↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乙女ゲームの姫に転生した元若頭、攻略そっちのけで世界を変える――ふわ姫若頭  作者: 夜嶋朔
第二章 日本編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
123/137

第123話 音ちゃん

 リリアーナたちがテルリッチ公園を離れようとした時、レイナが目を潤ませた。


「素敵でしたわ」


 リリアーナは優しく笑った。


 その横では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も少しだけ目を細めている。


 ミレーヌは黒革手帖を開いた。


『詠女様。

現状:反省なし。

備考:懲りてない。』


「それ書くん?」


「記録ですので」


 チリン。


 バルドが静かに鈴を鳴らした。


「参りましょう」


 全員で大通りを抜け、人通りの少ない路地へ入る。


「アニキ」


 歩きながら、沖田が口を開いた。


「なんでパードさんたちを帰らせたんですか?」


「あいつらは、悪気なく詠女にこっちの情報を流す可能性がある」


「裏切るってことですか?」


「ちゃう。悪気がないから危ないねん。聞かれたら普通に話してまうかもしれん。せやから今は、信用しとる奴だけで動きたい」


 沖田は、はっとしたように口を閉じた。


「……なるほど」


 誰も何も言わなかった。


 その場にいる全員が、清司の言った意味を理解していた。



 しばらく歩いたところで、リリアーナが足を止めた。


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、路地の奥を見る。


「いい音だね!」


 レオンが嬉しそうに顔を上げた。


 古びた建物の地下から、音楽が聞こえている。


 ギター。


 ベース。


 ドラム。


 そして、力強い歌声。


 音はいい。


 だが、客の声がほとんど聞こえない。


「行くぞ」


 リリアーナは、小さな看板が立つ入口へ向かった。


 細い階段を下りるほど、音が大きくなっていく。


 重たい扉を開けると、その先には小さなライブハウスがあった。


 低い舞台。


 狭いフロア。


 客は、ほんの数人。


 客同士の間には大きな隙間が空いていた。


 それでも、舞台の上にいる者たちは手を抜いていない。


 ギターが鳴り、ドラムが床を震わせ、ベースが腹の底へ響く。


 歌声が、空いたフロアをまっすぐ突き抜けた。


「すごい!」


 レオンが楽しそうに身体を揺らす。


 リリアーナは舞台ではなく、店全体を見た。


 スピーカー。


 アンプ。


 ミキサー。


 照明卓。


 マイク。


 モニタースピーカー。


 ドラム。


 配線。


 養生テープ。


 補修跡。


 吸音材。


 どれも古い。


 だが、雑には扱われていなかった。


 直せるところは直し、使えるものは使い続けている。


 舞台袖では、四十代ほどの男が一人で動き回っていた。


 音を確認し、照明を調整し、次の演者へ水を渡す。


 舞台から視線が飛べば、すぐに音量を変える。


 次に出る者が緊張していれば、肩を軽く叩く。


 誰が何を必要としているのか。


 全部、分かっていた。


 一曲が終わる。


 数人しかいない客が、大きな拍手を送った。


 男は演者へ満足そうに頷くと、すぐに次の準備へ戻る。


「おっさん」


 リリアーナが声をかけた。


 男が振り返る。


「ここの責任者か?」


「はい。そうです」


「名前は?」


「音助です」


「音ちゃんか。毎日やってんの?」


「はい」


 音ちゃんは古い舞台を見た。


「みんな、音楽が生き甲斐なんです。俺も、音楽が生き甲斐で」


「客は、いつもこれくらい?」


「多い日はもう少し入ります」


 音ちゃんは困ったように笑う。


「少ない日は、演者の方が多いですね」


「金は?」


「かなり厳しいです。借金もあります」


「辞める気は?」


「ありません」


 即答だった。


「ここがなくなったら、立つ場所がなくなる奴がいますから」


 リリアーナの目が少しだけ変わった。


「ジャンルは?」


「オールジャンルです。ロックも、ジャズも、クラシックも、弾き語りも、合唱も、アイドルも、民謡も」


「まとまりないやろ」


「ありますよ」


 音ちゃんは少しだけ笑った。


「みんな、腕がいいんです」


「どうやって見つけた?」


「路上ライブしてる奴を見つけたら、ここに立たせてやってました」


「誰でもええん?」


「いいえ」


 音ちゃんは静かに首を横へ振った。


「俺は、いい音の奴だけここに立たせます」


「ジャンルやないんやな」


「はい。流行ってるかどうかも、売れてるかどうかも関係ありません」


 音ちゃんは舞台を見た。


「路上で誰にも足を止めてもらえない奴もいます。酒場の隅で、ずっと歌ってる奴もいます。でも、誰も知らないからって、悪い音になるわけじゃない」


 リリアーナは何も言わず、音ちゃんを見ていた。


 肩書きでもない。


