第13話 チワワ
ふわ姫女神が逃げた翌日。
リリアーナは、椅子に座っていた。
その横では、黒スーツ清司がだるそうに腕を組んでいる。
ミレーヌは黒革手帖を開いた。
「本日、グランヴェール王国第二王子、ノエル殿下がお見舞いにいらっしゃいます」
「あの重い王子の弟か」
「はい。種類の違う重さです」
「嫌な言い方やな」
その時、扉の外から甘い声がした。
「リリアーナ姫、僕だよ。待たせるなんて、ずいぶんじゃない?」
黒スーツ清司が、半目になった。
「……チワワやな」
ミレーヌの筆が動く。
『分類:チワワ王子』
「早いな」
「しっくり来ました」
扉が開いた。
入ってきたのは、小柄な少年王子だった。
柔らかな金髪。
大きな瞳。
整った顔立ち。
可愛い。
たしかに可愛い。
だが、その目は言っていた。
見て。
もっと見て。
僕を見て。
「久しぶりだね、リリアーナ姫」
「お久しぶりです、ノエル殿下」
「もっと嬉しそうにしてくれてもいいのに」
清司は、眉間へ皺を寄せた。
出た。
見てほしいやつや。
「体調が万全ではありませんので」
「僕が来たから、もう大丈夫だよ」
「根拠は?」
ノエルが固まった。
「え?」
「何をもって、大丈夫と判断されたのですか」
「……僕が来たから」
「それは事実です」
「うん」
「体調改善との因果関係は?」
ノエルは、ぱちぱちと瞬きをした。
これまで、この顔で言えば、だいたいの者は笑ったのだろう。
癒されました。
嬉しいです。
さすが殿下。
だが、今のリリアーナの中身は清司である。
可愛さで体調は回復しない。
「……リリアーナ姫、変わったね」
「倒れましたので」
ミレーヌの筆が動いた。
『倒れましたので、便利』
「便利にすな」
ノエルは、少しだけ唇を尖らせた。
「前は、僕の話をもっと聞いてくれたのに」
「聞いています」
「そうじゃなくて」
ノエルは、まっすぐリリアーナを見た。
「僕を見てってこと」
部屋が、少しだけ静かになった。
清司は、ノエルを見た。
吠える。
甘える。
噛みつく。
見てほしがる。
たしかにチワワだ。
けれど、ただのわがままだけではない。
小さい体で、存在を証明しようとしている。
「ノエル殿下」
「なに?」
「見てほしいなら、まず見なさい」
ノエルの目が揺れた。
「誰を?」
「声が届きにくい者たちです」
「……たとえば?」
「子どもです」
ミレーヌの筆が動く。
『現場復帰候補:孤児院支援』
ノエルは首を傾げた。
「子どもたちは、僕を見るかな」
「パンを持って行けば」
「パン?」
「はい」
「王子が行くのに、パン?」
「王子が行くから、パンです」
ノエルは固まった。
「……僕より、パン?」
「お腹が空いていれば、王子よりパンです」
「ひどい!」
「現実です」
ノエルは、しばらく黙った。
そして、小さく言った。
「パンを持って行けば、僕を見る?」
「最初はパンを見ます」
「正直すぎる!」
「でも、何度も行けば、殿下を見るようになります」
「何度も?」
「一回なら珍しい王子です。続ければ、信頼です」
ノエルは、黙った。
その顔から、少しだけ不満が消えた。
「……明日、行く」
「どこへ」
「孤児院」
ミレーヌの筆が走った。
『チワワ王子、孤児院支援へ仮現場復帰』
ノエルは、扉の前で振り返った。
「リリアーナ姫」
「はい」
「ちゃんとできたら、僕を見てくれる?」
リリアーナは、少し考えてから微笑んだ。
「報告を聞きます」
ノエルは、不満そうにした。
けれど、すぐに笑った。
「……それでもいいよ」
扉が閉まる。
黒スーツ清司は、深く息を吐いた。
「よく吠える王子やったな」
「はい」
ミレーヌは黒革手帖を閉じた。
「でも、足は動きそうです」
「せやな」
ミレーヌは、ふわ管にも書き足した。
『恋愛よりパン』
清司は、それを見て少しだけ笑った。
恋愛より物流。
恋愛より文化外交。
恋愛よりパン。
この世界は、今日も順調に、乙女ゲームから遠ざかっている。
おいたわしいのは、今日も清司の精神である。




