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勇者、経費で落ちません  作者: みき
第2幕 国際編

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93/110

第93話 両国の帳簿が、初めて一枚に繋がった夜

 条文ができても、それだけでは絵に描いた餅である。――試してみねばならない。実際の取引を『二国基準』で記録し、両国の台帳に載せ、双方から検証できるか。その試験の日が来た。


 題材は、あらかじめ決めてあった。あの火竜の里の店主が皇帝に贈った、木彫りのしるし。国境を越えた贈り物であり、物々交換の里から帝国の宮殿へ、という両国の極端な両端を結ぶ、格好の一件だった。


 会議室に両国の実務者が集まった。王国側は、ヴァロが王国式の帳簿を。帝国側は、主計局の若手が帝国式の台帳を。そして、卓の中央に、共通帳簿『二国基準』の第一号の用紙が置かれた。「――では、記入します」ヴァロが羽根ペンを取った。


『いつ』――両国併記の日付。『誰が』――火竜の里、雑貨店主。番号なし、木彫りのしるしと里の判で証明。『誰に』――帝国皇帝陛下。『いくら』――金銭の授受なし。現物取引。市場価値、換算不能。『何のために』――感謝の贈与。『どう証明するか』――里の判、王国側の荷送り記録、帝国側の目録受理の記録、そして、宮内財務局の係官が書き足した、あの一行。


「――第六十二条、適用です」カリナが静かに言った。「番号を持たぬ里の店主の取引。証言としるしにより証明。……ほんの二月前なら、帝国の台帳には一行も載せられなかった一件です」


 記入は、意外なほどすんなりと進んだ。「――驚きました」記入を終えたヴァロが、しみじみと言った。「この一件、王国式だけなら『市場価値、換算不能』で止まっておりました。帝国式だけなら、『番号なし』で受理できなかった。どちらの書式でも単独では載せられない取引です。……ですが、二国基準なら載る。二つの弱点が互いに補い合っている」「四十日、揉めた甲斐がございましたね」カリナが静かに応じた。その声には、確かな誇りがにじんでいた。


 記入が終わった。次は検証である。ヴァロが王国式の帳簿に、同じ一件を写す。主計局の若手が帝国式の台帳に写す。そして――ザイデルとロッツェ卿が、それぞれ別の部屋で、その二つの帳簿だけを見て、同じ結論にたどり着けるか。それが試験の核心だった。


 半刻後。二人が部屋から出てきた。会議室の全員が息をのむ。ザイデルが先に口を開いた。「――王国式の帳簿から読み取れた事実。火竜の里の店主が、皇帝へ木彫りのしるしを贈った。金銭の授受なし。証明は、里の判と荷送り記録。不備なし」続いて、ロッツェ卿。「――帝国式の台帳から読み取れた事実。火竜の里の店主が、皇帝へ木彫りのしるしを贈った。金銭の授受なし。証明は、目録受理の記録と里の判。不備なし」


――一致していた。


「……繋がりました」ヴァロの声が震えた。「王国式と帝国式。まったく違う二つの帳簿から、同じ事実が同じ形で読み取れた。二百年、それぞれの道を歩いてきた二つの書式が、今、初めて――一枚に繋がりました」


 会議室が、わっと沸いた。主計局長がガランと固い握手を交わし、ハンナが獣害局長の背中を豪快に叩き、テオが飛び跳ね、クロウが口笛を吹いた。ザイデルとロッツェ卿は無言でうなずき合い、それから同時に自分の検分記録を卓に置いた。「……念のため、こちらも突き合わせよう。検査官の性分でな」「同感だ、監査官どの」――結局、二人はその後二刻、検分記録の突き合わせをして、やはり一致を確かめて、ようやく満足した。


 その夜、迎賓館では、ささやかな祝いの席が設けられた。両国の実務者たちが入り混じって杯を交わす。「――皆さん!」テオが酒杯を掲げた。「三年前、僕は大魔獣を倒しました。世界を救ったと思ってました。でも……」若い勇者は、少し顔を赤らめて続けた。「今日の、あの一枚のほうが、たぶん、ずっと多くの人を救う気がします。剣は目の前の村しか守れない。でも、あの条文は、これから何十年も両国の人を守り続ける。……僕、この旅に来て本当によかったです」


「――一つ、皆様にご報告が」カリナが立ち上がった。「本日の試験の記録、あの帝都の外れの区画にも届けてまいりました。あの老女に。『あなたの四十年を証明できる条文ができました』と」会議室が静まる。「……あの方は、何と?」ミラが尋ねると、カリナは目を伏せて答えた。「『間に合わなくてもいいんですよ』と。『わたしには遅くても、次の誰かには間に合うでしょう』と、そうおっしゃって……道具箱をなでておられました」誰もしばらく言葉を出せなかった。この七十四条は、間に合わなかった人の上にも立っている。それを忘れまいと、誰もが静かに心に刻んだ。


 大人たちが静かに笑い、杯を掲げた。ライルは、その若い横顔を眩しそうに見ていた。三年前、自分がたどった道を、この若者はもっと早く駆け抜けている。「……なあ、エルナさん。俺たち、いい仕事をしたかもな」「はい」エルナは微笑んだ。「あとは、これを両国の正式な取り決めとして認めていただくだけです」


――だが、その翌朝。財務省本省から届いた一通の書状が、祝いの余韻を粉々に砕くことになる。差出人は、帝国財務省、第一局。文面は、たった一行。『貴案、共通帳簿「二国基準」全七十四条について。――前例がございません』。世界で一番地味な二度目の冒険は、その最大の成果を生んだ、まさに翌日に、最も古く、最も厚い壁と正面から向き合うことになったのだった。


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