


「ただ文句言いに来たんか思った」


「失礼ですわね!」


「でも、違ったな」


 リリアーナは、配置図へ目を戻した。


「俺が戻ったあと、どこで詰まるか。誰に先に話しとかなあかんか。そこまで見とる」


 セレスティアは何も言わなかった。


「よう見とるわ」


 頬に、ゆっくりと色が差す。


 魔術の成績を褒められることはある。


 家柄も、容姿も、立ち居振る舞いも。


 だが、階段の前で車椅子が止まることや、班へ入れずに困る者のことを考えていた自分に、こんな言葉が返ってくるとは思っていなかった。


「……この程度」


 扇で口元を隠す。


「フォンテーヌ公爵家の令嬢なら、当然ですわ」


「家の話ちゃう」


「では、何ですの?」


「お前の話や」


 扇を握る指に、力が入った。


 黒スーツ姿の清司と、また目が合う。


 こちらを持ち上げようとしている顔ではなかった。


 見たものを、そのまま言っている。


 それが、余計に困った。


「もう一個、聞いてええか」


「……どうぞ」


「王子ら、どう見とる」


「どなたのことですの?」


「最近ここ来とる奴らや。学園での様子、俺は知らんからな」


「なぜ、わたくしに?」


「お前なら見とるやろ」


 セレスティアは、扇を閉じた。


「……よろしいですわ」


 背筋を伸ばす。


「まず、エリオット殿下」


「あぁ」


「言葉が先に出ますわね」


「出るな」


「守る。支える。大切にする。お気持ちは、本当なのでしょうけれど」


「その先がないんか」


「ええ。誰に何を頼み、何を準備するのか。そこまで尋ねると、考えていらっしゃらないことが多いですわ」


 リリアーナは短く頷いた。


「今、そこ覚えとるところや」


「覚えていただかなくては、困ります」


「言うなぁ」


「王太子ですもの」


 清司の口元が、僅かに緩んだ。


「レオンは」


「グランツの王子殿下は、すぐに命をかけますわ」


「言うな」


「その前に、考えていただきたいです」


「何を」


「生きたまま、最後まで守り切る方法を」


 リリアーナの指が、肘掛けの上で止まった。


「死ぬと決めるより、そちらの方が難しいでしょう」


 セレスティアは静かに続けた。


「騎士としてお仕事をなさるのでしたら、なおさらですわ」


 黒スーツ姿の清司が、少しだけ顎を引いた。


「……せやな」


「何ですの?」


「いや。分かっとるやん」


 セレスティアの頬が、また赤くなる。


「まだ、途中ですわ!」


「続けろ」


「ルシアン殿下」


「うん」


「寒いですわ」


「知っとる」


「部屋へ入ってこられると」


「物理の話かい」


「発言もです」


「そっちも知っとる」


 ミレーヌの筆が動く。


 セレスティアは、少し眉を寄せた。


「ただ、領地のお話になると、こちらが尋ねるまで何もおっしゃいません」


「あぁ」


「無駄な話を省くのと、必要な報告を省くのは、別でしょう」


「ほんまそれやな」


「北方を預かる公爵でもいらっしゃるのです。神秘性より街道ですわ」


 指を一本、立てる。


「氷の翼より穀物」


 もう一本。


「詩より報告書」


「ええやんけ」


「何がですの?」


「お前、本人にもそれ言うたれ」


「申し上げましたわ」


「言うたんかい」


「水を出されました」


 リリアーナが吹き出した。


「何でや」


「喉が渇いているのだろう、と」


「話、聞いとらんな」


「ですから、もう一度申し上げました」


「強いな、お前」


「聞こえなかった可能性もございますので」


 ミレーヌの肩が震えた。


「笑うな」


「申し訳ありません」


「今日よう笑うな」


「勉強になります」


「何のや」


 セレスティアは扇を持ち直した。


「ですが、言い直せば聞いてくださいます。そこは、悪くありませんわ」


「せやろ。今、街道の件で動いとる」


「北方の?」


「あぁ。補修と輸送の状況、報告持ってきとったで」


 セレスティアの目が、少し大きくなった。


「……そうですの」


「間違えたままにせんかったら、それでええ」


 セレスティアは清司を見た。


 駄目なところを見つけて、終わりにしない。


 直せる部分を見ている。


 その言い方を、少しだけ胸に留めた。


「アレクシスは?」


「ナルシストですわ」


