第12話:紅茶が導く食べられない理由
面会の準備は驚くほど早く整った。
領主の娘――イルゼ=ヴァルムハイトとの面会は、会食の翌日、館の庭にある東屋で行われることになったのだ。
老執事の案内で、手入れの行き届いた庭を抜けていく。
季節の花々が咲き誇り豊かな香りが風に乗り、緊張している俺の胸を少しだけ和らげた。
隣には、昨日とは違う深い緑のドレスを纏ったリーネさんが歩いている。
護衛として何度か顔を合わせたことがあるらしく、イルゼとも面識があるという。
十三歳の少女と話すのは、何というか……妙に緊張する。
俺ひとりじゃ荷が重い気がしていたので、リーネさんが一緒なのは本当に助かる。
柔らかな風が通り抜ける静かな場所で、そこに彼女はすでに座っていた。
「ようこそおいでくださいました。オットマーの娘、イルゼ=ヴァルムハイトです」
明るい黄色のドレスに包まれた白い肌。
柔らかく波打つ金の髪が、風に揺れていた。
丁寧に立ち上がり、深くお辞儀をするその姿は、静かに微笑んでいるのに、どこかぎこちなさが残っていた。
「えっと、ご丁寧にどうも。康作 品森です」
「本日はよろしくお願いいたします。リーネ様も、お会いできてうれしいです」
初対面なのに、俺よりずっとしっかり挨拶してみせるイルゼに、思わず感心してしまう。
「今日の私はただの付き添いだ。このコーサク殿は、我ら騎士団も魔術師団も世話になっている料理人だ」
リーネさんのさりげないフォローに頭が上がらない。しっかりしなければ、と気を引き締める。
そんなやり取りを交わし、俺たちは席についた。
「本日の品々はシナモリ様がご用意して下さったものでございます」
朗々とした老執事の紹介と共に、侍女たちが次々と皿を並べていく。
木の実のクッキー、果物のコンポート、ヨーグルト、サンドイッチ、カナッペ、蒸しパン。
どれも、老執事から彼女の話を聞いて、俺が用意してきたものだ。
「まぁ……どれもおいしそう。ありがとうございます」
だが、並べられた皿を見つめるイルゼの声は、ほんのわずかに強張っていた。
微笑みは崩していないが、視線は食べ物の上を滑るだけで、手が伸びることはない。
……やっぱり、食べるのはつらいのか。
「あー……無理に食べなくていいからな」
そう声をかけると、イルゼは驚いたように目を瞬かせ、ぱっと口元を手で覆った。
「す、すみません……でも、よろしいのですか? 折角作っていただいた物なのに……」
「気にしなくていいよ。そんなに量もないし、俺たちで食べちゃうから」
軽く手を振ってみせると、イルゼはほっとしたような、でもまだ申し訳なさそうな表情を浮かべた。
俺は手近にあったクッキーをひとつつまみ、口に放り込み、紅茶で流し込んで見せた。
「それで早速なんだが、アレルギー……いや、食べたら熱が出たり、苦しくなったりするものがあるとか?」
イルゼはびくりと肩を揺らし、両手を膝の上でぎゅっと重ねた。
「い、いえ……そのようなことは……」
小さく首を振る仕草は控えめで、視線はカップの中に落ちたままだ。
「ただ、最近は食欲がわかないと申しますか……食べても気持ち悪くなってしまって……」
言いながら、気まずそうにカップの縁をなぞる。
「食べると気持ち悪くか……それは、どれくらい前から?」
俺が問い返すと、イルゼは一瞬だけ目を上げ、すぐに伏せた。
「えっと……半年ほど前からでしょうか。もともと、味の濃いお肉やバターなどが苦手で、よく小食だと言われてきましたが……ここまでではなく」
しっかりとした受け答えであるが、彼女の言葉は、かすかに震えていた。
「ふーむ……」
温くなった紅茶をひと口飲み、ちらりとイルゼを見る。
確かに、食べる量が少なかったのだろう。
年の割に体は小さく、化粧で隠しているものの、目の下のクマや髪のツヤの無さは、よく見ればすぐに分かる。
