第17話:明日の食卓をもっと豊かに
昼下がりの陽光が石畳を照らし、街の中心にある市場は今日も活気に満ちていた。
横を歩くリーネさんは、いつもの軋鎧と違って簡素なドレス姿だ。
「どうだ、コーサク殿。たまにはこういうのも悪くないだろう?」
“息抜きだ”と半ば強引に連れ出した彼女は、どこか誇らしげだ。
久しぶりに歩く市場は以前よりずっとにぎやかで、俺は思わず周囲を見回した。
「ふーむ。前より活気があるな。特に――」
「おっ、第三騎士団長殿! 今日は鎧じゃねぇのかい!」
魔物の革をなめす手を止め、革細工屋の店主が声をあげた。
「……今日は休暇だ。たまにはこういう格好も、する」
リーネさんが、顔を隠すように帽子のつばを指先で押さえる。
その仕草が妙にぎこちなくて、逆に目を引いた。
若草色のワンピースに淡い黄色のサッシュ。
大きなつばの帽子からこぼれる銀髪が、陽の光を受けてきらりと揺れる。
……あれ、鎧とドレス姿以外の彼女を見るのって、初めてなんじゃないか?
「そ、そんなにまじまじと、見ないでくれないか……」
帽子のつばをさらに深く下げる。
耳まで赤くなっているのが、横顔からでも分かった。
「え、あ? いや、その……似合ってるなって思って、つい」
「――お世辞はいい!」
言いながら、リーネさんはわざとらしく咳払いし、空いている手で前方を示す。
「そ、それより、どうだ? 久々の市場は」
声はいつも通りなのに、指先だけがほんの少し落ち着きなく揺れていた。
改めて見回す市場は、以前より明らかに賑わっていた。
行商人の呼び声、荷車の軋む音、子どもたちの笑い声。
どれも、数か月前には考えられないほど“余裕”のある音だ。
「……本当に、変わったな」
思わず漏れた独り言に、リーネさんが横目でこちらを見る。
「魔術師団も騎士団も、ここ数か月で随分と立ち直ったからな。街の者たちも、ようやく“安全”を実感してきたのだろう」
確かに、露店の並びは増え、客の声も明るい。
特に魔物素材の店は、革や骨、牙を並べて活気づいている。
俺がこの世界に呼ばれた頃の、あの静かで張りつめた空気はもうない。
人々の顔に浮かぶ“安心”が、そのまま街の明るさになっていた。
――その賑わいの中で、ひときわ大きなざわめきが起こった。
「コーサク殿、あれを見ろ」
リーネさんが指差した先――市場の広場に、豪奢な馬車がゆっくりと入ってきた。
領主家の紋章が刻まれた馬車だ。
ざわめきが広がり、馬車の扉が開く。
降りてきたのは見違えるほど引き締まった領主と、ふっくらと健康的になったイルゼだった。
二人とも顔色が良く、何より――親子の表情が驚くほど柔らかい。
「コーサク様!」
イルゼが俺を見つけるや否や、ぱっと顔を明るくして駆け寄ってきた。
スカートの裾を押さえながら走る姿は、以前の彼女からは想像できないほど元気だ。
「お久しぶりです! 私もお父様も、こんなに元気になりましたわ!」
両手を胸の前でぎゅっと握りしめる。
その仕草が嬉しさを隠しきれていない。
「シナモリ殿、その節はずいぶん世話になった……相応に苦労もしたがな」
ゆっくり歩いてきた領主が、苦笑しながらすっかり小さくなった腹を軽く叩く。
以前よりも背筋が伸び、声にも張りがある。
「こんな場所だが、ちょうどいいのかもしれん。実は貴殿に話があるのだ」
市場の喧騒を背に、領主は真剣な眼差しで語り始めた。
イルゼも隣で小さくうなずき、こちらを見る。
どうやら――ただの挨拶では済まない話らしい。
「街の様子は見てくれたか? 街の防衛が安定したことで、魔物素材の売買は好調だ」
