108話 温泉完成
チリン。
温泉予定地に、バルドの静かな鈴の音が響いた。
「皆様、本題に戻りましょう」
さっきまでミレーヌの前世――六本木のキャバ嬢、それも殿堂入りだったという話で騒いでいた全員が黙る。
ミレーヌは何事もなかったように黒革手帖を開いた。
「では、温泉を作りましょう」
「切り替え早いな!」
リリアーナの横では、黒スーツ姿の清司が腕を組んで温泉予定地を見渡していた。
昨日、西郷が掘り当てた場所からは、今も白い湯気が立ち上っている。
ミレーヌは地面へ大まかな線を引いた。
「中央に大きな露天風呂。こちらに三十八度の炭酸泉、隣に四十度、奥に四十二度。少し離して水風呂、その隣にサウナ。外には休憩用の椅子を置きましょう」
「外気浴!」
聖子が真っ先に手を上げた。
「それです」
「水風呂も大事です!」
心絆も勢いよく手を上げる。
「声デカ!」
スギナは空を見上げた。
「宇宙さんは、露天風呂から星が見える方がよいと言っています」
「普通にええ意見やな」
「宇宙さんは間違いません」
「急に信用なくなるねん」
パードも地面の線をのぞき込んだ。
「男湯と女湯、外から見えないようにしよ。でも空は見える感じ!」
「採用」
「熱い湯は端だな」
キルナが腕を組む。
「子どもが間違えて入らねぇように入口も分けた方がいい」
「それも採用」
詠女は少し離れたところから、日本勢をなるべく視界に入れないように図を見ていた。
「洗い場は入口側です。先に身体を洗ってから湯へ入る流れにします」
「ちゃんと仕事しとるやん」
「新選組を見なければ集中できます」
「見学者を視界から消すな」
リリアーナも地面へしゃがみ込んだ。
「入る奴と出る奴を同じとこに集めすぎんようにしよ。床は滑りにくく、段差は少なく、角は丸く。年寄りも入るから手すりも付ける」
「分かりました」
ミレーヌが次々に書き込んでいく。
その横から土方が図をのぞいた。
「排水路は二本あった方がいい。一つが詰まっても、もう一方へ流せる」
「見学者が会議入ってくんな」
「安全の話だ」
「……それは採用」
土方は満足そうにうなずいた。
「採用された」
「嬉しそうにすんな!」
土地には大きな岩がいくつも転がっていた。
スギナが一番大きな岩を指差す。
「それは奥です。湯気の向こうに置けば宇宙の気が整います」
「景色が締まるってこと?」
「同じ意味です」
「ほんまか?」
「レイナ、お願い!」
パードが声を上げた。
「お任せくださいませ!」
レイナが両手を上げると、淡い光に包まれた大岩がふわりと浮いた。
「そこ!」
ドンッ!
「もうちょい右!」
ドンッ!
「待って、平らな方を内側!」
「こちらですの?」
「そこそこ!」
ドンッ!
次々に岩が飛んでいく。
近藤たちは口を開けたまま見ていた。
「人が百人いても一日はかかるぞ」
「それを一人で動かすのか……」
龍馬も笑う。
「姫さん、この国の女は強すぎるぜよ」
「今さらやろ」
「次はどちらですの?」
レイナは楽しそうだった。
「こっち!」
「次これ!」
「それは入口!」
「待って、それ座れそう!」
「分かりましたわ!」
ドンッ!