「せやな」


「顔がうるさい」


「せやな」


「ですが、人と話す場には向いております」


 リリアーナが、顔を上げた。


「どの辺が」


「相手の好きなものを見つけるのが、お上手ですわ」


 セレスティアは迷わず答えた。


「気難しい方でも、ご機嫌で話し始めます。あれは、美しい顔だけではできません」


「ちゃんと見とるな」


「式典に立たせておくだけでは、もったいありませんわ」


「何させる」


「この国の工芸品などを、ご紹介いただけばよろしいでしょう。品物の良いところを見つけて、相手に伝える役です」


 清司の口元が、ゆっくり上がった。


「俺と同じこと考えとるやんけ」


 セレスティアが固まる。


「……同じ?」


「職人の作ったもん、欲しい相手に紹介する話しとったんや。昨日も、貴族に欲しいもん聞いてこい言うて」


「すでに?」


「あぁ」


 セレスティアは、黒スーツ姿の清司を見た。


 端正な顔。


 静かな黒い目。


 最初は、それに目を奪われた。


 けれど今は、話を聞くたびに、また見たくなる。


 自分が役に立つと思っていたところへ、この人も目を向けていた。


 しかも、もう本人へ話している。


「……素敵ですわ」


「何がや」


「何でもございません!」


「声出とったぞ」


「独り言です!」


「記録済みです」


「ミレーヌ!」


「聞こえましたので」


「聞こえても、書かなくて結構ですわ!」


 リリアーナは笑いを収め、次の名を出した。


「ノエルは」


「見られたがりの十八歳ですわ」


「刺すな」


「事実ですもの」


「ほかには」


「見る練習が必要でしょうね」


 リリアーナの目が、少し細くなる。


「何を見る」


「ご自分以外を」


 セレスティアは答えた。


「誰が見てくれたか。誰が褒めてくれたか。そればかり気にしていらっしゃいますから」


「あぁ」


「街でも、孤児院でも、農村でも。自分に構う余裕のない方と、お会いになればよろしいのです」


「お前なら、そうするんやな」


「ええ。まずは、相手が何をしているのか、ご覧になるべきですわ」


 リリアーナは、しばらく黙っていた。


 昨日、ノエルを孤児院へ送った。


 見てほしければ、まず自分が見ろと。


 狙いは、同じだった。


「……ミレーヌ」


「はい」


「こいつ、こっち側や」


「はい」


「人材や」


「記録いたします」


 ミレーヌの筆が走る。


『セレスティア・フォンテーヌ嬢。


 通称――レイナ。


 王子殿下方の長所と課題を把握。


 分類――こっち側』


「こっち側とは、何ですの?」


「人見て、仕事考えられる側や」


「……それは、褒めていらっしゃるの?」


「褒めとる」


 あまりに短い返事だった。


 セレスティアは、用意していた言葉を失った。


「ノエル、昨日行ってきたで」


「どちらへ?」


「孤児院。バルドと一緒にな」


「……本当に?」


「あぁ。服と靴が足りんとか、柵が壊れとるとか。ちゃんと見て、報告持って帰ってきた」


 セレスティアは、少しだけ目を伏せた。


「そうですの」


「嬉しそうやな」


「何も知らないままより、よろしいでしょう」


「せやな」


「それに、ご自分で見たのでしたら、わたくしが何度申し上げるより覚えるはずですわ」


 リリアーナは、彼女を見た。


 きつい言葉は、よく出る。


 だが、できたと聞けば、それを認める。


 相手が駄目なままでいてほしいわけではないのだ。


「やっぱり、お前に聞いてよかったわ」


 セレスティアの指が、扇を握り直した。


「……当然です」


 いつものように顎を上げる。


 だが、声には先ほどほどの勢いがなかった。


 ミレーヌが、そっと手帖へ書く。


『仕事への評価に、反応大』


「見えておりますわよ」


「隠しておりませんので」


「少しは隠しなさいませ!」


「書かん方が早いやろ」


 リリアーナが言うと、セレスティアは勢いよく頷いた。


「その通りですわ!」


「では、頭の中へ」


「もっと嫌ですわ!」


 清司が、低く笑った。


 肩へ刀を担いだまま、僅かに俯く。


 前髪が目元へ落ち、笑いを収めた唇に、まだ柔らかさが残っていた。


 セレスティアは、またそこを見てしまった。


 困る。


 話が通じるだけでも、嬉しかった。


