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勇者、経費で落ちません  作者: みき
第1幕 国内編

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第9話 おばあちゃんの形見の杖が、資産価値ゼロと査定される

 その日、財務課にやってきたのは、ライルだけではなかった。魔法使いのセリカが、めずらしく緊張した面持ちで、自分の杖を抱えて座っていた。資産管理係のトビアスが、どうしても、その杖を「確認したい」と言ってきかなかったのだ。聖剣にシールを貼って以来、彼はずっと、この杖のことが気になっていたらしい。


「お待たせしました!」トビアスは、今日もうれしそうだった。糊の壺と、新しいシールの束を抱えている。「セリカ様の杖。前回、形見だとおっしゃっていましたね。であれば、確認させてください。これは、勇者パーティの『装備』として、経費や資産に関わってまいりますので」


「形見よ」セリカは杖を、ぎゅっと抱きしめた。「おばあちゃんが、魔法使いだったの。その人が遺してくれた杖。お金で買ったものじゃない。値段なんて、つけられない」


「なるほど、形見」トビアスはうなずき、帳簿を開いた。「では、お尋ねします。その杖、いくらの価値がありますか?」


「だから、値段なんてつけられないって――」


「つけられないものは、台帳では『資産価値ゼロ』として記録いたします」トビアスは、あっさりと言った。「値段がわからない物は、価値がない物。それが、台帳の決まりでして」


 セリカの顔が、さっとこわばった。「……ゼロ?」


「はい。資産価値、ゼロ。つまり、台帳の上では、その辺に落ちている木の枝と、同じ扱いになります」トビアスは新しいシールを取り出した。そこには『資産価値 ―― なし』と書かれている。「では、このシールを杖に――」


「やめて!」セリカが叫んだ。その声には、いつもの明るさはなかった。「この杖はね、ただの木の枝なんかじゃない。おばあちゃんが、五十年使い込んだ杖なの。何百という魔法を、この杖で覚えた。わたしが小さいころ、おばあちゃんは、この杖の先に小さな光を灯して、おとぎ話をしてくれた。――それを、ゼロだなんて。木の枝と同じだなんて、言わないで」


 財務課が、しんと静まり返った。トビアスは、シールを持った手を、宙で止めていた。彼は番号と台帳を心から愛する男だったが、悪人ではなかった。セリカの声の震えに、さすがに、何かを感じ取ったらしい。


「……ですが」トビアスは、困ったように言った。「気持ちは、わかります。本当に。ですが、台帳は気持ちを書く場所ではないのです。価値を、数字で書かねばならない。私は、数字でしか、物を記録できません。それが、私の仕事なので……」


 ライルは、ふと、旅のある夜のことを思い出していた。魔王城へ向かう道中、強大な魔物に追い詰められ、全員が死を覚悟した夜があった。あのとき、セリカは、この杖を両手で握りしめ、震えながらも、ありったけの魔力を込めた。「おばあちゃん、力を貸して」と、小さくつぶやいて。そして放たれた光が、魔物を一掃したのだ。あの杖は、ただの形見ではない。セリカにとっては、亡き祖母そのもの。旅のあいだ、ずっと共に戦ってくれた、もう一人の仲間だった。それを「木の枝と同じ」と言われて、彼女が黙っていられるはずがなかった。


「トビアスさん」ライルは口を挟んだ。「あんた、聖剣にはNo.0001をつけて、あんなに喜んでただろう。あれは、世界を救った剣だから、特別だって。なら、この杖だって同じだ。この杖も、何度も俺たちの命を救った。世界を救った仲間の一本だ。聖剣と、何が違う?」


「……違いは、ありません」トビアスは、正直に認めた。「聖剣には王国の貸出記録があり、この杖にはない。台帳の上では、その差だけです。ですが――果たした働きは、同じ。確かに、おっしゃる通りです」彼は、自分の手にしたシールと、セリカの抱える杖とを、何度も見比べた。番号を愛するこの男の中で、何かが、ゆっくりと揺れているようだった。


