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乙女ゲームの姫に転生した元若頭、攻略そっちのけで世界を変える――ふわ姫若頭  作者: 夜嶋朔
第二章 日本編

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第105話 泥だらけの光

 荒れ地には、鍬が土を打つ音、石を運ぶ音、水桶を置く音、それに笑い声まで響いていた。


 少し前まで何もなかった場所で、日本から来た者たちと貧民街の住人、百ちゃん、晴明、式神が入り混じり、同じ土を掘っている。


「そこは、もう少し浅くしてください。水が流れすぎます」


 百ちゃんが指示すると、土方はすぐに周囲へ声を掛けた。


「右側を浅くしろ。掘った土は外へ捨てるな。田の端へ積め」


 一方、高杉は作業する者たちの顔を見ながら歩き、疲れの見える者を見つけるたびに交代させていた。


「無理すんな。倒れたら明日働けねぇぞ」


 声を掛けられた貧民街の若者が、少し驚いたように高杉を見る。


「明日も、働いていいのですか」


「当たり前だろ」


 高杉が何でもないことのように答えると、若者は少しだけ笑った。


「はい」



 式神は地面へ手を置いた。


「百ちゃん。水、どうする?」


「今は、こちらへ少しお願いします」


「少しだけ」


 地下から静かに水が上がり、掘った溝へ流れ込んでいく。


「そこで止めてください」


「止める」


 水はぴたりと止まった。


 百ちゃんはしゃがみ込み、水の深さと流れを確認する。


「ちょうどいいです」


「できた」


「ようやった」


 リリアーナが笑うと、式神の身体を形作る水も嬉しそうに揺れた。


 その横では、晴明が扇を使って風を動かしている。乾きすぎた土には水気を残し、湿りすぎた場所にはやさしく風を通す。


 人の仕事を奪うほどの力は使わない。


 必要な場所へ、必要な分だけ力を貸していた。



 その頃、王宮では日本から来た農民たちが次々と目を覚ましていた。


 大広間を見渡しても、百ちゃんも、新選組も、龍馬たち幕末反乱軍もいない。


「……皆様は?」


「百ちゃんもいないぞ」


「新選組の方々も」


「龍馬様たちもおりません」


 農民たちは慌てて王宮の使用人へ尋ねた。


「申し訳ありません。姫様たちは、どちらへ向かわれましたか」


「貧民街へ向かわれたと聞いております」


「貧民街?」


「王宮を出て、左の道をお進みください」


 礼を言って王宮を飛び出したものの、そこは知らない国だった。


 知らない道。


 知らない建物。


 少し歩いただけで、すぐに迷った。


「すみません。貧民街は、どちらでしょうか」


 通りすがりの女に尋ねる。


「あの道をまっすぐですよ」


「ありがとうございます」


 また歩き、次の角でも聞く。


「すみません。貧民街へは」


「次の角を右ですよ」


「ありがとうございます」


 さらに進み、今度は荷車を引く男へ声を掛けた。


「貧民街へ行きたいのですが」


「ああ。大勢で土を掘っている場所でしょう?」


「土を?」


「朝から騒ぎになっていますよ」


 農民たちは一斉に顔を見合わせた。


「……急ぎましょう」


 今度は走った。



「姫さん!」


 荒れ地の端にいた欽ちゃんが声を上げた。


「また誰か来ました!」


「今度は誰や!」


 リリアーナが振り返ると、日本から来た農民たちが息を切らして走ってくる。


 服も乱れ、全員が焦った顔をしていた。


「百ちゃん!」


「何をしているんですか!」


 百ちゃんは土を見たまま答えた。


「見れば分かるだろ。田んぼと畑を作っている」


「なぜ起こしてくださらなかったのです!」


「休暇だと聞いていた」


「百ちゃんも休暇でしょう!」


「そうだったな」


「忘れていたんですか!」


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、リリアーナの横でわずかに肩を揺らしている。


「お前も大概やな」


「申し訳ありません、姫様」


「反省してへん顔やぞ」


「土を見たら、つい」


「分かるけどな」


「分かるんですか!」


 農民たちが一斉にリリアーナを見た。


「俺も現場見たら動くからな」


「清司さんが認めたら駄目です」


 ミレーヌがすぐに止める。


「せやな」



 農民たちは、すでに作られ始めた田と畑を見渡した。


 一人が水路へ駆け寄る。


「そこは、もう少し浅くしてください!」


 別の農民は土を握り、指先で崩した。


「こちらは畑ですね。先に石を取り除きましょう」


 さらに別の者が田の端へ向かう。


「その土は捨てないでください! 田の端を固めるのに使えます!」


 百ちゃんが少しだけ笑った。


「やっと来たか」


「置いていったのは百ちゃんです!」


