第99話 税務担当メルツ、税の条項で本領を発揮する
帰還から半月。七十四条の王国内での施行準備が進む中、財務課に一つの問い合わせが舞い込んだ。差出人は東部の商人組合。文面は切実だった。『二国基準ができたと聞いた。だが、我々の税はどうなるのか。国境の市で帝国の商人と取引した場合、王国と帝国、どちらに税を納めるのか。誰も答えられぬ』。
「――待っておりました」その書状を読んだメルツの目が、爛々と輝いた。「この問いこそ、わたしが三年待ち続けたものです」彼は机の引き出しから、分厚い綴りを取り出した。帝国の税制を独学でまとめた、あの綴り。旅のあいだも片時も手放さなかった、彼の宝である。
「メルツさん、そんなにうれしそうに」ライルが呆れると、メルツは胸を張った。「勇者様。七十四条は、確かに見事です。ですが――あれは『記録』の決まりです。『税』の決まりは、まだ一条もない。二重課税の原則を決めましたが、あれは討伐報酬という一件についてのみ。国境の市の日々の取引には、まだ道がないのです」
エルナがうなずいた。「その通りです。……メルツさん、案はおありですか」「三年、寝かせてまいりました」メルツは綴りを開いた。そこには、びっしりと書き込まれた条文案があった。『国境市場における課税の原則』。「基本は、四十日の旅で学んだ、あの考え方です。――『支出者負担、ただし指図者、責任』。あれを税に応用します」
彼の案は明快だった。国境の市での取引は、『売った者の国』が課税する。買った側の国は課税しない。これで、二重課税は避けられる。「ですが、これだけでは片手落ちです」メルツは続けた。「税率が違うのです。王国の取引税は一分。帝国は一分五厘。……このままでは、商人は必ず税の安い王国側で売ろうとする。市が国境の片側に偏ってしまう」
「――では、税率をそろえるのですか」ヴァロが尋ねた。「それは無理です」メルツは首を振った。「税率は国の根幹。そろえるには百年かかります。……ですから、こういたします」彼は条文案の次の頁を開いた。「『国境市場に限り、両国の税率の中間値を適用する。差額は、両国の財務が事後に精算する』。一分二厘五毛。商人は、どちらで売っても同じ。市は偏らない。そして、国の税率は一文字も触らずに済む」
会議室が、しん、と、なった。エルナが目を見開く。「……メルツさん。それは」「第一条を触らずに、隣に一条置いた。あのやり方の応用です」メルツは、少し照れたように鼻をこすった。「カリナ殿の発想を盗ませていただきました。……国の根幹には触れない。ですが、国境という『あいだ』には、新しい決まりを置ける。あそこは、どちらの国の庭でもないけれど、どちらの国の庭でもある。……そういう場所なのです」
「三年前のあなたなら」エルナが、しみじみと言った。「『前例がない』の一言で切り捨てていたでしょうね」「ええ」メルツは素直に認めた。「あのころのわたしは、決まりを盾に振り回すことしか知りませんでした。……回復薬を『甘い飲み物』と言い張った、あのわたしです」彼は遠い目をした。「あの日、エルナ殿に負けて悔しくて、税を学び直しました。他国の決まりまで。……その悔しさが三年経って、こんな条文になるとは。人生とは、わからぬものです」
「一つ、伺ってもよろしいですか」テオが手を挙げた。「その中間値というのは……商人の方々は納得するのでしょうか。王国の商人は、『税が上がった』と怒るのでは」「鋭いご指摘です」メルツはうなずいた。「ですから、こう説明します。『税は二厘五毛上がる。ですが、帝国の客が来る』と。……国境の市に帝国の商人が来なかったのは、税の不公平を恐れていたからです。中間値にすれば、彼らは来る。客が倍になって、税が二厘五毛。……損得の話にすれば、商人ほど話の早い相手はおりません」その抜け目のなさに、クロウが感心した。「あんた、盗賊になっても食っていけるぜ」「褒め言葉と受け取っておきます」
条文案は、帝国側へ送られた。返事は、驚くほど早かった。差出人は、カリナ・ヴェルト――現場調査室、初代室長。『――メルツ殿の案、拝読いたしました。帝国税務も賛成です。特に、中間値方式は見事の一言。ただし、一点、修正の提案が。「差額の事後精算」の事務が、両国の担当者に重すぎます。年に四度ではなく、年に一度にまとめてはいかがでしょう。……現場の負担を減らすのも、決まりの務めですので』。
その一文を読んだメルツが、思わず笑った。「――やられました。完全に現場の目です。あの方、本当に変わられましたな」「あなたもです」ライルが笑った。「税をいかに取るかじゃなくて、いかに現場を楽にするかを考えてる。三年前のあんたなら、考えもしなかっただろ」
こうして、『国境市場における課税の原則』全九条が、七十四条の付属覚書として加えられた。東部の商人組合には、ヴァロが絵入りのやさしい手引きを作って送った。数月後、届いた返礼の書状には、こうあった。『――おかげで、国境の市が賑わっております。帝国の商人と同じ卓で商いができる。こんな日が来るとは思いませんでした』。
その書状を財務課の壁に貼りながら、メルツは満足げに言った。「……税というのは、本来こういうものなのです。取り立てるための鞭ではなく、人が安心して商いをするための下地。三年かかって、ようやくそれが腑に落ちました」――かつて、勇者の回復薬を「甘い飲み物」と言い張った税務担当は、いま、二つの国の商いを支える条文を書いている。世界で一番地味な冒険が育てたのは、勇者や財務官だけではなかったのだった。




