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勇者、経費で落ちません  作者: みき
第2幕 国際編

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85/110

第85話 魔獣は「災害」か「野生動物」か、国際会議で三たび燃える

 共通帳簿づくりは順調に進んでいた。――この日の議題に入るまでは。


 議題は、『費目と区分』。お金の記録につける名札の章である。旅費、薬代、修繕費。そのあたりは、すんなり決まった。だが、一つの区分に差し掛かった瞬間、会議室の空気が変わった。――『魔獣による被害』。それを共通帳簿の上で何と呼ぶか。


「『獣害』です」帝国側の席から、日に焼けた屈強な役人が立ち上がった。帝国獣害局の局長である。「魔獣は獣。獣の起こした被害は獣害。当局が二百年、そう記録してまいりました」


「お待ちいただこう」その隣から、青白い痩せた役人が立ち上がった。帝国災害対策局の局長である。「村を三つ焼く被害の、どこがただの獣害か。あれは明白に、『災害』。災害の記録は、当局の所管である」


「獣害だ」「災害だ」「獣害だ!」「災害だ!」


――王国側の席で、ライルとクロウとセリカが同時に遠い目をした。「……なあ。この光景、俺、見るの三度目なんだが」ライルが乾いた声でつぶやいた。一度目は三年前、王国の財務課で。ハンナとボルクが、ドラゴンをめぐって三時間。二度目は、魔獣の合同報告書を作るとき、両課が表紙の判の順番でひと揉め。そして、三度目が――まさかの国際会議である。「国が違っても、揉めるところは同じなのね」セリカがしみじみと言った。「もはや様式美だな」とクロウ。


 笑いごとではなかった。帝国の二局の対立は、王国のそれよりはるかに根が深かったのだ。カリナが声を落として説明した。「帝国では、『獣害』と『災害』で、予算の財布がまったく別なのです。獣害なら獣害局に対策費がつき、災害なら災害対策局に復興費がつく。……つまり、この区分は名札ではなく、来年の予算の取り合いそのものなのです」


「王国には前例がございます」エルナが、あの一冊を卓に置いた。ハンナとボルクの合同報告書。「『野生動物にして、災害』。両局併記の形式です。三年前、王国で生まれ、以来、両課の共同の記録として機能しております」


 だが、帝国の二人の局長はそろって首を振った。「併記など認められん」「帳簿の区分は一つ。それが帝国の鉄則」――ここだけは、二人の意見がぴたりと合うのが腹立たしい。「併記にすれば、予算も二重に要求されるのではないか、と財務は疑う。区分があいまいなら、どちらの局も責任を押しつけ合う。……王国どのの前例は、王国どのの美風。帝国には帝国の事情がある」


「そもそも、貴局の『獣』の定義が古いのだ」災害対策局長が突いた。「二百年前の獣害台帳の獣は、狼と熊だ。村を三つ焼く魔獣を、狼と同じ棚に載せるつもりか」「では、聞くが」獣害局長も返す。「貴局の『災害』の定義は、『天のもたらす災い』。魔獣は天か? 生き物だろうが。生き物なら獣。獣ならうちだ」「生き物でも、規模が災害級なら災害だ」「規模で区分を曲げるな!」――理屈は双方、通っている。通っているからこそ終わらない。メルツがぼそりとつぶやいた。「……第七号様式の時代から思うのですが。定義の隙間に落ちるものほど、よく暴れる」


 議論は燃え上がった。獣害局は、過去二百年の獣害記録の綴りを積み上げ、災害対策局は被害額の算定表を積み上げる。午後には双方の部下たちまで加わって、会議室は、さながら紙の砦のにらみ合いになった。ロッツェ卿の仲裁も、この日は効かなかった。「――予算が絡むと、役人は獣より狂暴になる」老検査官は疲れた声でつぶやいた。「五十年見てきたが、これだけは変わらん」


「一つ、聞かせてください」見かねたテオが手を挙げた。「あの……被害に遭った村の人にとって、それが『獣害』か『災害』かで、何か違いがあるんでしょうか」若い勇者の問いに、二人の局長は一瞬黙った。「……救済の額が違う」災害対策局長が答えた。「災害と認められれば、家の再建に手厚い復興費が出る。獣害なら、見舞金どまりだ」「なら、村の人は災害と呼ばれたいでしょうね」テオは続けた。「でも、獣害と呼ばれたら、その村は救済が薄くなる。……同じ焼けた家なのに?」


 会議室が静まった。テオの素朴な問いは、いつものように議論の急所を突いていた。区分の争いの裏で、本当に揺れているのは、局の面子でも予算でもなく――どの名札がつくかで救われ方が変わってしまう、村人たちの暮らしなのだ。


「――論点を書き換えましょう」エルナが立ち上がった。「『魔獣被害は、どちらの区分か』ではなく、『同じ被害に、同じ救済が届くには、どう記録すべきか』。それが本当の問いです」カリナも続いた。「区分には二つの役目が混ざっています。『どの局が動くか』を決める役目と、『何が起きたか』を残す役目。……この二つを分ければ、道があるかもしれません。ですが、その設計には、実際に両方の記録を回してきた現場の知恵が要ります」


「――王国におりますよ。その現場の知恵なら」ライルが、にっと笑った。「三年前、三時間揉めた末に合同報告書を発明した二人が。……ハンナさんとボルクさんを呼びましょう。王都から帝都まで早馬なら十日。規格戦争の援軍です」その提案に、帝国の二人の局長は顔を見合わせた。「王国の……獣害と災害の担当者ですと」「ええ。あなた方とそっくり同じ喧嘩をして、そっくり同じ壁を越えた二人です」


 その日の夕刻、王都へ向けて一通の早馬が発った。宛先は、王国自然環境課、ハンナ殿、ならびに防災課、ボルク殿。文面はヴァロが心を込めてしたためた。『――至急、帝都へ来られたし。あなた方の三時間の喧嘩と、その和解の知恵が二つの国を救います』。世界で一番地味な二度目の冒険は、三年前のあの騒がしい二人を、国際会議の切り札として呼び寄せることになったのだった。「――しかし、あの二人が来たら来たで、四人で揉めるんじゃないか?」クロウの不吉な予言に、一同は笑うに笑えなかった。十日後の会議室の騒がしさが、今から目に浮かぶようだった。


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