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勇者、経費で落ちません  作者: みき
第2幕 国際編

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第87話 マオウ・ソフトの新機能「二国間対応」、デモが盛大に失敗する

 共通帳簿の骨組みが固まりはじめた、その報せは、当然のように、あの男の耳にも届いていた。――マオウ・ソフト、創業者、元魔王である。


「皆様! 朗報です!」魔王は自ら会議室に乗り込んでくると、営業用の笑顔を輝かせた。「皆様が練り上げておられる、共通帳簿の『六つの問い』。あれに完全対応した新機能が、ついに完成いたしました。その名も――『二国間対応・マオウ・ソフト、国際版』! 本日は、ぜひ、その実演をご覧いただきたく!」


 会議室には、両国の実務者が勢ぞろいしていた。主計局長、ロッツェ卿、二人の局長、そしてハンナとボルク。魔王にとっては、またとない商談の場である。ガランが慣れた手つきで装置を組み上げ、デモの支度を整えた。「では、まいります。王国式の帳簿を一枚、この装置に読み込ませますと――帝国式に自動で変換されます」


 一枚目。はやて亭の馬車賃の記録。装置が、かたかたと鳴り、変換された帝国式の帳票が吐き出された。「おお……」どよめきが起きた。日付は両国併記。金額は換算表つき。個人番号の欄には、『焼き印による証明。対照表、第七号、参照』と几帳面な注記。完璧だった。二枚目、三枚目も見事に変換された。魔王の笑顔が輝きを増す。「いかがです! これぞ、規格戦争の終着点――」


――四枚目で、事件は起きた。


 試しに、とハンナが差し出した一枚。三年前の、あの伝説の記録――勇者ライルの第七号様式、その写しである。装置は、かたかたと鳴り、うなり、がたがたと震えはじめた。「……様子がおかしいですね」ガランの眼鏡が光る。次の瞬間、装置は、けたたましい音とともに紙を次から次へと吐き出しはじめた。一枚。十枚。五十枚。止まらない。「な、なんだ!?」「止めなさい、ガラン!」「止まりません、魔王様! 変換が終わらないのです!」


 会議室が紙の吹雪に包まれた。ようやく装置が力尽きて止まったとき、床には二百枚を超える帳票が散乱していた。ロッツェ卿が、その一枚を拾い上げ、読み上げた。「『金額、約三・五シルバー。帝国式、換算――誤差、範囲、七十四通り。すべての可能性を出力しました』……ほう。律儀な機械だ」


「まだです! まだ終わっておりません!」魔王は額の汗を拭い、気を取り直した。「べ、別の機能をお見せしましょう。両替の自動換算です。ガラン、五枚目を!」――五枚目は、関所のあの『後日確定』の控えだった。装置は、しばし沈黙し、それから小さな紙を一枚だけ吐き出した。『税区分、不明。判定、不能。……この帳簿は、まだ旅の途中です』。「「「……」」」妙に詩的な返答に、会議室が静まり返った。「こ、この子、たまにこういうことを言うのです」ガランが恥ずかしそうに装置をなでた。「間違っては、いない。間違っては、いないのが、また」ザイデルがうなった。


「な、なぜだ、ガラン」魔王がうめいた。「王国式には、『約』があるのです、魔王様」ガランが青い顔で報告した。「『約三・五シルバー』。『銀貨、三枚と少し』。『気持ちばかりのお礼』。……人間なら前後の文脈で読み取れるあいまいさを、この子は律儀に全部計算してしまうのです。『気持ちばかり』を金額に換算しようとして、途中で頭が煮えました」


「『気持ちばかり』は、機械には難しかろうな」ライルが腹を抱えた。会議室は、もはや笑いの渦である。テオは紙の山に埋もれ、セリカは涙を拭き、あの謹厳な主計局長までが肩を震わせていた。魔王だけが、営業用の笑顔のまま固まっていた。その額に汗が一筋伝う。「……お、おかしい。社内の試験では完璧に……」


「社内の試験には、何を使った」ロッツェ卿が静かに尋ねた。「じ、自社の帳簿です。ガランのつけた」「――そこだ」老検査官は、車椅子から紙の山を指した。「ガラン君の帳簿は、世界一行儀がいい。『約』も、『気持ちばかり』も書かん。……だが、世の中の帳簿はな、御仁。行儀が悪いのだ。汗をかき、迷い、書き損じ、それでも正直に書かれた生きた帳簿だ。機械に通したければ、まず機械が人間の行儀の悪さを学ばねばならん」


 魔王は、その場に崩れるように椅子に座り込んだ。「……世界を滅ぼしかけた、この私が。『約三・五シルバー』に敗れるとは」その姿が、あまりに哀れで、あまりにおかしくて、会議室には、また温かい笑いが起きた。だが、笑いながらも誰もがわかっていた。この失敗は笑いごとではなく――規格戦争の核心を突いている、ということを。


「魔王殿」エルナが、紙の山の中から一枚を拾い上げた。「この失敗、無駄にはなりません。あなたの装置は教えてくれました。『六つの問い』の共通帳簿にも、同じ罠があることを。……人のあいまいさを認める帳簿を作るなら、そのあいまいさを、あとでどう確かめるかまで決めておかねばならない。人間同士なら聞けば済む。ですが、国境を越えた記録は、聞きに行けないこともある」


「……なるほど。『約』には、『約の根拠』を添える、と」カリナがすかさず書き取った。「『約三・五シルバー。根拠、本人の記憶による概算。証人、同行者三名』。ここまで書けば、機械も人も迷わない」――失敗したデモの紙の山から、共通帳簿の新しい一条が生まれた瞬間だった。


 帰り際、魔王は深々と頭を下げた。「……本日は、お見苦しいところを。ですが、収穫はありました。この装置、一から鍛え直します。人間の行儀の悪さを――いえ、人間の温かさを読める機械に」その目には、悔しさと同じだけの闘志が燃えていた。紙の山の片づけを手伝いながら、テオがぽつりと言った。「でも……あの機械、僕はちょっと好きです。『この帳簿は、まだ旅の途中です』って。なんだか正直で」「機械は、作り手に似るのです」ガランが静かに答えた。「正直に作れば、正直に育つ。……帳簿と同じです」世界で一番地味な二度目の冒険は、かつての魔王に、生まれて初めての、そして実に人間らしい挫折を味わわせたのだった。


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