第7話 回復薬は「薬」か「ただの甘い飲み物」か、税務担当が立ち上がる
第七号様式が、十一枚目に入った。旅も終盤、ライルたちが何度も命を救われた「回復薬」の欄である。三か月の旅で、一行は数えきれないほどのポーションを飲んだ。傷を負えば飲み、毒を受ければ飲み、力尽きそうになればまた飲んだ。その本数を、ライルは記憶を頼りに一本ずつ数えあげていった。
「ざっと数えて……回復薬が四十二本、解毒薬が十八本、それと、ここぞというときの上級回復薬が三本。これだけ飲めば、さすがに経費になるよな?」
「もちろんでございます。薬は、立派な必要経費です」エルナがうなずいた。「ただし――薬代の経費には、ひとつ、ややこしい関所がございます。税の扱いです」
そのとき、財務課の扉が、こつこつと几帳面に三回ノックされた。入ってきたのは、やせた、神経質そうな男だった。手に持った帳簿は、ほかの誰のものより分厚く、表紙には『税務』とだけ記されている。男は部屋を見回すなり、まるで埃でも探すような目で、ライルの精算書をのぞき込んだ。
「税務担当のメルツと申します。回復薬の計上があると聞きましてね。一点、確認させていただきたい」メルツは指を一本立てた。「その回復薬。あれは『薬』ですか? それとも、ただの『甘い飲み物』ですか?」
「は?」ライルは耳を疑った。「薬に決まってるだろう。飲めば傷が治る。立派な薬だ」
「ところが、です」メルツは待ってましたとばかりに身を乗り出した。「税の決まりでは、『薬』として認められるには、王国薬事院の認可が必要なのです。認可を受けた薬は、税が軽くなる。ですが――勇者様が旅先で買った回復薬は、どこの、誰が作ったものですか? 薬事院の認可は、ありますか?」
ライルは言葉に詰まった。旅の途中で飲んだ薬だ。怪しげな露店で買ったものもあれば、村の薬師から分けてもらったものもある。瓶に認可の印など、あったかどうか。そんなもの、傷口を押さえながら飲むときに、いちいち確かめる余裕などなかった。
「……認可なんて、見てない」
「でしょうね」メルツは、勝ち誇ったように薄く笑った。「認可のない液体は、たとえ傷が治ろうと、薬とは認められません。中身がただの果実水と、何が違うと証明できますか? 甘くて、赤くて、飲めば元気が出る。それは――ただの甘い飲み物と、同じ扱いになるのです」
「同じわけがあるか! 果実水で骨折が治るか!?」
「治らないことを、書類で証明してください」
ライルは、くらりとめまいを覚えた。傷が治ったのは事実だ。なのに「治った」では足りず、「治らないものではないと証明しろ」と言われる。世界は、いつからこんなに、あべこべになったのか。剣を振るうより、ずっと頭が痛い。
「なぜ、そこにこだわるのですか」エルナが横から、静かに尋ねた。その声は相変わらず平らだったが、どこか刃のような響きがあった。「薬と認めれば税が軽い。甘い飲み物とすれば税が重い。メルツさんは――勇者様から、より多くの税を取りたい。そういうことですか」
「言葉が過ぎますよ、エルナさん」メルツは眉をひそめた。「私はただ、決まりに従っているだけです。認可のないものを薬と認めれば、世の中の怪しい露店が、なんでも『これは薬だ』と言い張るようになる。税の秩序が崩れる。私は、その秩序を守っているのです」
それは、それで、一理あった。エルナも、すぐには言い返さなかった。財務課に、ぴりりとした緊張が走る。ライルには、二人のあいだで交わされている戦いの中身が、半分も理解できなかった。だが、これがフェルゼン課長とはまた違う、別種の「手強い相手」であることだけは、肌で感じ取れた。
