第124話 舞ちゃん
ライブハウスを出ると、鉄ちゃんが地下へ続く階段を振り返った。
「ありゃ、もったいねぇ」
「鉄ちゃんも、そう思うか」
「へい」
リリアーナは小さく笑った。
「花田丸、向かおか」
一行は路地裏を抜け、花田丸へ続く道を歩き始めた。
しばらく進むと、古びた建物の中から声が聞こえてきた。
怒鳴り声。
泣き声。
けれど、争っている様子ではない。
入口には、手描きの看板が掛けられていた。
「芝居小屋か」
リリアーナが足を止める。
扉の隙間から舞台が見えた。
客席にいるのは、ほんの数人。
その向こうで、一人の男が舞台へ膝をついていた。
「俺は、必ず戻る」
男の前で、女が唇を震わせる。
「その言葉を、何度信じればいいの」
台詞には聞こえなかった。
本当に大切な者を残していく男と、その帰りを待ち続けた女が、そこにいるようだった。
主役だけではない。
脇役も。
台詞のない役も。
舞台の端に立っているだけの者まで、誰一人気を抜いていない。
目線。
立ち方。
息遣い。
指先。
相手の言葉を聞く顔。
舞台から去る最後の一歩まで。
全員、ちゃんと役の中にいた。
照明も、衣装も、小道具も、背景も、舞台装置も手作りだった。
役者が持つ剣。
窓の向こうに広がる夜空。
古びてはいる。
けれど、どこにも手は抜かれていない。
客が数人しかいなくても、舞台に立つ者たちは本気だった。
レイナが胸の前で手を組んだ。
「素晴らしいですわ」
鉄ちゃんも、舞台装置をじっと見ている。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、舞台から目を離さなかった。
舞台袖の近くには、一人の男が立っていた。
腕を組み、誇らしそうに舞台を見ている。
役者の動き。
照明の位置。
小道具を出す瞬間。
舞台のすべてを見ていた。
芝居が終わる。
少ない客席から、大きな拍手が響いた。
男は役者たちへ強くうなずき、すぐに次の準備へ入ろうとした。
「ちょっとええか」
男が振り返る。
「姫様じゃないですか! なんでしょう?」
「ここの責任者か?」
「はい」
「名前は?」
「舞武です」
「舞ちゃん」
「はい」
「普通に受け入れるんやな」
「呼びやすい方で」
「ええ奴やな」
リリアーナは舞台へ目を向けた。
「みんな、ええ目しとる」
舞ちゃんの顔が明るくなった。
「台詞に聞こえん。ちゃんと役が入っとる」
「はい。ここの者は、みんなそうです」
「台詞ない奴まで?」
「もちろんです」
舞ちゃんは、舞台の端に立っていた役者を見る。
「台詞がなくても、そこにいる理由があります。何を見ているのか、どこから来たのか、舞台を出たあと、どこへ帰るのか」
舞ちゃんは迷いなく続けた。
「そこまで考えずに、舞台へ立たせることはありません」
リリアーナの目が少しだけ変わった。
「ええな」
「ありがとうございます」
「ほかにもジャンルあるん?」
「あります。喜劇、悲劇、恋愛、活劇。それから、歌と踊りを入れたミュージカルまで」
「全部やるん!?」
「面白いものは、何でもやります」
「音ちゃんと同じタイプおった!」
「音ちゃん?」
「さっき拾った」
「拾った?」
「説明長なるから後や!」
舞ちゃんは不思議そうな顔をしたが、そのまま話を続けた。
「衣装も、自分たちで作っています」
「小道具は?」
「俺と役者たちで」
「背景は?」
「手の空いた者で描きます」
「照明は?」
「俺です」
「演出は?」
「俺です」
「役者の稽古も?」
「俺です」
「全部、舞ちゃんやないか!」
舞ちゃんは少し照れたように笑った。
「いい舞台を作りたいだけです」
「客が少なくても?」
「一人でも見てくれる人がいるなら、手は抜けません」
舞ちゃんは、誇らしそうに役者たちを見た。
「ここに立つ者は、みんな本気です」
舞台では、次の公演に向けて準備が始まっていた。
主役だけではない。
脇役も。
台詞のない役も。
衣装を直す者も。
小道具を運ぶ者も。
