第71話 帝都到着。すべてが番号で管理された、完璧な都
国境の実地検分と地方の協議を終え、一行は、いよいよ帝都へと向かうことになった。正式な条約の交渉は、帝都の財務省本省で皇帝の御前会議を経て、最終的にまとめられる。カリナも、その報告のため、共に帝都へ戻ることになった。
帝都は、遠くからその姿を望んだだけで、皆を圧倒した。整然と区画された街路。等間隔に並ぶ街灯。どの通りにも、迷いようのない標識が掲げられている。「……なんつうか」クロウが率直に言った。「王都より、よっぽど几帳面な街だな」
城門をくぐると、そこには、これまでの地方都市とは比べ物にならない規模の管理体制が待っていた。門の脇に大きな掲示板があり、その日の帝都全体の人の出入りの統計まで貼り出されている。「本日、入城者、三千二百十四名。うち、外国籍、十七名」という具合に。
「街の人の出入りまで数えているのか」ライルが驚くと、案内の役人が誇らしげに答えた。「帝都では、あらゆる動きを数字で把握いたします。人の出入り、物の流れ、金の動き。すべてが記録され、すべてが番号で管理されております。混乱を未然に防ぐための仕組みです」
大通りを進むと、商店の看板にも住居の扉にも、几帳面な番号札が下がっていた。道行く人々の身なりも整然としており、誰もが決められた手順で動いているように見えた。テオがぽつりと言った。「……すごいけど、なんだか少し息苦しい気もします」
ザイデルは、その様子をじっと眺めながら、感嘆とも複雑さともつかない表情を浮かべていた。「――監査官として、これほどうらやましい街はない。だが」彼は少し間を置いて続けた。「これほど整った街並みを見ていると、逆に思う。整いすぎたものの裏には、必ず無理をしている誰かがいるのではないかと。……あの宿の女将のように」その言葉に、皆、深くうなずいた。三年前、そしてこの旅で繰り返し学んできた教訓が、またここでも静かに姿を現していた。
通りを行き交う人々を見ながら、クロウがふとつぶやいた。「――なあ、気づいたか。誰も道端で油を売ってる奴がいねえ。物乞いも見当たらねえ。……王都なら、必ずいるもんだが」その指摘に、ライルもあらためて周囲を見回した。確かに、道は清潔で、行き交う人々は皆、目的地へまっすぐ向かっているように見える。「――整いすぎているのも、考えものかもな」ライルは静かにつぶやいた。あの国境の村で出会った、番号を持たぬ若者の姿が、ふと脳裏をよぎった。この完璧な都のどこかにも、同じように番号の網目からこぼれ落ちた誰かがいるのではないだろうか。
「わかる気がする」セリカがうなずいた。「王都は、もっと雑然としてる。露店が好き勝手に並んで、子どもが走り回って。……でも、ここは、まるで一枚の精巧な絵図のよう。美しいけど、遊びがない」
案内された迎賓館は、これまでのどの宿より豪華で、しかしどこか無機質だった。部屋の隅々まで、寸分の狂いもなく整えられている。メルツが、部屋の隅にある小さな掲示に目を留めた。「――『本室、清掃記録』。毎日の清掃時刻、担当者の番号、点検者の確認印。ここまで記録するとは」
迎賓館の窓から帝都の街並みを見下ろしながら、ミラが静かに言った。「――この街のどこかにも、きっと小さな教会があるのでしょうね。こんなに整然とした街でも、人は悲しみ、祈る。その気持ちだけは、番号では測れません」その言葉に、テオがうなずいた。「そうですね……この街のどこかにも、あの国境の村と同じように困っている人がいるのかもしれません」二人の静かなやり取りに、エルナはそっと耳を傾けていた。この旅の目的は、条約を結ぶことだけではない。その条約の向こうに暮らす名もなき人々のことを忘れないこと。それもまた、大切な目的の一つだった。
カリナは、久しぶりに戻った帝都の様子を、これまでとは違う目で見つめていた。「……わたくしは、この街で生まれ育ったわけではありません。地方の辺境から、優秀な成績で帝都の財務学院に入り、そのまま国境経理局に配属されました。ですから、この帝都の暮らしを当たり前だと思ったことは、実はあまりないのです」
「今は、どう見える」ライルが尋ねると、カリナはしばし考えてから答えた。「……以前は、この完璧さを誇らしく思っておりました。ですが、此度の旅で、あの国境の村々を見たあとでは――この完璧さの裏側に、どれほどの労力と無理が隠れているのか、考えずにはいられません。あの宿の女将のように」
翌朝、いよいよ帝国財務省本省への正式な訪問が控えていた。巨大な石造りの庁舎を見上げ、ヴァロが感嘆とも恐れともつかない声を漏らした。「――王城の財務課の何倍ございましょうか。窓の数だけで、目がくらみそうです」
庁舎の正面には、大きくこう刻まれていた。『秩序は、繁栄の礎なり』。エルナは、その文字をしばし見上げ、静かに言った。「――立派な言葉です。ただ、わたしたちの王国にも似た言葉がございます。『規程は、人を守るための傘である』。……同じ想いを、それぞれの国がそれぞれの言葉で掲げている。それだけのことなのかもしれません」
カリナは、その言葉に静かに目を細めた。「――エルナ様。此度の協議、帝都の本省の面々は、地方のわたくしよりなお頑なかもしれません。前例を何より重んじる方々です。……覚悟をなさってください」「望むところです」エルナはまっすぐに答えた。「わたしたちも、頑固な課長を一人、説得してきた経験があります」
庁舎の正門が重々しく開かれた。一行は、その奥へと足を踏み入れる。世界で一番地味な二度目の冒険は、いよいよこの完璧に整えられた帝都の奥深く――前例という名の迷宮へと分け入っていく。エルナは、その奥へと続く長い廊下を見つめながら、静かに拳を握った。三年前、フェルゼン課長の机の前に立ったときと同じ緊張が、胸の内に蘇っていた。だが、あのときと違うのは――今、隣にこれほど多くの仲間がいることだった。