 そのとき、ずっと黙っていたエルナが、静かに口を開いた。


「トビアス。資産の価値を決める方法は、『買った値段』だけではありません。それは、あなたが一番よく知っているはずです」


「と、おっしゃいますと」


「『再調達価額』という考え方がございます」エルナは帳簿の一行を指した。「もし、同じ物を今あらためて手に入れるとしたら、いくらかかるか。その額を、資産の価値とする方法です。――では、トビアス。この杖と、同じ物を、今、手に入れられますか?」


「同じ物、と言いますと……五十年使い込まれた、熟練の魔法使いの杖、ですか」トビアスは考え込んだ。「それは……難しいですね。新品の杖なら買えますが、五十年の使い込みは、お金では買えません。同じ杖は、この世に、二本とない」


「その通りです」エルナは静かに言った。「この世に二本とない物。同じ物を手に入れるのに、いくらかかるか見当もつかない物。――それは、資産価値ゼロでしょうか。それとも、値がつけられないほど高い、ということでしょうか」


 トビアスは、はっとした。彼は手にしたシール――『資産価値 ―― なし』を、まじまじと見つめた。そして、ゆっくりと、それを糊の壺の横に置いた。


「……『評価額、算定不能。ただし、再調達は事実上不可能』」トビアスは、帳簿に新しい一行を書き込んだ。「『よって、極めて高い価値を有すると推定される』。――こう、記録いたします。資産価値ゼロでは、ありません。むしろ、その逆。値段がつけられないほど、貴重な品。それが、正しい記録です」


 セリカは、ぱっと顔を上げた。その目には、うっすらと涙がにじんでいた。「……いいの? それで」


「はい。私は、間違った記録をしておりました」トビアスは、深く頭を下げた。「値段がわからない物を、価値がない物だと決めつけていた。ですが――値段がつけられないことと、価値がないことは、まるで違う。教えていただきました。ありがとうございます」


 それから、トビアスは、新しいシールを一枚、ていねいに書いた。今度のそれには、こう記されていた。――『勇者パーティ装備 / 評価額・算定不能 / 取扱注意』。彼はそのシールを、杖の根元に、そっと、まるで宝物にしるしをつけるように貼りつけた。


「これで、台帳に載ります。木の枝とは、違う場所に。きちんと、貴重品として」トビアスは、はにかむように言った。「番号をつけるというのは……本当は、こういうことなのかもしれませんね。価値のない物に値段をつけることじゃなくて、大切な物が、忘れられないようにすること」


 セリカは、杖を抱きしめたまま、こくりとうなずいた。形見の杖は、こうして台帳の上で、ただの木の枝ではなく、値のつけられない貴重品として、正式に記録された。ライルは、その様子を、温かい気持ちで見ていた。財務課の決まりは、ときに冷たく人を傷つける。だが、その同じ決まりが、使い方ひとつで、人の大切なものを、ちゃんと守ることもできるのだった。


「……エルナさん」帰り際、セリカが、そっと声をかけた。「ありがとう。あなた、決まりのことしか考えてない人かと思ってた。でも、違うのね」


「決まりのことしか、考えておりません」エルナは、いつもの平らな声で答えた。だが、ほんの少しだけ、付け加えた。「ただ――決まりは、人を守るために作られたもの。そう信じているだけです。守れないなら、それは決まりの使い方が、間違っているのです」


 セリカは、しばらくその言葉をかみしめていた。そして、杖を抱え直すと、いつもの明るい笑顔で言った。「ねえエルナさん。あなた、本当はすごく優しい人ね」「業務です」エルナは即答した。だがその耳が、ほんの少しだけ赤くなったのを、セリカは見逃さなかった。形見の杖を抱えて帰っていく魔法使いの足取りは、来たときより、ずっと軽かった。

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