「レイナも完全に遊んどるやろ!」
「とても楽しいですわ!」
「認めた!」
リリアーナは岩の縁を確認して、一か所を指した。
「レイナ、そこ尖っとる。子ども転んだら危ない」
「では、こちら向きですわね」
レイナが岩を回すと、鉄ちゃん組がすぐに近づいた。
「角、削りやす。滑らねぇようにもしておきやす」
「頼む」
「へい」
浴槽の形ができると、式神が地面へ手を置いた。
「湯、出せる」
「待ってくだせぇ」
鉄ちゃんが排水路を確認する。
「……問題ねぇでやす。入れてくだせぇ」
「分かった」
式神が手を動かすと、湧き出していた源泉が新しい浴槽へ流れ始めた。
その瞬間、沖田が指を突っ込んだ。
「熱っ!」
「当たり前や! 源泉やぞ!」
「確認です」
「一番に触りたかっただけやろ!」
ルシアンも隣へしゃがみ込み、湯へ指を入れた。
「熱っ!」
「お前もやるんかい!」
「どれくらい熱いか知りたかった」
「魔法で分からんの?」
「分かるよ」
「ほな触んな!」
ルシアンは何事もなかったように立ち上がった。
「このままじゃ熱すぎるから、浴槽ごとに温度を変えるね」
「三十八度!」
聖子が手を上げる。
「四十度です!」
「心絆、声デカ!」
「熱いのは四十二度だな」
キルナまで加わった。
ルシアンは三人を見た。
「三十八と四十って、二度しか違わないよ?」
「全然違うの!」
「そうなの?」
「全然違います!」
「へえ」
ルシアンは少し考え、三つの魔石を置いた。
「じゃあ、三十八度、四十度、四十二度」
三つの浴槽へ、それぞれ温度の違う湯が流れ込む。
ルシアンは最初に三十八度へ手を入れた。
「ぬるい」
次に四十度。
「あ、ちょうどいい」
最後に四十二度。
「あっつ!」
「全部触る必要あった!?」
「違いを確認した」
「楽しんどるだけやろ!」
「ちょっと楽しい」
「認めた!」
土方も四十二度へ手を入れた。
「これだ」
ルシアンが土方を見る。
「熱いの好きなの?」
「ああ」
「僕も四十二度にしようかな」
「お前さっき熱い言うたやろ!」
「でも一番強そう」
「温泉に強さないねん!」
ルシアンは不思議そうに首をかしげた。
ミレーヌが黒革手帖を見ながら口を挟む。
「炭酸泉には泡が必要です」
「泡?」
ルシアンが三十八度の浴槽を見た。
「いっぱい?」
「細かい泡です」
「いっぱい入れたら駄目?」
「遊ぶな」
「まだ何もしてないよ」
「顔がやる顔やねん」
ルシアンは少し残念そうに、小さな魔石を沈めた。
細かな泡が湯の底から立ち上る。
「炭酸泉だぁ!」
「肌に泡がつくやつです!」
「二人ともうるさい!」
次は水風呂だった。
「式神、こっちは冷たい水な」
「冷たい」
「冷たすぎんように」
「少し冷たい」
「お前の『少し』怖いねん」
「約束する」
式神が水風呂を満たす。
沖田が手を伸ばした瞬間、横からルシアンも手を伸ばした。
二人の指が同時に水へ入る。
「冷たっ!」
「冷たい!」
「なんで二人で確認すんねん!」
ルシアンは慌てて手を引っ込めた。
「これは冷たすぎるよ」
「少し冷たい」
「少しじゃないよ!」
「ルシアンまで式神にツッコんどるやん!」
ルシアンは氷の魔石を取り出し――止まった。
「……これ使ったら、もっと冷たくなる」
「気づいて偉い!」
「じゃあ温める」
「水風呂を?」
「だって入れないよ」
「何のために水風呂作ったんや!」
「入れるくらいにはしないと意味ないでしょ?」
「それは正論や!」
ルシアンが温度を調整し、もう一度手を入れた。
「うん。これなら入れる」
沖田も隣から手を入れる。
「いいですね」
二人は顔を見合わせた。
「あとで入ろう」
「はい」
「見学者と施工側で約束すんな!」
その頃には、鉄ちゃん組がサウナを組み始めていた。
熱を逃がさない壁。木の椅子。温度を調整する魔石。中から開けられる扉。
「時間を知らせる物も必要です!」
心絆が言った。
「長く入りすぎたら危ないです!」
「それ大事やな。時間になったら光る魔石置こ。中で倒れた奴をすぐ出せるようにもして」
「へい」
聖子は完成前のサウナの前で跳ねていた。
「サウナ! 水風呂! 外気浴!」
「まだ入るなよ!」
「分かってるー!」
「絶対分かってへん!」
外には休憩用の椅子が並べられた。