「すまなかった」


「軽い!」


 農民たちは次々に袖をまくる。


「鍬をお借りします!」


「水桶はこちらへ!」


「田に入る方は、同じ場所ばかり踏まないでください!」


 本職が加わった瞬間、作業の速さが一気に上がった。



 田んぼになる場所。


 畑になる場所。


 水路。


 人が歩く道。


 農具を置く場所。


 少しずつ農地の形が見え始める。


 最初は荒れ地の一部だけだった。


 だが、農民たちは土地の先を見ながら次々に言った。


「こちらも使えます」


「向こうまで畑にできます」


「水路を伸ばせば、あちらにも田を作れます」


「待て待て」


 リリアーナは、どんどん広がっていく区画を見た。


「どこまで作る気や」


 百ちゃんは遠くの丘を指した。


「あの丘の手前までです」


「デカすぎるやろ!」


「人が増えましたので」


「増えたら広げる方式なん?」


「働き手を余らせるよりは」


「百ちゃんも現場脳やな!」


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、呆れたように額を押さえていた。



 それでも、誰も嫌そうな顔はしていなかった。


 日本から来た者も。


 農民たちも。


 貧民街の住人も。


 誰がどこから来たのか分からなくなるほど、泥だらけになって入り混じっている。


「次はこちらです!」


「分かりました!」


「水を運びます!」


「石をどけます!」


「少し休んでください!」


「では、代わります!」


 誰も身分を聞かなかった。


 誰が幕末反乱軍だったのか。


 誰が新選組だったのか。


 誰が農民で。


 誰が貧民街の住人なのか。


 そんなことで仕事を分ける者はいない。


 できる者が、できることをする。


 知らない者は、知っている者へ聞く。


 疲れた者は休み、元気な者が代わる。


 失敗すれば、皆で直す。


 ただ、それだけだった。



 昼を過ぎた頃、貧民街の道から大きな声が聞こえた。


「おーい!」


「何の騒ぎですか!」


 マーガリンおじさんたちだった。


 様子を見に来たらしく、荒れ地いっぱいに広がった人の数を見て目を丸くする。


「畑を作っているのですか」


「田んぼもや」


 リリアーナが答える。


「何人いるのですか」


「もう分からん」


 マーガリンおじさんは泥だらけになって働く人々を見回した。


「食事は?」


「まだや」


「先に言ってください!」


 そう言い残すと、すぐに走って戻っていった。



 しばらくして、マーガリンおじさんたちは大きな籠を抱えて帰ってきた。


 パン。


 サンドイッチ。


 焼き菓子。


 果物。


 作業の途中でも食べやすいよう、小さく分けられている。


 その後ろからは『氷の翼』の店員たちもやってきた。


 冷たい水。


 果物を入れた飲み物。


 氷を浮かべた茶。


 大きな容器を何人もで運んでいる。


「全員分、持ってきました!」


「足りなければ追加します!」


 バルドが静かに鈴を鳴らした。


 チリン。


「皆様、休憩のお時間でございます」


 荒れ地の動きが一斉に止まった。


 ただ一人、土方だけは水路の端を見たまま動かない。


「土方さん」


 百ちゃんが呼んだ。


「休憩です」


「あと少しで――」


「休んでください」


「……分かった」


 土方は素直に鍬を置いた。


 リリアーナがじっと見る。


「百ちゃんの言うことは聞くんやな」


「現場の親方だからな」


「俺の休めは聞かんかったやん!」


 土方は何も聞こえなかったような顔で、サンドイッチを取りに行った。



 皆はそのまま土の上へ座った。


 幕末反乱軍も。


 新選組も。


 農民も。


 貧民街の住人も。


 席を分ける者はいない。


 近藤は籠からサンドイッチを一つ取り、隣に座った貧民街の男へ差し出した。


「どうぞ」


「私が先にいただいても?」


「全員分ある」


 近藤は、昨日リリアーナから言われた言葉をそのまま返した。


「足りなければ、また持ってきてもらえばいい」


 男は少し驚いたあと、笑って受け取った。


「ありがとうございます」


 近藤も笑った。


 昨日まで、出された食事へ自分から手を伸ばすことすらできなかった日本勢が、今日は自分でパンを取り、隣の者へ渡している。


 足りるかと周囲を見ながらも、もう誰も遠慮して泣いてはいなかった。


 同じ飯を、笑って食べていた。



 リリアーナは土の上に座る者たちを見渡した。


 泥だらけの服。


 土のついた手。


 汗で乱れた髪。


 それでも、全員が笑っている。


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、その横で腕を組みながら一人ずつ見ていた。