 人気でもない。


 数字でもない。


 自分で現場へ行き、自分の耳で聴いて、本物だけを拾ってきた。


「機材も、音ちゃんが見とるん?」


「はい」


「音響は?」


「俺です」


「照明は?」


「俺です」


「受付は?」


「俺です」


「掃除は?」


「俺です」


「全部、音ちゃんやないか」


 音ちゃんは照れくさそうに頭をかいた。


「金がないので、できることは自分でやってます」


「壊れた機材は?」


「直します」


「直らんかったら?」


「使える部品を組み合わせます」


「それでも無理なら?」


「演者に合わせて、音の作り方を変えます」


 音ちゃんは、当たり前のように言った。


「回さないと、音が止まりますから」


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、静かに目を細めた。



 次の演者が舞台へ上がった。


 若い女だった。


 使い込まれたギターを抱え、誰もいないようなフロアを一度だけ見渡す。


 音ちゃんが舞台袖から、小さく頷いた。


 女が弦を鳴らす。


 一音目で、空気が変わった。


 静かな曲だった。


 派手ではない。


 大きな声でもない。


 それでも。


 誰も目を離さなかった。


 音ちゃんは舞台袖でじっと聴いている。


 客が数人しかいなくても。


 満員の舞台を見るように。


 誇らしそうに。


 曲が終わった。


「もったいない!」


 リリアーナの声が、地下のフロアへ響いた。


 音ちゃんが驚いて振り返る。


「こんだけええ音が揃っとんのに、ここだけで終わらせるんか!」


「俺も、ずっとそう思ってました」


 音ちゃんは拳を握った。


「どうやったら、この音を外へ届けられるのか。ここへ来られない人にも聴かせられるのか。ずっと考えてました」


 舞台へ視線を戻す。


「でも、俺にはこの場所を守るだけで精一杯で」


 少しだけ、声が震えた。


「こんないい音なのに、誰にも知られないまま終わる奴がいる。それが、ずっと悔しかったんです」


 リリアーナは音ちゃんの前へ立った。


「音ちゃん」


「はい」


「俺と一緒に、テレビで本物見せてやりたくないか?」


 音ちゃんの目が大きく開いた。


「テレビで……?」


「人気あるからやない。売れとるからでもない」


 リリアーナは舞台にいる女を見る。


「本物やから流すんや」


 音ちゃんは動かなかった。


「ここにおるアーティストも、全部連れてくぞ」


「全員ですか?」


「演者も裏方も、この箱を支えとる奴は全員や」


 音ちゃんの目に、涙が浮かんだ。


「この店は……」


「この箱も立て直す」


 リリアーナは古い壁と天井を見回した。


「音鳴らすたびに機材壊れんか心配せんでええようにする。舞台も、照明も、音響も全部直す。初めて舞台に立つ奴が、安心して音鳴らせる場所にしたる」


 音ちゃんは何も言えなかった。


「ほんで、もっとデカい箱も作ったる」


「……デカい箱?」


「何百人入っても、音が負けへん箱や。舞台も、照明も、機材も、全部一から揃える」


「そんなことが……できるんですか?」


「できるかやない」


 リリアーナは音ちゃんへ手を差し出した。


「やるんや」


 音ちゃんは、差し出された小さな手を見る。


「音ちゃんは今まで通り、いい音の奴を見つけろ。この箱で育てて、デカい箱へ立たせる。その音をテレビで世界へ流す」


 何年も守ってきた舞台。


 何人も拾ってきた音。


 客がいなくても。


 金がなくても。


 止めなかった。


 誰にも知られなかったその音が。


 初めて。


 地下の外へ出ようとしていた。


 音ちゃんは、リリアーナの手を強く握った。


「やります」


 涙を拭わず、舞台を見た。


「やらせてください!」


「俺が、いい音を見つけ続けます!」


「決まりや」


 ミレーヌは黒革手帖を開いた。


『音ちゃん。

分類:ライブハウス責任者。

特性:いい音を見抜く。

現場復帰先:新テレビ局・音楽部門。

担当:アーティスト発掘、舞台管理、音響監修。

追加計画:既存ライブハウス改修、大型ライブハウス建設。

対象:所属アーティスト及び全スタッフ。』


「全部書いたん?」


「必要ですので」


「早いな」


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司は、舞台袖に立つ音ちゃんを静かに見ていた。


 鉄ちゃんが、人の暮らす場所を作る人間なら。


 音ちゃんは。


 音の居場所を作る人間だった。


 舞台では、次のアーティストが歌い始める。


 いい音だった。


 音ちゃんに見つけてもらい、この小さな舞台には立てた。


 それでも。


 地下の外には届かなかった。


 今までは。


 リリアーナは舞台を見上げた。


「音ちゃん」


「はい」


「忙しなるぞ」


 音ちゃんは、涙の残る顔で笑った。


「望むところです」


 地下の小さなライブハウスに。


 また、大きな音が鳴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。