第15話 悪役令嬢?
翌朝。
リリアーナは、椅子に座っていた。
歩ける距離は、まだ室内で三歩。
昨日、ノエル・グランヴェール第二王子が、孤児院へ初めて足を運んだ。
分類、チワワ王子。
年齢、十八歳。
あれで十八。
その事実は、清司の中でまだ少し尾を引いていた。
リリアーナの横では、黒スーツ清司がだるそうに腕を組んでいる。
ミレーヌは、いつものように黒革手帖を開いていた。
「……そういや」
「はい」
「ふわ姫って、何歳なん?」
「今年で十八です」
「十八」
「はい」
「お前は?」
「私も十八です」
「お前も?」
「はい」
清司は、少しだけ黙った。
「前世では?」
「二十五です」
「そこも一緒かい!」
黒スーツ清司が、思わず手を広げた。
ミレーヌは、涼しい顔で頷く。
「やっぱりそうですか?」
「なんで分かったんや」
「趣味が似てるので」
「趣味?」
「反応する作品の年代と、ツッコミの方向性が近いです」
「分析すな」
「相棒ですので」
ミレーヌは、すっと紅茶を差し出した。
「紅茶いります?」
「相棒って言う度に紅茶入れるな!」
「相棒感が出ますので」
「紅茶で出すな」
「では、次回は焼き菓子にします」
「増やすな」
リリアーナは、ふと何かに気づいたように顔を上げた。
「……待て」
「はい」
「え、チワワひとつ上なん?」
「いえ、同じ学年です」
「同じ学年?」
「はい。ノエル殿下は四月七日生まれですので」
「四月七日」
「リリアーナ姫は四月十七日です」
「十七日」
「ちなみに私は四月二十七日です」
清司は、しばらく黙った。
「なんで十日間隔やねん!!」
「乙女ゲームですので」
「便利な言葉にすな」
「ほんとにこの世界は雑な設定ですよね」
「お前が言うな」
清司は、そこで改めて固まった。
「……いや、待て」
「はい」
「同じ学年?」
「はい」
「チワワ、同じ歳の女にあんな甘えてたんかい!」
「はい」
「十八で同級生に『僕を見て』言うてたんか」
「はい」
黒スーツ清司は、深く息を吐いた。
「おいたわしいの、精神年齢だけちゃうやろ」
「記録しますか?」
「すな」
ミレーヌは、すでに少し書いていた。
「書くな」
「未遂です」
「未遂の筆の速さちゃうかったぞ」
リリアーナは、窓の外を見た。
春の光が、庭の緑をやわらかく照らしている。
学園。
十八歳。
同じ学年。
そこまで揃っているのなら、当然、気になることがある。
「じゃあ、ふわ姫は学園に入学してへんと、ずっと寝てたんか?」
「いいえ」
ミレーヌは即答した。
「普通に通われていました。倒れるまでは」
「え?! この体で行けてたん?」
「はい」
「三歩やぞ」
「現在は三歩です」
「前は?」
「もう少し歩けました」
「もう少し」
「はい。ただし、移動は基本的に車椅子でした」
「車椅子」
「私だったり、他の侍女だったりが送迎しておりました」
リリアーナは、思わず額に手を当てた。
つまり。
このふわ姫は、体が弱いなりに学園へ通っていた。
倒れたことで長く休んでいるだけで、籍はある。
しかも、もともと車椅子で通っていた。
「じゃあ、学園へ戻るなら」
「はい」
「車椅子か」
「はい」
清司は、黙った。
歩くために訓練している。
立つために積んでいる。
できれば、自分の足で行きたかった。
だが、今のリリアーナは室内で三歩である。
王宮の廊下ならともかく、学園の門から教室まで歩けるわけがない。
「……訓練したかったのに」
「訓練は続けます」
「でも学園は車椅子」
「はい」
「腹立つなぁ」
「倒れるよりはよろしいかと」
「それはそう」
ミレーヌは、黒革手帖にさらさらと書いた。
『リリアーナ姫、十八歳。
学園在籍あり。
移動手段、車椅子。
現在、療養のため長期欠席中』
「嫌な情報を綺麗にまとめるな」
「業務ですので」
その時だった。
扉の外が、にわかに騒がしくなった。
「リリアーナ様にお会いしますわ!」
高い声。
強い声。
よく通る声。
黒スーツ清司が、ゆっくりと顔を上げた。
「……今度は何や」
ミレーヌは、黒革手帖を閉じた。
「学園側のイベントかと」
「呼んでへん」
「来ました」
次の瞬間。
扉が開いた。
「いつまでお休みになっていらっしゃるの!」
現れたのは、三人の令嬢を従えた少女だった。
美しい顔。
強い目。
背筋の伸びた立ち姿。
人を見下ろす角度。
華やかで、少し刺さるような空気。
黒スーツ清司が、動きを止めた。
「……麗奈?」
今の麗奈ではない。
高校の頃の麗奈だ。
まだ大人の女になる前の。
尖っていて、綺麗で。
怖いもの知らずだった頃の麗奈に、腹が立つほど似ていた。
清司自身も、二十五の男から十八の姫になっている。
なら、麗奈も同じように、十八の令嬢になっていてもおかしくない。
そう思った。
だが。
令嬢の横に、誰もいない。
黒い影も。
異国服の女も。
中身の漏れも。
何もない。
清司は、静かに息を吐いた。
「……ちゃうな」
黒スーツ清司が、ほんの少しだけ目を伏せた。
「あいつは、生きとる」
その瞬間。
遠い、遠いどこかで。
「なんで清司死んでもたんよー……」
麗奈は、清司のシャツを握りしめて泣いていた。
片手には、乙女ゲームのケース。
「このゲーム、あんたにやらせたん私やん……」
返事はない。
「戻ってきて、文句言いや……」
麗奈は、ぐしゃぐしゃの顔でシャツを握りしめた。
「お前のせいやろが、って怒ってよぉ……」
そして、清司のシャツで鼻をかんだ。
ブーーッ!