「お前ら」


 リリアーナが声を掛けると、笑い声が少しずつ静かになった。


「ほんまにすごいわ」


 日本勢がリリアーナを見る。


「変なプライドがない。人を下に見ん。立場で人を見ん。農業が分からんかったら、百ちゃんらの言うことをちゃんと聞く」


 近藤たちも黙って聞いている。


「力ある奴は重いもん持つ。頭使える奴は道を考える。疲れた奴がおったら、昨日まで敵やった相手でも休ませる」


 リリアーナは、一人ずつその顔を見た。


「自分にできんことを、できるふりせぇへん。できる奴に任せる。自分にできることは、出し惜しみせぇへん」


 少しだけ目を細める。


「人として大事なもんが、お前らにはある」


 何人かが目を伏せた。


 泣きそうになっている者もいる。


「この国は、もっとようなる。オヤジも、傘下に入った国の王らも、お前らを絶対歓迎する」


 リリアーナは、まっすぐ全員を見た。


「お前らが本当にしたかったことも、お前らの家族がしたいことも、これから全部叶えていけるぞ」


 そこで一度だけ言葉を切る。


「諦めんかったらな」


 少しの沈黙のあと、土方が低い声で答えた。


「諦めるわけねぇだろ」


 高杉も口元を上げる。


「今さらな」


 近藤は強く頷いた。


「我々は、生きるためにここへ来ました」


 龍馬も大きく笑った。


「まだ何も始まっちょらんぜよ! これからじゃ!」


 心絆が勢いよく立ち上がった。


「絶対に諦めません!!!」


「声デカ!」


 聖子もすぐに手を挙げる。


「お兄ちゃん! 私も!」


「うるさっ!」


 泥だらけの荒れ地に、また笑い声が広がった。


「知っとる」


 リリアーナは、少し誇らしそうに笑った。


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、その横でふっと口元を緩めていた。



 桂は、自分たちが掘り起こした土を見た。


 元は敵だった者。


 知らない国で生きてきた者。


 身分も、生まれた場所も違う者たち。


 皆が同じパンを食べ、同じ水を飲み、同じ田んぼを作っている。


「平和とは」


 桂が静かに口を開いた。


「こういうことを言うのかもしれませんね」


 誰も、すぐには答えなかった。


 けれど、その場にいる全員が同じ景色を見ていた。


 まだ米は実っていない。


 野菜も育っていない。


 田んぼには、まだ十分な水すら入っていない。


 あるのは、掘り起こされた土と泥。


 汗を流す人たち。


 そして、笑い声だけだった。


 それでも。


 花びらが舞う乙女ゲームの学園より。


 豪華な舞踏会より。


 恋愛フラグが立つ瞬間より。


 泥だらけになったこの場所の方が、ずっと眩しく見えた。


 田んぼと畑が、荒れ地いっぱいに広がった。


「……もう土地ないな」


 リリアーナが周囲を見渡すと、鉄ちゃんが手を挙げた。


「姫さん。少し先に、まだ荒れ地がありやす」


「あるん?」


「へい。案内しやす」


 鉄ちゃんに連れられて向かった先には、草と石ばかりの広い土地が残っていた。


「ここでさぁ」


「広っ」


「ほな、ここも見とこか」


 鉄ちゃんは遠くから呼ばれ、そちらへ顔を向けた。


「姫さん、俺ちょっと行ってきやす」


「あぁ」


 鉄ちゃんが走っていく。


 晴明は荒れ地を歩きながら、ふと足を止めた。


「……温かい」


「何が?」


 晴明が地面へ手を置く。


「この辺りだけ、土が温かいです」


 式神も隣へしゃがんだ。


「下に水、いる」


「温かい水?」


「うん」


 日本勢の顔が一斉に変わった。


「……温泉?」


「マジで?」


 西郷が鍬を持った。


「掘ってみましょう」


「頼む!」


 ドン!


 西郷が一度掘る。


 ドン!


 二度目。


 ぶくっ。


「ん?」


 ぶわっ!!


「うわっ!」


 温かい湯が一気に噴き出した。


「出たぁぁぁ!!」


「温泉ぜよ!!」


「ほんまに温泉やんけ!!」


 西郷は鍬を持ったまま、湧き出す湯を見た。


「出ましたな」


「お前が一番落ち着いとる!」


 その時。


 ガラガラガラガラッ!!


「なんや?!」


 土煙を上げながら、一台の馬車が突っ込んできた。


 ガタンッ!


 扉が開く。


「でかしたーーーーー!!!!」


「オヤジ!?」


 オヤジが葉巻をくわえたまま飛び降りた。


「温泉出たんやろ!」


「なんで知っとんねん!」


「聞いた!」


「誰からや!」


「そんなんどうでもええ!」


「よくないわ!」


 オヤジは湯気の上がる地面を見た。


「でかした!!! ここ観光地にするぞ!!!」


「えーーーーー!!!!!」

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