↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者、経費で落ちません  作者: みき
第2幕 国際編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
96/110

第96話 調印式。二つの国の判が、一枚の紙に並ぶ

 調印式は、帝国宮殿の大広間で行われた。


 中央の長机に置かれたのは、二通の条文集。一通は王国へ。一通は帝国へ。表題は、こう記されていた。『王国・グランツ帝国間、国境取引記録に関する共通帳簿「二国基準」全七十四条、ならびに付属覚書』。両国の要人が居並ぶ中、ライルと帝国財務大臣ローデン侯が、それぞれの国を代表して署名した。


 続いて、実務者の署名である。エルナとカリナ。二人が並んで名を記す。次に、ヴァロと帝国主計局長。ザイデルとロッツェ卿。メルツと帝国税務担当官。ハンナ、ボルクと帝国の二人の局長。テオとヴァレン将軍。――四十日のあいだ、卓を挟んで火花を散らし、そして同じ答えにたどり着いた者たちが、次々と羽根ペンを取った。


 最後の署名を終えたとき、大広間に拍手が湧いた。だが、当の実務者たちは、拍手より目の前の紙を見つめていた。ヴァロが、そっと指でその紙面をなぞる。「……二百年、別々に育った二つの書式が、一枚の紙の上で並んでおります。日付は両国併記。証明の欄には、判子も番号も焼き印も。……美しい」その目には涙が光っていた。書式に二十年を捧げた男の涙だった。


 署名の儀の途中、思わぬ一幕があった。ヴァレン将軍が署名を終えたあと、傍らの獣害局長にぼそりと言ったのだ。「……三年前、貴公の局に駐屯部隊の報告を上げても、なしのつぶてだった。恨んでおったぞ」「こちらこそ」局長も返した。「軍務局は、我々を『机の虫』と呼んでおられたと伺った」二人は、しばしにらみ合い、それから同時に、ふん、と鼻を鳴らして――握手した。「……次の魔獣が出たら、今度は最初から共同で報告を上げよう」「望むところだ」四十日のあいだに結ばれたのは、国と国の絆だけではなかった。


 式のあと、皇帝から一行に労いの言葉があった。「――剣なき戦を見事に収めた。此度の七十四条、朕は二百年の財務史における、最も静かな革命と呼ぼう」そして、皇帝はテオに向き直った。「勇者テオ。そなたへの感謝金、額が決まった。……割り算からではなく、心から出した数字である。受け取るがよい」テオは深く頭を垂れた。その額を後で聞いたライルは、思わず口笛を吹いた。「……いい心だな、皇帝陛下」


 祝宴の片隅で、ロッツェ卿がザイデルに一冊の古びた帳面を渡していた。「――お前さんに託す。五十年、書きためた検分の覚え書きだ。紙の厚み、インクの乾き、証言のそろい方。……わしは、もう長くない。この技を墓に持っていくつもりはない」ザイデルは、その帳面を両手で受け取り、深く頭を下げた。「……確かにお預かりする。必ず次の代へ渡す」二人の監査官と検査官は、それきり何も言わなかった。だが、その握手は長かった。


 別の片隅では、主計局長がガランと杯を交わしていた。「――四十八通目は、口頭で届けられたな」「はい。あの一年の試験、無事、半年目に入りました」「うむ。あと半年耐えれば認可だ。……時に、御仁。あの装置、『気持ちばかり』は直ったかね」「魔王様が旅から戻られましたら、『物語の欄』をつけるそうです」「ほう。……面白い。完成したら、いの一番に見せてくれ」二人の几帳面が、静かに笑い合った。


 祝宴の卓では、王国の仲間たちが、めいめいに四十日を振り返っていた。「あたし、帝国の獣害台帳、二百年分の写しをもらっちゃった」ハンナが上機嫌で杯をあおる。「三年かけて読むわ」「わたしは、災害査定の細目を丸ごと」ボルクも満足げだった。セリカは帝都の魔法学院の教本を抱え、ミラは帝国の教会の司祭と文通の約束を交わしていた。クロウだけが、少し寂しそうに笑った。「……俺は、何も持って帰るもんがねえな」「あるさ」ライルが肩を叩いた。「お前の目が、この旅で何度道を開いたと思ってる。……持って帰るんじゃない。置いてきたんだ。両方の国にな」


 そして、大広間のバルコニーでは、二人の財務官が並んで夜の帝都を見下ろしていた。「……終わりましたね」カリナが言った。「はい」「エルナ様。わたくし、決めました。国境経理局を出ます」エルナが驚いて振り向く。「――新設の部署に志願いたしました。『現場調査室』。番号を持たぬ民の暮らしを調べ、規程の穴を探して回る部署です。ロッツェ卿と筆頭官吏が後押ししてくださいました」


「……素晴らしい」エルナは心から言った。「わたしの王国での仕事と同じですね」「はい。真似させていただきました」カリナは、少し照れたように微笑んだ。「机の上だけの財務官には、もう戻れません。……あの崖道で震えていた、わたくしを笑いますか」「笑いません。あの震えを知っている人の書く条文だからこそ、人を守れるのです」二人は、しばらく黙って夜景を眺めた。


「エルナ様。最後に一つだけ」カリナがこちらを向いた。「――友と呼んでもよろしいですか」エルナは目を見開き、それから静かに微笑んだ。「もちろんです、カリナ。……こちらこそ」二人は握手を交わした。四十日前、書状一枚で切り結んだ二人の財務官。その手は、いま確かな温かさで結ばれていた。


――こうして、使節団の任務は成った。討伐の決着。国境の合同測量。感謝金。二重課税の原則。記録の書き分け。旅費規程の九十年ぶりの改正。そして、共通帳簿『二国基準』全七十四条。一通の請求書から始まった旅は、両国のあいだに確かな橋を架けたのだった。世界で一番地味な二度目の冒険は、いよいよ帰路へと向かう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。