全員が、一つの舞台を作っている。
「もったいない!」
リリアーナの声が、芝居小屋へ響いた。
舞ちゃんが驚いて振り返る。
「こんだけええ役者がおるのに、ここだけでやっとるん、もったいない!」
舞ちゃんは舞台へ目を向けた。
「俺も、ずっと思っていました」
その声が、わずかに震えた。
「もっと大きな舞台に立たせてやりたい。もっと多くの人に、こいつらの芝居を見てもらいたい」
拳を静かに握る。
「でも、俺にはこの小屋を守るだけで精一杯で」
役者たちは、何も言わず舞ちゃんを見ていた。
「それでも、みんな続けてくれました。いつか誰かに見つけてもらえるって信じて」
リリアーナは舞ちゃんの前へ立った。
「ちゃんとした舞台」
舞ちゃんが顔を上げる。
「テレビドラマ」
「……はい」
「映画」
舞ちゃんの目が、さらに大きくなった。
「やってみたくないか?」
「そんなことが、可能なんでしょうか?」
「むしろ欲しい人材や!」
リリアーナは舞台にいる者たちを指した。
「ここにおる奴、全員俺んとこ来い!」
「全員……ですか?」
「役者も、裏方も、衣装も、小道具も。ここで舞台作っとる奴は全員や!」
舞ちゃんの目に涙が浮かんだ。
「一緒に世界へ届けへんか?」
「もちろんです!」
舞ちゃんは何度もうなずいた。
「役者たちも、ずっと、誰かに見つけてもらえる日を待っていました」
「ほな決まりや」
リリアーナは舞ちゃんへ手を差し出した。
「一緒にやろう」
「はい!」
舞ちゃんは、その手を強く握った。
舞台の上では、役者たちも泣いていた。
口元を押さえる者。
隣に立つ者と抱き合う者。
何度も頭を下げる者。
名前も知られていなかった。
客席が埋まらない日もあった。
それでも、誰一人として芝居を雑にしなかった。
その仕事を。
その努力を。
ようやく誰かが見ていた。
「この小屋も立て直す!」
リリアーナは古びた舞台を見回した。
「照明も舞台装置も客席も、もっとええもんにする。ここは、初めて舞台に立つ奴が育つ場所にしたらええ」
舞ちゃんが涙を拭う。
「はい!」
「それとは別に、もっとデカい劇場も作ったる!」
「大きな劇場を?」
「何百人入っても芝居が届く場所や。舞台も、照明も、音響も、全部一から作る」
鉄ちゃんが舞台を見ながら、静かにうなずいた。
「それなら、俺らに任せてくだせぇ」
「頼むわ」
「へい」
リリアーナは舞ちゃんへ向き直った。
「この小屋で役者育てて、デカい劇場へ立たせる。テレビドラマも撮る。映画も作る」
そして、舞台にいる全員を見る。
「お前らの芝居、世界中に届けたる!」
「はい!!」
役者たちの声が、古い芝居小屋を揺らした。
ミレーヌは黒革手帖を開いた。
『舞ちゃん。
現状:芝居小屋責任者。
特性:台詞のない役にも人生を入れる。
現場復帰先:新テレビ局・映像演劇部門。
担当:舞台演出、役者育成、ドラマ、映画。
対象:役者及び裏方全員。
追加計画:既存芝居小屋改修、大型劇場建設。』
「もう書いたん?」
「必要ですので」
「ほんま早いな」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司は、舞台と舞ちゃんを静かに見ていた。
音ちゃんが、音の居場所を守ってきた人間なら。
舞ちゃんは。
誰にも見てもらえなかった役にまで、居場所を与えてきた人間だった。
舞台の端では、さっきまで台詞のなかった役者が、次の芝居の稽古をしている。
たった一言。
短い台詞だった。
それでも舞ちゃんは、その役者をまっすぐ見ていた。
「もう一回いこう」
「はい!」
「今のも悪くない。でも、その人がそこに来るまでのこと、もう一回考えてみ」
役者はうなずいた。
そして、もう一度舞台へ立つ。
客席はまだ、ほとんど空いている。
けれど。
次にその幕が上がる時。
その芝居を見る人は、きっと今より多くなる。
リリアーナは小さく笑った。
「舞ちゃん」
「はい」
「忙しなるぞ」
舞ちゃんは涙の残る顔で笑った。
「望むところです」