風が通り、水が溜まらない。
リリアーナは入口から浴槽までの導線を確認した。
「そこ、人が倒れた時に狭いな。椅子一つ減らそ」
「分かりました」
ミレーヌがすぐに記録する。
晴明は出来上がった湯を一つずつ確認した。
「場所によって湯の性質が異なりますね」
「効能分かるん?」
「ある程度は」
「頼む」
晴明は最初の湯へ手をかざした。
「こちらは肌をなめらかにする性質が強いようです」
「美肌の湯!」
聖子が即座に叫ぶ。
「次はこちら。身体が冷えにくく、温まりやすい」
「温まりの湯!」
「こちらは刺激がありますが、皮膚を清める性質があります」
「硫黄の湯!」
「最後はさらに刺激が強いですね。傷のある方や肌の弱い方は注意した方がよいでしょう」
「注意書きいるな」
リリアーナが言った。
「長湯すんな、肌弱い奴は気ぃつけろ、体調悪かったら入るな。デカく書いとけ」
「分かった!」
エミールが紙へ書き始めた。
「アレクシス、看板お願い!」
「任せて!」
アレクシスが両手を広げると、魔法の光が一気に広がった。
巨大な看板が現れた。
【美肌の湯】
【温まりの湯】
【硫黄の湯】
【刺激の強い湯】
金色の文字。
光る縁。
舞い散る星。
湯気の中で微笑む女神。
なぜか虹まで出ている。
「派手すぎるやろ!」
エミールは看板を見上げた。
「いいじゃん! すごく温泉っぽい!」
「どこの温泉に虹出とんねん!」
アレクシスは胸を張った。
「観光地だからね!」
「注意書きどこや!」
「あ」
二人が同時に看板を見る。
下の端に、小さな文字があった。
【長湯注意・肌の弱い方はご注意ください】
「ちっさ!」
エミールが目を細めた。
「ほんとだ。全然見えない」
「お前が書いたんやろ!」
「アレクシスが看板を大きくしたからだよ!」
「エミールが文字を小さくしたんだよ!」
「じゃあ大きくして!」
「分かったぁ!」
注意書きが巨大化した。
【長湯注意!!!】
【体調の悪い方は入浴禁止!!!】
赤い文字が激しく点滅する。
「怖いわ!」
エミールも驚いた。
「アレクシス! 怖いよ!」
「大きくしてって言ったじゃん!」
「大きすぎ!」
「じゃあエミールが作ったらいいじゃん!」
「僕、こんな派手な魔法使えないもん!」
「知ってるよ!」
「なんでちょっと勝ち誇ってるの!?」
「喧嘩すんな小一!」
チリン。
バルドが看板を見上げた。
「注意事項は、別の看板へ分けてはいかがでしょう」
二人が同時に振り返った。
「それだ!」
「さすがバルド!」
「最初からそうせぇ!」
アレクシスは嬉しそうに二枚目を作り始めた。
「じゃあ注意書き専用!」
「光らせなくていいからね!」
「少しだけなら?」
「ダメ!」
「一個だけ星を――」
「いらない!」
「お前ら楽しそうやな!」
黒スーツ姿の清司は頭を抱えていた。
そこへ、馬の足音が近づいてきた。
全員が振り返る。
王宮の方角から、一頭の馬が駆けてくる。
馬が止まり、降りてきたのは光秀だった。
「リリアーナ姫。国王陛下より伝言です」
「嫌な予感しかせぇへん」
光秀は完成しかけている露天風呂を見た。
「露天風呂は、傘下国の王たちが全員入れるほど大きくせよとのことです」
「もうデカいわ!」
「私もそう思います」
「光秀も思っとるやん!」
「ですが、国王陛下からのご要望ですので」
「オヤジ、昨日『観光地にする!』言うた瞬間から止まらんな!」
「大変楽しそうでした」
「他人事みたいに言うな!」
光秀は馬へ戻った。
「では、戻ります」
「もう帰るん?」
「次のご要望を聞いてまいります」
「まだある前提なん!?」
「おそらく」
「怖いこと言うな!」
しばらくすると。
また馬の足音が聞こえた。
「まさか」
リリアーナが振り返る。
光秀だった。
「また来た!」
「リリアーナ姫」
「今度は何や!」
「国王陛下より、多数の客が宿泊できる施設も必要とのことです」
「増えたー!!」
リリアーナは鉄ちゃんを見る。
鉄ちゃんは、もう地面へ線を引き始めていた。
「ホテルでやすね」
「早いな」
「どんな客が来ても泊まれるように、分けた方がいいでやす」
「分ける?」
「へい」
鉄ちゃんは広い土地を四つに分けた。
「王族や貴族、金持ち向けのラグジュアリーホテル」
