第13話:芽吹いた決意
「それで、今日見たら葉が三つも増えていたのですよ!」
顔合わせから一週間。
窓から差し込む柔らかな光の中、イルゼは鉢の若葉にそっと指先を滑らせながら、俺に向かって嬉しそうに話しかけてきた。
以前よりわずかに顔色が和らぎ、久しぶりの笑顔が浮かんでいる。
彼女の弾む声に、俺も思わず口元が緩む。
俺が考えた作戦――“育てて食べる” は、どうやら順調に進みだしているらしい。
窓際に並ぶ鉢の若葉は、朝日を浴びてきらきらと揺れていた。
ミントにラディッシュ、ルッコラにリーフレタス――どれも植えてからまだ日も浅いのに、小さな葉を次々と広げている。
その瑞々しい緑は、イルゼ自身の回復を映しているようにも見えた。
毎朝、イルゼは自分で欠かさず水をやっているらしい。
最初は珍しく心配そうにしていた老執事も、今ではすっかり落ち着きを取り戻し、その様子を静かに見守っている。
紅茶を一口含みながら、嬉しそうに植物の変化を語るその姿には、初めて会ったときに感じた怯えや遠慮の色が、もうほとんど見えなかった。
「……それで、今日のお茶の味はどうだ? 自分で育てたミントを使ったんだろう?」
「はい! とてもおいしいです!」
イルゼは胸の前で手を重ね、少し照れたように微笑む。
カップの縁から立ちのぼる淡い香りが、彼女の金の髪をふわりと揺らした。
「できれば、もう一つのカモミールの花も育ててみたいのですが……」
「残念だが、今は時期じゃないしな。温かくなって……お嬢様がもっと元気になってからだろうな」
「元気に……ですか……」
イルゼはそっと視線を落とし、カップの中の淡い緑を見つめた。
「心配することはない。スープの量だって、少しずつ増えてる」
俺がそう言うと、イルゼは小さく頷いた。
ミントの爽やかな香りが湯気と混ざり、静かな部屋に広がっていく。
イルゼは紅茶をもう一口含み、ほっと息をついた。
あの日、初めて口にしたミントとカモミールのハーブティーは、今ではすっかり彼女のお気に入りだ。
しばらくして、柔らかな空気の中、イルゼはそっと口を開いた。
「その……コーサク様にご相談したいことがあって」
「ん? なにか気になることがあったか?」
「私のことではなく……お父様のことなんです」
イルゼはカップを両手で包み込み、指先に力を込めた。
温かさを確かめるように一度息を吸い、硬い声音で続ける。
「コーサク様は、人は食べないと死ぬとおっしゃっていましたが……お父様は、本当に元気なのでしょうか」
「領主様? 何か気になることがあるのか?」
「小さい頃から言われてきました。贅を凝らした料理をたくさん食べられることが“裕福と成功と幸せの証拠”だと……」
イルゼは苦しげに眉を寄せた。
「昔のお父様は、本当にたくさん召し上がっていました。でも、いつからか、食事のあと決まって眉間に皺を寄せて……椅子にもたれたまま、しばらく動かないことが増えて……」
イルゼは言葉を選ぶように視線を落とした。
「それでも“平気だ”とおっしゃっていましたが……最近では、料理を前にしても、お酒ばかり口にしていると聞きます」
たしかに、領主との食事の時――
豪華な料理が並んでいたが、彼は料理を勧めるばかりで、自分はワインを口にしていることが多かったように思う。
「それが……お前が食べるのが怖くなった理由なのか?」
「……分かりません。でも、ずっと胸のどこかで不思議に思っていたのです。なぜ、苦しんでまで食べなければいけないのかって……」
イルゼの声は震えてはいない。
ただ、長い間胸の奥にしまっていた疑問を、ようやく言葉にできた――そんな響きだった。
イルゼは不安げにこちらを見上げていた。
「そっか……そんなことがあったんだな」
俺はゆっくりと言葉を選んだ。
「食べないことも危険だが、食べ過ぎるもやっぱり体には良くない」
イルゼの瞳が揺れる。
「では……お父様は……」
「あー、心配はいらない」
俺は両手を軽く前に出し、なだめるようにゆっくりと振った。
「食べ過ぎをやめて、適度に運動すればよくなるから」
胸の前で手を握りしめるイルゼの目には、涙が浮かんでいる。
「……本当に、よくなるのでしょうか」
「なる。して見せる」
俺は断言した。
「ただ、それには領主様自身が変わる必要がある。食事に運動……悪い習慣を直さなくちゃいけない」
イルゼはしばらく唇を噛みしめていた。
ハーブティーの湯気が揺れ、その向こうで彼女の瞳がゆっくりと決意の色を帯びていく。
「お父様を……」
ぽつりと落ちたその言葉は、か細いのに、どこか強かった。
俺が続きを促すように黙っていると、イルゼは胸の前でぎゅっと手を握りしめた。
「私、頑張ります」
「しっかり食べられるようになって……運動もして……絶対に元気になります」
その声は震えていない。
弱さを抱えたまま、それでも前に進もうとする意志があった。
「だから……お願いです」
イルゼは深く頭を下げた。
「私の次は、お父様も元気にしてください!」
――この日を境に、イルゼの前向きさは“目標”として形になった。
食事も散歩も、積極的に取り組むようになったのだ。
鉢植えの若葉が、光に向かってそっと伸びるように。
彼女の体も、着実に健康を取り戻していった。
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