部屋の隅で、セリカがこっそりミラにささやいた。「ねえ……あの上級回復薬、ミラが瀕死のライルに飲ませたやつよね。あれがなかったら、ライル、確実に死んでたわ」「ええ。神のご加護と、あの一本のおかげです」ミラは静かに胸の聖印を握った。「あの一本が『甘い飲み物』だなんて……ライルさんの命が、果実水一杯の値打ちにされるようで、わたし、悲しくなります」二人の声は小さかったが、その内容は、この議論の本質をまっすぐに突いていた。命を救った一本が、紙の上では、ただの色つきの水と区別がつかないのだ。
しばしの沈黙のあと、エルナが、静かに帳簿を一冊、机に置いた。
「メルツさん。ひとつ、お尋ねします。――勇者様が飲んだ回復薬。そのうち三本は、『上級回復薬』でございました。これは、どこで手に入れたものか、ご存じですか」
「知りませんね。どこかの露店でしょう」
「いいえ」エルナは帳簿の一行を指した。「出立の際、王国が勇者様に支給した品です。王国薬事院、製造。認可番号、第一号。――つまり、王国そのものが『これは薬である』と認可した、正真正銘の薬でございます」
メルツの顔が、わずかにこわばった。
「この三本を『甘い飲み物』と言い張れば、それは、王国薬事院の認可そのものを否定することになります。メルツさんは――王国の認可は、果実水と同じだと、おっしゃるのですか?」
「い、いや、それは……王国の認可品なら、もちろん薬です」メルツは慌てて言った。「認可品は、認めます。ですが、残りの露店の分は――」
「では、こういたしましょう」エルナは淡々と続けた。「王国認可の上級回復薬、三本。これは、文句なく『薬』。そして残りの回復薬は――王国認可品と、まったく同じ効能、同じ成分であったと、勇者様ご自身が証言する。同じ働きをするものを、片方だけ『飲み物』とするのは、税の公平に反します。よって、すべて『薬に準ずるもの』として計上いたします」
「準ずる、とは……都合のいい言葉を」メルツは渋い顔をした。だが、反論の言葉は出てこなかった。王国の認可品を引き合いに出された以上、それを否定するわけにはいかない。自分の振り上げた「秩序」という拳が、そっくりそのまま、自分に返ってきていた。
「……いいでしょう。今回は、それで通します」メルツは帳簿を閉じ、悔しそうに背を向けた。だが扉の手前で立ち止まり、ちらりと振り返った。「ですが、エルナさん。あなたのその、決まりの隙間を縫うやり方……いつか、足をすくわれますよ。決まりは、味方をするとは限らない」
「存じております」エルナは表情を変えなかった。「ですが、決まりを一番よく知る者が、決まりに一番守られる。それも、また事実でございます」
メルツは、ふん、と鼻を鳴らして去っていった。扉が閉まると、ライルは詰めていた息を、ようやく吐き出した。剣も魔法も使っていないのに、まるで死闘のあとのように、どっと疲れていた。
「……エルナさん。あんた、ほんとに強いな。あの理屈、どこから出てくるんだ」
「強くはありません。ただ、相手の使った武器を、そのまま返しただけです」エルナは羽根ペンを取り直した。「メルツさんは『秩序』を盾にしました。ならば、その秩序の一番奥――王国の認可を、こちらの盾にする。剣術と、そう変わりません」
ライルは、しみじみと思った。この財務課には、魔王とはまた違う種類の強敵が、何人も棲んでいる。そして、その強敵たちと渡り合える味方は、今のところ、この無表情な財務官ただ一人なのだった。回復薬六十三本分の税は、こうしてどうにか守られた。だが、十七枚の様式は、まだ六枚も残っている。そして、メルツの去り際の一言――「決まりは、味方をするとは限らない」が、なぜか耳の奥に、小さなとげのように残っていた。ライルは羽根ペンを握り直し、その不安を振り払うように、次のマス目へと向き合った。