「うん」
「日本式の温泉を楽しみてぇ人向けの、高級旅館みてぇな和風ホテル」
「それ絶対いる!」
聖子が跳ねた。
「浴衣も必要です!」
心絆も続く。
「声デカ!」
「浴衣?」
エミールが首をかしげた。
「温泉で着る服だよ!」
「寝る時も着ます!」
「へえ」
アレクシスも目を輝かせた。
「僕も着たい!」
「僕も!」
ルシアンまで手を上げた。
「僕も着る」
「お前ら泊まる気なん?」
三人が顔を見合わせた。
「泊まっちゃ駄目なの?」
「完成してからにせぇ!」
「じゃあ完成したらいいんだ」
「予約の話すんな!」
鉄ちゃんは気にせず三つ目を指した。
「普通に旅行へ来る人が泊まれる、一般向けのスタンダードホテル」
「ええな」
「最後は、仕事で来る人用のビジネスホテルでやす」
「完璧やん」
ミレーヌも黒革手帖へ書き込む。
「宿泊目的と予算ごとに四種類。これなら観光客だけでなく、商人や職人、傘下国から仕事で来る方にも対応できます」
「それでいこ」
鉄ちゃんが振り返った。
「ホテル班!」
「へい!」
「四つ作りやす!」
「四つ!?」
「道と排水を先に見てくだせぇ!」
「へい!」
職人たちが一斉に走り出した。
「待て待て待て!」
リリアーナが鉄ちゃんを見る。
「今日全部作る気?」
「さすがに無理でやす」
「よかった」
「ラグジュアリーは時間かかりやす」
「そこだけ?」
「旅館も細工が多いんで」
「残り二つ今日いけるん?」
「頑張れば」
「頑張んな!」
黒スーツ姿の清司が頭を抱えた。
また。
馬の足音がした。
リリアーナは遠くから近づいてくる馬を見た。
「もう分かった! 光秀やろ!」
「はい」
「返事すな!」
光秀が馬から降りる。
「国王陛下より、風呂上がりの飲み物を用意せよとのことです」
「要求細かいねん!」
「私もそう思います」
「本人に言うた?」
「自分で現場へ来て、直接伝えてくださいと申し上げました」
「よう言うた!」
「王宮で次の要求を考える方が楽しいとのことです」
「オヤジー!!!」
結局。
その日の夕方には、温泉施設の大部分が完成していた。
三十八度の炭酸泉。
四十度の湯。
四十二度の熱い湯。
硫黄の湯。
刺激の強い湯。
水風呂。
魔石式サウナ。
外気浴の椅子。
洗い場。
脱衣所。
休憩所。
入口には、エミールとアレクシスが作った案内看板と、バルドの助言によって無事に分離された注意看板が並んでいる。
周囲では鉄ちゃん組が四種類のホテルの建設へ取りかかり、昨日までただの荒れ地だった場所には、すでに観光地らしい形が見え始めていた。
リリアーナは呆然とそれを見渡した。
「一日で、温泉街できかけとるやん」
ミレーヌが黒革手帖を閉じた。
「皆様の能力が、きれいに合わさりましたね」
リリアーナの横では、黒スーツ姿の清司も完成した現場を眺めていた。
「ええ現場やったな」
リリアーナが笑った。
レイナは満足そうに自分が配置した岩を眺めている。
ルシアンは三十八度と四十度のどちらへ先に入るか、まだ悩んでいた。
「四十度かな」
エミールが言った。
「三十八度の方が長く入れるって言ってたよ」
「でも四十度がちょうどよかった」
アレクシスも加わる。
「僕は三十八度!」
「なんで?」
「泡が出るから!」
「理由小一やん!」
「小一だよ?」
「せやったわ!」
その横では、エミールとアレクシスが注意看板の端に星を一個だけ付けるかどうかで揉め始めていた。
「一個くらいいいじゃん!」
「注意書きだよ!」
「端っこだよ!」
「ダメ!」
「さっきエミールも虹いいって言ったじゃん!」
「言ってないよ!」
「言った!」
「言ってない!」
「お前らまだやっとんのか!」
その時だった。
妙に静かな一角がある。
近藤。
土方。
沖田。
山南。
龍馬。
桂。
高杉。
西郷。
大久保。
全員、完成した温泉をじっと見ていた。
リリアーナは目を細める。
手ぬぐい。
着替え。
桶。
いつの間に用意したのか。
全員、完璧だった。
「お前ら」
近藤が視線をそらした。
土方は手ぬぐいを背中へ隠す。
沖田は桶を後ろへ回した。
龍馬だけは笑っていた。
「入ろうと思ったやろ!!!」
「……バレてたか」
土方が呟いた。
「バレるわ!!」




