103話 現地確認
翌朝。
日本から来た者たちには、数日間の休暇が与えられていた。
仕事はない。
警備もない。
家族と飯を食べ、街を見て、ゆっくり休む。
昨日、何度もそう説明した。
「ほな、貧民街行こか」
「はい、清司さん」
ミレーヌが黒革手帖を開く。
隣にはバルド、晴明、式神が並び、リリアーナの横では刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が腕を組んでいた。
「今日は、農業を始める土地の確認ですね」
「田んぼと畑や。水も要るから、二人連れてきた」
リリアーナは晴明と式神を見る。
「頼むで」
「承知しました」
「やる」
式神が小さく頷いた。
バルドが鈴を鳴らす。
チリン。
「馬車の用意が整っております」
「行こか」
貧民街へ着き、馬車を降りたリリアーナは、目の前の街を見て足を止めた。
「……変わったな」
以前は壊れかけた小屋が並び、道は泥だらけだった。
食べ物も仕事もなく、雨が降れば眠る場所すら失う者がいた。
今は違う。
道には石が敷かれ、水路には澄んだ水が流れている。子どもたちは道を走り回り、洗濯物が風に揺れていた。
何階もある集合住宅まで建ち始めている。
派手な街ではない。
だが、人が安心して暮らせる場所へ変わっていた。
「姫さん!」
欽ちゃんが大きく手を振って走ってくる。その横には鉄ちゃんもいた。
「お帰りなせぇ!」
「ただいま」
「日本は大変だったそうで。皆さん、ご無事で?」
「家族込みで、五百人くらい連れてきた」
「五百人?」
欽ちゃんが固まった。
鉄ちゃんも固まった。
「姫さん。それはもう、引っ越しじゃねぇです」
「だいぶ国ごと動かしたな」
「だいぶじゃねぇです」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、呆れたように片手で額を押さえていた。
欽ちゃんに案内され、リリアーナたちは街の中を歩いた。
『パンチ』へ向かう者。
『壱乱』で働く者。
『777』へ荷物を運ぶ者。
工場へ向かう者もいれば、売店を開ける者、道を掃除する者、建物を作る者もいる。
皆、それぞれ自分の持ち場へ向かっていた。
「かなり変わったな」
「へい」
欽ちゃんは嬉しそうに笑った。
「まだ仕事の決まってねぇ奴もいやす。けど今は、仕事がなくても飯は食えやす。寝る場所もありやす。それが当たり前になりやした」
リリアーナは街を見渡した。
働いている者がいる。
休んでいる者もいる。
それでも、腹を空かせて倒れている者はいない。
雨が降っても、追い出される者はいない。
「ちゃんと回っとるな」
「姫さんのおかげでさぁ」
「俺は指示しただけや」
リリアーナは、働く者たちへ目を向けた。
「作ったんも、働いとるんも、回しとるんも、お前らやろ」
欽ちゃんは少し照れたように笑った。
「へい」
さらに歩いた先で、リリアーナは何階もある集合住宅を見上げた。
「マンション、増えたな」
「オヤジさんに教えてもらいやした」
「オヤジが?」
「へい。一つの建物に大勢住めるようにして、家族ごとに部屋を分けるんでさぁ。水も使えて、シャワーもありやす」
「オヤジが教えたんか」
「へい」
「俺、聞いてへんぞ」
「姫さんは忙しいから、後で見りゃ分かるって」
リリアーナの眉が動いた。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、また片手で額を押さえている。
ミレーヌは当然のように黒革手帖へ書き込んだ。
「国王陛下。貧民街の住宅計画。清司さんへの報告なし」
「最後の一行いらんやろ」
「必要です」
「なんでやねん」
街の外れまで進むと、広い荒れ地が現れた。
背の高い草が生い茂り、固い土には大きな石が転がっている。水の通り道もなく、長い間使われていなかったことが一目で分かった。
「ここでさぁ」
欽ちゃんが荒れ地を指す。
「広さはありやす。けど、ずっと使われてねぇ土地で、田んぼや畑にできるか分からねぇです」
リリアーナは土地全体を見渡した。
「晴明、式神。見てくれ」
「承知しました」
「分かった」
二人は荒れ地へ入っていった。
晴明は日の当たり方や土地の高さ、風の流れを確認する。
式神は地面へ手を置いた。
「水」
「下にあるんか?」
「ある」
「深い?」
「少し」
「呼べるか?」
「呼べる」
「全部一気に出すなよ」
「出さない」
「街ごと沈めんなよ」
「沈めない」
「約束守れるな?」
「守る」
「よし」
式神の身体を形作る水が、少し嬉しそうに揺れた。
晴明も荒れ地の奥へ視線を向ける。
「こちら側を低くすれば田にできます。反対側は水を逃がせば畑として使えるでしょう。水路も作れます」
「いけるんか」
「はい。土地は変えられます」
リリアーナは荒れ地を見つめた。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、隣で腕を組んでいる。
「ほな、やろか」
晴明が扇を開くと、荒れ地へ風が走った。
背の高い草が一斉に倒れ、隠れていた地面の起伏が見えてくる。
式神も土へ手を置いた。
