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勇者、経費で落ちません  作者: みき
第2幕 国際編

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第97話 帰り道、旅から戻った魔王と、街道ですれ違う

 帰路の街道は、行きとはまるで違う景色に見えた。同じ道、同じ里程標。だが、あのこわばった緊張は、もうどこにもなかった。一行の荷には、二通の条文集のうち、王国へ持ち帰る一通が大切に収められている。


 国境の山地に差し掛かった三日目。前方から、一人の旅人が歩いてくるのが見えた。仕立ての良い上着は埃まみれ。立派な鞄は雨に打たれて、色が変わっている。だが、その足取りは、行きに見たときよりずっとしっかりとしていた。「――あれは」テオが目を細める。ライルは、すぐにわかった。「魔王だ」


 街道の真ん中で、二人は向かい合った。かつて世界の命運を懸けて斬り結んだ、勇者と魔王。だが今、片方は条文集を抱え、片方は旅の埃をかぶっている。「……勇者殿」魔王は先に口を開いた。その顔は日に焼け、頬が少しこけていた。「聞いたぞ。やったそうだな。七十四条」「ああ。お前の装置も待ってるぞ。主計局長が、『完成したら、いの一番に見せろ』ってさ」魔王は、ふっと笑った。「あの四十八通の御仁がか。……人生とは、わからんものだ」


 道端の切り株に腰を下ろし、二人はしばらく話した。魔王の旅は、ライルたちの三年前の道をそっくりなぞったという。はやて亭。灯火屋。ドルフの薬屋。物々交換の里。「……薬師の爺さんには、三日追い返された」魔王は苦笑した。「『商人は嫌いだ』と。四日目に店の薪割りを手伝ったら、ようやく話を聞いてくれた。……あの爺さんの証文の書き方は独特でな。『この薬、勇者の旅を支えたるものなり』と、自分の誇りまで書き込む。……あれをどう記録するか、三晩考えた」


「で、答えは出たのか」「出た」魔王は鞄から、一枚の走り書きを出した。そこには、こうあった。『帳簿には、二つの欄が要る。数字の欄と、物語の欄。数字の欄は、機械が扱う。物語の欄は、人が読む。……そして、その二つを切り離さずに、一枚に置くこと』。「――ほう」ライルは感心した。「それ、俺たちの七十四条と同じ結論だぞ。共通帳簿にも、『但し書き』の欄を残した。無理に数字にしないで、言葉のまま置いておく欄だ」


「やはりな」魔王はうなずいた。「二百年、世界を憎んで生きてきた私と。三年、世界を直して歩いたあなた方。……同じ道の上で、同じ答えに行き着くとは。人間の営みというのは、存外頑丈にできている」


 エルナが、そっと尋ねた。「――魔王殿。旅のあいだ、いちばん心に残ったのは」魔王は、しばし遠くの山を見た。「……物々交換の里だ。金を使わぬ村。私は、あそこで三日暮らした。米と薬を交換する。困っている者には多めに。余裕のある者からは、少し多く。……帳簿など一冊もない。それでも村は何百年、まっとうに回っている」


「あの里は、わたしにも忘れられません」エルナが微笑んだ。「数字の外側にも、まっとうな経済がある。あれを知って、わたしは規程を見る目が変わりました」「私もだ」魔王は静かに言った。「そして、思い知った。私が二百年率いた魔王軍は、あの里の足元にも及ばなかった。恐怖で束ねた組織は、恐怖が消えれば散る。……信頼で回る村は、何百年も続く。――負けたのだよ、私は、剣にではなく、あの村の暮らしに」


「灯火屋の若主人にも会ったのだったな」ミラが静かに尋ねた。「あの方は、お元気でしたか」「元気だった。宿は繁盛しておったよ」魔王は目を細めた。「……あの若主人に、私が何者か名乗るべきか、三日迷った。名乗れば、追い出されるだろうと。だが、結局名乗った。『私は、あなたの父上が餞別を贈った、あの勇者一行が討ちに行った、当の魔王だ』と」一同が息をのむ。「――で、どうなった」「殴られる覚悟をした。だが、あの若主人は、しばらく黙って、それからこう言った。『じゃあ、あなたもうちの父の宿帳に書かれている一人ですね』と。……そして、私を泊めた。宿代は取られた。きっちりとな」魔王は可笑しそうに笑った。「あれには参った。憎まれも許されもせず、ただ『宿帳の登場人物』として扱われた。……あの一枚の帳面の懐の深さよ」


 日が傾きはじめた。魔王が立ち上がり、埃を払った。「――さて。装置を直しに戻らねば。ガランを待たせている」「ああ」ライルも立ち上がった。「なあ。一つ、聞いていいか。……お前、幸せか?」魔王は面食らったように目を丸くし、それから可笑しそうに笑った。「妙なことを聞く。……そうだな。玉座にいたころよりずっと忙しく、ずっと金の心配ばかりしている。部下は一人。売上は、まだ足りん。……だが、そうだな。悪くない。人間の帳簿を覗くたびに、知らなかった世界が一つずつ増える。二百年、玉座から見ていた世界より、よほど広い」


 二人は握手を交わした。かつて互いの命を狙った手が、いま街道の真ん中で固く結ばれている。「――勇者殿。次に会うときは、装置を完成させて王都へ売り込みに行く。覚悟しておけ」「王国財務課の購買は、うるさいぞ。相見積もり、三社は取る」「望むところだ!」魔王は豪快に笑い、東へ歩き出した。その背中は、行きに見たときよりずっと大きく見えた。


 遠ざかる背中を見送りながら、テオがぽつりと言った。「……あの人、本当に魔王だったんですね。なんだか信じられません」「三年前は、俺もそう思った」ライルは笑った。「でも、な、テオ。人は変われるんだ。魔王でも、監査官でも、頑固な薬師でも。……たぶん、それが、この三年でいちばん俺が学んだことだ」西の空に、王国の方角の山並みが見えはじめていた。世界で一番地味な二度目の冒険は、かつての宿敵と街道で笑い合いながら、帰路を進んでいく。


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