領主があたりを眺めつつ、ゆっくりと言葉を続ける。
市場の喧騒が、まるでその言葉を裏付けるように広がっていく。
「このまま行けば、そう遠くない未来にモークウッドの調査にも乗り出せるだろう」
そこで一区切り置くと、領主は俺の方へ向き直り、じっと見つめてきた。
「だがな、それとは別に……貴殿に頼みたいことがある」
「俺……私にですか?」
思わず背筋を伸ばし、できるだけ丁寧に言葉を返す。
「ああ。儂は防衛都市たるこの街の本懐もだがな、ここに住む領民の暮らしもよくしたいのだ」
領主は胸に手を当て、静かに息を整える。
その横でイルゼも、まっすぐこちらを見つめていた。
「そこでだ、シナモリ殿。貴殿の作り上げた“圧力鍋”――あれをもっと広めたい」
その言葉に、俺は思わず目を瞬かせた。
「圧力鍋、ですか?」
「うむ。あれは魔物肉の調理を容易にし、料理の幅を広げる。街の者たちの暮らしを豊かにする力がある。儂はそう確信しておる」
領主の声には、商人のような鋭さと、領主としての責任感が混ざっていた。
「製作者の鉄腕殿に聞けば、“そう言うのはコーサクに聞け”と一蹴されてしまってな。どうか――力を貸してはくれぬか」
市場の喧騒の中で、苦笑いを浮かべる領主の言葉だけが、不思議と静かに響いた。
「貴殿の料理は、この街の未来の鍵になる。グランツ殿が貴殿を召喚したのは……奇禍ではなく、必然だったのかもしれん」
こちらを見る領主の目は、どこまでも真剣だ。
市場の喧騒が遠のいたように感じる。
「いや、俺はただ――」
言いかけた言葉を、領主が手を軽く上げて制した。
「謙遜は無用だ。事実、貴殿の“食に向き合う姿勢”と“知識”があったからこそ、我々は救われ、こうして立っていられる」
胸の奥がじんわりと熱くなる。
「圧力鍋も広まってくれるなら嬉しいですが、たまたま知っていただけで……」
正直な気持ちを口にすると、領主はふっと目を細めた。
「やはり、貴殿はそう言うのだな。だがな、シナモリ殿――貴殿のおかげで、この街の未来は明るいのだ」
イルゼも隣でこくりとうなずく。
その瞳には、かつての不安も怯えもなく、ただまっすぐな感謝だけが宿っていた。
「貴殿がこの街に来てくれたこと、それ自体が我々にとっての幸運だ。……どうか、これからも力を貸してほしい」
領主の言葉は、決して大げさではなく、“救われた側の実感”を伴った真摯な願いだった。
ふと横を見ると、リーネさんが嬉しそうに微笑んでいた。
その表情に背中を押されるように、俺は領主へ向き直る。
「……大したことはできないでしょうが、それでも良ければ。俺でよければ力になりますよ」
そう告げた瞬間、領主の顔がぱっと明るくなった。
「ありがたい! 本当にありがたいぞシナモリ殿! さしあたって、次は――領民を“太らせるの”が目標だな!」
「太らせるって……お父様までそんな言い方をなさるなんて!」
隣のイルゼが、くすくすっと笑った。
「コーサク殿ならできるだろう? 期待しているぞ!」
その言葉に、自然と笑みがこぼれる。
――よし。やってやろうじゃないか。
この街の食卓をもっと楽しく、もっと豊かに。
俺にできることは、きっとまだまだある。
隣では柔らかく微笑むリーネさんが、ゆっくりと頷きを返してくれる。
彼女以外にも、たくさんの仲間がきっと助けになってくれるはずだ。
市場を吹き抜ける風が、どこか心地よく頬を撫でた。
明るい未来の匂いが、ほんの少しだけ混じっている気がした。
☆や感想を頂けましたら、これ幸い。
ここまで読んでいただき、心より感謝申し上げます。
次作の「携行糧食研究部」も、引き続きご贔屓に。