綺麗な女が、台無しだった。
視界が戻る。
王宮の部屋。
椅子に座るリリアーナ。
黒革手帖を構えるミレーヌ。
取り巻きを従えた令嬢。
そして。
令嬢は、リリアーナではなく。
その横に立つ黒スーツ清司を、見ていた。
まっすぐに。
目が合った。
黒スーツ清司が、固まった。
令嬢の頬が、ほんの少しだけ赤くなる。
「……なんて」
令嬢は、息を呑んだ。
「なんて綺麗なお顔……」
黒スーツ清司は、一歩下がった。
「……見えてんのか」
令嬢は、目を輝かせた。
「ええ。見えていますわ」
「なんでやねん!」
説明しよう!
彼女は、天才的な魔法使いなのである!
魔力量は学年首席級!
感知能力も規格外!
普通の人間には見えないものまで、うっかり見えてしまう!
つまり!
黒スーツ清司も、見えたのである!
多分!
「多分てなんや!」
黒スーツ清司が叫んだ。
ミレーヌの筆が、すさまじい速さで動いた。
『学園令嬢。
魔力値、異常の可能性。
黒スーツ清司さんを視認。
初見で好意反応あり』
「書くな」
「重要です」
令嬢は、そこでようやくリリアーナを見た。
いや、見たというより、視線を戻した。
明らかに、黒スーツ清司が気になっている。
「リリアーナ様」
「はい」
「いつまでお休みになっていらっしゃるの。春の交流会の出欠も、課題提出も、班分けも、何ひとつ進みませんのよ」
リリアーナは、少しだけ目を細めた。
ただの見舞いではない。
文句はきつい。
声も強い。
顔は麗奈に似すぎている。
だが、言っている内容は、学園側の実務だった。
「……仕事しに来たんか?」
リリアーナの口から、つい素の声が出た。
令嬢の眉がぴくりと動く。
「お仕事ではございませんわ。学園生活に必要な確認です」
「それを仕事言うねん」
「言葉遣いが乱れておりますわよ、リリアーナ様」
「そっちも扉の開け方が乱れてたで」
取り巻き令嬢たちが、小さく息を呑んだ。
ミレーヌの筆が走る。
『リリアーナ姫、学園令嬢相手に素の関西弁発動』
「書くな」
「重要です」
「重要ちゃう」
「珍しいので」
「もっと書くな」
令嬢は、リリアーナを見た。
そして、またちらりと黒スーツ清司を見た。
頬が、少しだけ赤い。
清司は、それを見て、深く息を吐いた。
高校の頃の麗奈に似た顔。
強い目。
人を見下ろす角度。
こちらの中身を見抜いてくる厄介さ。
おまけに、黒スーツ清司を見て頬を染めている。
リリアーナは、決めた。
「……これから」
「何ですの?」
「これからお前、レイナや」
令嬢が固まった。
「は?」
「レイナ」
「わたくしには、由緒正しい名がございますわ!」
「知るか。お前はレイナや」
「なぜですの!?」
「顔と挙動と厄介さが、そう言うとる」
ミレーヌの筆が、さらに速くなった。
『学園令嬢。
清司さんによる仮称、レイナ。
命名理由:顔と挙動と厄介さ』
「命名理由書くな」
「重要です」
「重要ちゃうわ」
レイナは、怒ったように頬を染めた。
だが、その目はまた黒スーツ清司を見ていた。
「……その方が、そう呼ぶなら」
「受け入れるな」
「受け入れてなどおりませんわ!」
「今ちょっと受け入れたやろ」
「受け入れておりません!」
「声でかいなぁ」
黒スーツ清司は、だるそうに腕を組み直した。
その横で、リリアーナは姫らしく微笑んでいる。
取り巻き令嬢たちは、何が起きているのか分からず固まっている。
ミレーヌだけが、黒革手帖にすべてを記録していた。
学園側のイベントは、王宮まで出張してきた。
そして、麗奈ではないレイナは、黒スーツ清司に一目惚れした。
この世界は、今日も順調に、乙女ゲームから遠ざかっている。
おいたわしいのは、たぶん全員である。




