嵩山少林寺の歴史と武術
さて、少林寺である。順番を少々飛ばすことになるが、中国武術いえば、やはり少林寺だ。
<歴史>
河南省登封市の嵩山の少室山の北の麓。北魏の孝文帝が、インド出身の僧・跋陀=正式名:仏陀跋陀羅のために建てたとされる寺(北魏・495年頃)。6世紀前半には、これもインド人仏僧の菩提達磨が訪れ、中国禅宗の開祖となる。
いわゆる達磨大師が「少林寺の開祖」と筆者は思っていたわけだが、調べて見ると別のインド僧のために建てられ、達磨はその後に訪れたインド僧ということになる。
達磨は九年間、洞窟の壁に向かって座禅を組んだとされ、少林武術の始祖となったとされる人物。あとで出てくる『易筋経』や『洗髄経』なども彼が伝えたとされるが、これらは後世に形成された架空の伝説とする説が、学界では一般的。
隋末の混乱期、後に太宗となる李世民(唐の第二代皇帝)に協力する形で、13人の少林僧が王世充の勢力と戦った(621年頃)というのが、武僧の存在を確認する最初の記録。
明代(1368~1644年)が武装の最盛期とされ、倭寇とも戦ったという記録が残る。民は漢民族最後の統一王朝である。
1928年、軍閥の石友三の放火で、主要な建物の多くが焼失。文化大革命にも打撃を受ける。世界的なブームのきっかけは、1982年に公開されたジェット・リー主演の映画『少林寺』。この映画のおかげで復興へと向かう。
<武術>
禅武合一(拳禅一如)の思想を持ち、仏教の修行と武術鍛錬は一体であるとする。武術は殺傷目的ではなく、心身の修養と寺院の防衛のためとする。
柔軟性、脚力、跳躍、姿勢(馬歩・弓歩など)、腕や指の部位鍛錬といった基本功(基礎訓練)を徹底的に行い、拳法=套路に入るのは、その後から。
拳法には、小洪拳・大洪拳、羅漢拳、炮拳、七星拳、長拳系の各種套路があり、これに武器術などが加わる。
武器術では、槍、刀、剣、鞭、双節棍などがあり、全部で「十八般」。中でも棍=棒術は「百兵の祖」ともされ、少林武術の代名詞である。「武芸十八般(十八般兵器)」の概念は、日本にも江戸時代初期に伝わり、武士にとっても必須科目となる。日本ではさらに「すべての武器を修めた」というブラフとして「武芸百般を修める」という言葉があるが、百種類も武器の訓練を行っていたら、どれもおろそかになるので、本末転倒な話でもある。
さらに特殊な鍛錬として「少林七十二芸」というものがあり、72種の秘伝の修行法、技法のことを指す。有名どころでは硬功を鍛える鉄砂掌、指一本で逆立ちしながら禅を組む一指禅などがあり、基本功の延長線上にある各鍛錬の総称と考えてもよいかもしれない。
ちなみに「少林寺拳法」という言葉は、日本で生まれる。1947年に香川で宗道臣(中野 理男)によって創始される。古典嵩山少林寺における最後の継承者を名乗り、日本に少林寺の拳法を普及させる。
中野は幼い頃に家出し、祖父のいる満州へ。帰国後、今度は特務機関員として何度も中国へと渡り、1933年に北京で隠棲していた北少林義和門拳の文太宗老師の弟子となる。1936年には、嵩山少林寺で義和門拳の「法脈継承」の儀式を行い、伝法の允可を受けたとされる。
「日本人がなぜ少林寺の拳法を?」という現代人の謎には、やはり「満州国」や「中国残留孤児」などの歴史を学ぶ必要もありそうだが、筆者の選択は「世界史」だったので、そのへんはまだあやふやだ(特にこの時代には「偽史」が数多く創作されているので非常にややこしい)。