 そのうえ、こんな顔をする。


「……何や」


「何でもございません」


「さっきから、そればっかりやな」


「お気になさらず!」


 セレスティアは、机の資料をまとめ始めた。


「復帰に必要な確認事項は、こちらへ残します。学園側への問い合わせは、わたくしが持ち帰りますわ」


「頼む」


「お返事が揃いましたら、また伺います」


「急がんでええとこまで急がすなよ。授業もあるやろ」


「分かっております」


「お前一人で全部せんでええからな」


 セレスティアの手が止まった。


「担当教員と、学園で手伝える奴。誰に何頼むか、分けとけ」


「……そのつもりですわ」


「なら、任せる」


 任せる。


 その言葉に、セレスティアは顔を上げた。


 黒スーツ姿の清司も、同じ目で彼女を見ていた。


 家の名前へ向けられた言葉ではなかった。


 首席の成績だけを頼られたわけでもない。


 持ってきた紙を見て。


 話を聞いて。


 そのうえで、任せると言われた。


「承知いたしました」


 今度は、声が揺れなかった。


「学園側の段取りは、わたくしにお任せくださいませ」


「おう」


 ミレーヌの筆が動く。


『セレスティア嬢。


 学園との連絡、復帰準備の調整に協力。


 任せられる人材』


 セレスティアが覗き込む。


「……そこは、残しておいて結構です」


「急に許可出すやん」


「必要な記録ですもの」


「都合ええな」


 ミレーヌが、その下へ一行足そうとした。


「ただし、その先は不要ですわ」


「まだ書いておりません」


「筆の角度で分かります!」


「お前ら、もう話早いな」


 セレスティアは資料を抱え、立ち上がった。


「では、失礼いたします」


「あぁ」


 扉へ向かい、途中で振り返る。


「清司様」


「様いらん」


「また、報告に参りますわ」


「分かった」


「わたくしが説明いたしますから」


「忙しかったら、書面でもええで」


「わたくしが説明いたします!」


「何で必死やねん」


「責任感ですわ!」


 扉が閉まった。


 硬い靴音が、廊下の向こうへ遠ざかっていく。


 リリアーナは、椅子へ深く背を預けた。


「……何であんな赤なるんや」


「分かっておられるでしょう」


「顔、気に入っただけちゃうんか」


「それだけなら、もう少し楽だったでしょうね」


「誰がや」


「セレスティア様が」


 ミレーヌは、何事もなかったように紅茶を注いだ。


「あの方、お仕事の話を聞いてもらえて、嬉しそうでした」


「ちゃんと考えとったからな」


「はい」


「書類も、ようできとった」


「そこを見て、褒められましたので」


 リリアーナは、閉じた扉へ目を向けた。


「普通に言うただけやぞ」


「清司さんは、そうでしょうね」


「……恋愛する気ないねんけど」


「存じております」


「めんどくさい事にせんといてくれよ」


「私は記録しかしておりません」


「それが一番めんどくしとるやろ」


 ミレーヌは、黒革の手帖を閉じた。


「ですが、頼りになる方です」


「あぁ。それは、間違いないわ」


 学園の様子を知っている。


 人を見ている。


 戻るために必要なものを、先に考えている。


 気は強い。


 言葉もきつい。


 だが、仕事の話は通じた。


 リリアーナが、残された配置図へ手を伸ばす。


 ミレーヌはそれを手元へ寄せ、代わりに紅茶を置いた。


「先に、休憩です」


「今から見よう思ったのに」


「セレスティア様と、かなり長くお話しされましたので」


「……せやな」


「相棒ですので」


 紅茶が、少しだけ近づく。


「また、その流れで出すんか」


「落ち着きますので」


「焼き菓子まで出すなよ」


 ミレーヌの手が止まった。


 盆の上には、小さな皿が一枚載っていた。


「用意しとんかい」


「相棒感を」


「紅茶で十分や!」


 悪役令嬢は、ようやく帰った。


 持ち帰ったのは、学園へ確認するための書類。


 そして、清司から任された仕事だった。


 王宮を出る前に、セレスティアは一度だけ、その束を抱え直した。


 扇で隠す必要のない場所まで来てから、ようやく、小さく笑った。

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