地下にあった水が静かに動き始める。
水路になる場所。
田んぼにできる低地。
畑へ変えられる場所。
何もなかった荒れ地の中に、少しずつ農地の形が見え始めた。
まだ完成ではない。
だが、ここから先は人の手で進められる。
石をどけ、土を掘り起こし、固い地面をほぐして、水を通す。
「ここまででええ」
リリアーナが二人を止めた。
「全部魔法で完成させたら、土地の癖が分からん。農家らに土見てもらって、人の手で仕上げる」
「承知しました」
「分かった」
ミレーヌも黒革手帖へ書き込む。
「農地の基盤を整備。今後、掘り起こし、土質の確認、水路の整備が必要」
「田んぼと畑、両方いけるな」
「はい」
欽ちゃんは、目の前の荒れ地を見ていた。
少し前まで、何も使えなかった場所。
今は田んぼと畑になる形が見えている。
「ここで、何を作るんで?」
「日本から持ってきた種や。米、大豆、野菜、ネギ。味噌も漬物も作る」
「また新しい食いもんの商売で?」
「商売だけちゃう」
リリアーナは、これから農地になる場所をまっすぐ見た。
「新しい産業や。農業、始めるぞ」
「へい!」
欽ちゃんが嬉しそうに笑った。
リリアーナは、今度は鉄ちゃんを見る。
「鉄ちゃん」
「へい」
「頼みあるんやけど、日本から来た五百人が住むマンションを――」
「あぁ。それなら、もう建て始めておりやす」
「……は?」
鉄ちゃんが指を差した。
少し離れた場所では、鉄ちゃん組がすでに土を掘り、木材や石材を運び込んでいた。
柱まで立ち始めている。
「オヤジさんから、五百人来るから土地押さえて建てろって言われやして」
「早すぎるやろ!」
「オヤジさんの指示でさぁ!」
「また根回し済みかい!」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司は、とうとう両手で頭を抱えた。
その横で、ミレーヌが黒革手帖へ書き込む。
「日本勢五百人用マンション。着工済み。国王陛下による事前手配。清司さんへの報告なし」
「それ絶対書くんやな!」
「はい」
「迷いないな!」
農地の基盤はできた。
マンションも、すでに建ち始めている。
リリアーナは新しくなった街と、その向こうに広がる農地予定地を見渡した。
「ほな次は、農家らに土見てもらおか」
「はい、清司さん」
バルドが鈴を鳴らす。
チリン。
その時だった。
荒れ地の端に残った背の高い草が、不自然に揺れた。
「……」
木材の陰から足が見えている。
建設中のマンションの陰から頭が出ている。
荷車の後ろでは、大きな身体が全然隠れきっていない。
リリアーナは無言でそちらを見た。
「……何してんねん」
誰も出てこない。
「見えとるぞ」
まだ出てこない。
「出てこい!」
最初に姿を現したのは近藤だった。
「アニキ」
その後ろから、土方、山南、沖田、斎藤、原田、永倉、藤堂、井上、山崎たち新選組がぞろぞろ出てくる。
反対側からは龍馬、桂、高杉、西郷、大久保、心絆、聖子。
さらに、日本から来た農家たちまでいた。
全員、昨日渡された清潔な服を着ている。
髪も整っている。
顔色も昨日よりずっといい。
そして全員が、鍬、鋤、縄、水桶などの農具をしっかり持っていた。
「……お前ら」
リリアーナは額を押さえた。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、呆れたように全員を見ている。
近藤が真剣な顔で答えた。
「アニキの護衛です」
「鍬持って?」
「必要になるかと」
土方も当然のように続ける。
「土地の安全確認だ」
「鋤持って?」
「土の中に危険物があるかもしれねぇ」
「それ掘る気満々やないか!」
龍馬が笑った。
「姫さん! 田んぼ作るんじゃろ?」
「今日は土地見るだけや!」
西郷は鍬を三本まとめて肩へ担いでいた。
「力仕事なら、お任せくだされ」
「休暇や言うたやろ!」
沖田がにこやかに答える。
「散歩です」
「農具持って散歩する奴おるか!」
「途中で必要になるかと思って」
「完全に働く気やんけ!」
聖子も楽しそうに手を振った。
「お兄ちゃん! みんなで来たよ!」
「うるさっ! 見たら分かる!」
心絆も勢いよく拳を上げる。
「農業を手伝います!!!」
「声デカ!」
日本から来た農家の一人まで、真面目な顔で前へ出た。
「土を見せていただけると聞きましたので」
「誰から聞いたんや」
「近藤様から」
リリアーナが近藤を見る。
「なんで知っとんねん」
「朝、王宮の者へ本日のご予定を聞きました」
「休暇中に俺の予定調べんな!」
「護衛のためです」
「鍬持った護衛いらんねん!」
大久保が眼鏡を押し上げた。
「しかし、農家の皆様がいれば、土質の確認を本日中に進められます」
「正論で参加を正当化すな!」
桂も静かに頷く。
「人手も十分です」
「お前まで!」
高杉が鍬を肩へ乗せた。
「もう来たんだから、やればいいだろ」
「休め言うてんねん!」
「昨日寝た」
「一晩寝たら休暇終了ちゃうわ!」
日本勢が一斉に顔を見合わせた。
「……まだ休むのですか?」
「そこからなん!?」
リリアーナの声が貧民街中へ響いた。
「お前ら、なんで来てんねん!!」