「お父上も心配しておられましたが、食べられなくなった心当たりなどは……」
リーネさんがそっと問いかける。
その声音には、責める色はまったくなく、ただ純粋な心配だけが滲んでいた。
「……わかり、ません」
イルゼは小さく肩をすくめ、申し訳なさそうに視線を落とした。
その声は、聞き取れるかどうかのぎりぎりの細さで、胸の奥にしまい込んだ何かを無理に押し出すようだった。
心が痛む。
これが単なる好き嫌いの問題だったら、どれほど楽だったことか。
沈黙が支配する中、冷めてしまった紅茶を老執事が静かに入れ直した。
「お嬢様、体をお冷やしにならないように」
「ありがとう、エレミアス……あら、この紅茶、ずいぶんすっきりしたお味ですね」
老執事は丁寧にお辞儀をして答えた。
「こちらはシナモリ様より頂きました、“ハーブティー”と呼ばれるお茶でございます」
「そうなのですね……ハーブ、ですか……」
イルゼはカップを見つめ、もう一度、味わうように飲んだ。
その様子を見て、リーネが補足するように口を開く。
「薬草や香草から作ったお茶です。体にも良いことから、魔術師団では特に人気があるらしく……」
「薬草茶のような苦みがないのに……不思議です」
そっと口をつけるイルゼに、思わず問いかけてしまった。
「紅茶は飲めるのか」
「え? ええ……そうですわね」
その返事に、胸の奥で小さな希望が灯った。
胃が弱ってるのか? お粥ならいける……いや、もっと薄い方がいいのか?
困惑するイルゼを置き去りに、俺はブツブツと考え込んでしまっていた。
すると、カップを静かに置いたイルゼが、背筋を伸ばして問いかけてきた。
「……あの、いいでしょうか」
硬い声音に、思考から戻り彼女を見る。
「貴方は……私に“食べろ”とは言わないのですの?」
イルゼは緊張した面持ちで、勇気を振り絞るように口を開いた。
「ん? ああ……もちろん食べてほしいけどな。でも、無理なんだろ? 無理矢理はよくないからな」
「で、ですが……このままでは私は……」
彼女の声は、焦るように震えていた。
きっと、“食べられない自分”を責め続けてきたのだろう。
「もちろん、ずっとそのままって訳にはいかないさ。
人は、食べなきゃ生きていけないからな」
イルゼの肩がびくりと揺れた。
その反応に、俺は少しだけ言葉を選ぶ。
「でもな。食べられない理由ってのは、いろいろあるんだ。単純な好き嫌い、体に合う合わない……そして――心の問題」
「心の、問題……」
イルゼは、まるで初めて聞く言葉のように、その一語一語をゆっくりと胸の奥へ落とし込むように繰り返した。
俺は少しだけ声を落とし、続ける。
「そういうのがあるんだ。お腹は減るし、食べなきゃいけないのも分かってる。それでも……心が“食べること”を拒んでしまうことがある」
しばらく沈黙が落ちた。
イルゼは両手を膝の上でぎゅっと握りしめ、小さな声で言葉を紡いだ。
「……わたくし、今のままではいけないと分かっているのです。ふらついたり、めまいがしたり……」
小さく息を吸い、勇気を振り絞るように続ける。
「だから……その……健康になれるように、頑張りたいのです。どうか……力を貸していただけませんか」
その瞳には、不安と決意が入り混じっていた。
それでも逃げずに“自分の問題”と向き合おうとする、か細いけれど確かな意志。
俺はゆっくりと頷いた。
「領主……父親とも約束してるんだ。絶対にどうにかして見せるさ」
そう言って微笑んで見せると、イルゼの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。
こうして俺の、料理人としてやるべきことが定まった。
ハーブティーならジャスミンが好きです。
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