第6話 盗賊クロウの「現地調達」、それはつまり窃盗なので経費になりません
ドラゴンの件を棚に上げ、ライルたちは再び第七号様式に戻っていた。旅の記録を一日ずつたどっていく作業も、ようやく中盤にさしかかっている。だが、その手が止まったのは、第十七日の食費の欄でのことだった。前にも一度、ここでつまずいたのを、ライルは思い出した。
「ここの食費、干し肉と、パンと、それから……えーと、いろいろあったよな。クロウ、お前が調達してくれたやつ」
クロウの肩が、びくりと跳ねた。
「……ああ、まあ、いろいろな」
「あのときは助かったよ。村が一つもない山道で、お前がどこからか食料を山ほど持ってきてくれて。みんな腹ぺこだったから」ライルは何の疑いもなく言った。「で、あれ、いくらだった?」
「いくら、ってのは……」クロウは目を泳がせた。「その、なんだ。値段ってのは、つけられねえというか」
エルナの羽根ペンが、すっと止まった。彼女はゆっくりと顔を上げ、盗賊の顔を、まっすぐに見た。
「クロウ様。確認させてください。第十七日、山道で手に入れた食料。それは、どこで、どなたから、お買い求めになったものですか」
「……買った、とは、言ってねえ」
「では、どうやって手に入れたのですか」
クロウは、しばらく天井を見ていた。それから、観念したように、ぼそりと言った。
「……現地調達だ」
「現地調達、と申しますと」
「あったから、もらった」
「どこに、あったのですか」
「……山小屋に」
「その山小屋は、どなたの持ち物ですか」
「……知らねえ。留守だった」
財務課に、深い沈黙が落ちた。ライルは、ようやく事の次第を理解しはじめた。あのとき、山の中で食べた、あの旨い干し肉とパン。あれはつまり――誰かの山小屋から、勝手に持ち出してきたものだったのだ。みんな腹ぺこで、何も聞かずにありがたく食べてしまったが。
「クロウ……お前、まさか」
「いや待て、聞いてくれ! あのときは緊急事態だったんだ! 三日も何も食ってなくて、このままじゃ全員行き倒れるって状況で! たまたま留守の小屋に、たまたま食料があって、たまたま俺が、その……お邪魔した、だけだ!」
ライルは、あの夜のことを思い返していた。雪のちらつく山道、空きっ腹を抱えて震えていた一行のもとへ、クロウがいつのまにか大きな麻袋を担いで戻ってきた。「ほら、めし食えるぞ」と得意げに。誰も出どころを尋ねなかった。尋ねる気力もなかったし、何より、温かい食事を前に、そんな野暮を言う者はいなかった。あのとき確かに、その一袋が四人の命をつないだのだ。――だが、命をつないだ一袋は、台帳の上では、ただの「相手方不明の不正取得品」でしかなかった。
「それは」エルナは静かに、しかしきっぱりと言った。「世間では、窃盗と申します」
「せ、窃盗って言うな! 現地調達だ! 盗賊の伝統的な、由緒正しい技だ!」
「伝統的でも由緒正しくても、対価を払っていない以上、経費にはなりません」エルナはきっぱりと言った。「経費とは、お金を払った証拠があって、初めて認められるもの。払っていないものは、そもそも『費用』ではないのです。よって――この食費は、計上できません」
「ぐっ……」
「それどころか」エルナはさらに続けた。容赦はなかった。「持ち主が名乗り出れば、クロウ様は弁償を求められる立場になります。経費として一銭ももらえないどころか、むしろお金を払う側になる可能性が、ございます」
「世界を救った旅で、なんで俺が借金背負うんだ!?」
ライルは頭を抱えた。聖剣を取られ、ドラゴンの報酬はもめ、今度は仲間が窃盗で借金の危機である。世界を救えば救うほど、なぜか財布が軽くなっていく。こんな冒険譚は、吟遊詩人の歌にも出てこない。
「だが、待ってくれ」ライルは食い下がった。「あのときクロウが食料を持ってきてくれなかったら、俺たちは全員飢え死にしてた。魔王も倒せなかった。つまり、あの食料が世界を救ったとも言えるんじゃないか?」
「気持ちはわかります」エルナはうなずいた。「ですが、『結果的に世界を救った窃盗』も、やはり窃盗でございます。動機がどれほど立派でも、決まりは決まり。――ただ」
「ただ?」
「ひとつだけ、道がございます」エルナはペンの先で、帳簿の一点を指した。「『事後弁済』。今からでも、その山小屋の持ち主を捜し出し、食料の代金を払う。受け取りの証文をもらえば、それは正当な『立替』として、経費に計上できます」
「持ち主を、捜す……」クロウがうめいた。「あの山、どこだったか覚えてねえぞ。だいたい、留守だったんだ。持ち主がどこの誰かなんて」
「捜していただくほかありません。窃盗のまま放っておけば、いつか必ず、台帳のどこかで露見します」エルナは静かに言った。「王国の記録は、忘れません。十年経っても、二十年経っても。きれいにしておくなら、今のうちでございます」
クロウは、がっくりと肩を落とした。世界を救った大盗賊が、たった一軒の山小屋の、干し肉の代金のために、また旅に出なければならない。しかも、相手がどこの誰かもわからないまま。
「……なあ、エルナさん」クロウが、ぼそりと尋ねた。「あんた、盗賊にも容赦ねえんだな」
「勇者様にも容赦しておりません。相手によって、決まりを変えたりはいたしません」エルナは即答した。それから、ほんの少しだけ、声をやわらげた。「……ですが、捜し方なら、お手伝いできます。山道の食料、季節、土地の特産。記録をたどれば、おおよその場所は絞れます。一人で抱え込むより、ずっと早い」
クロウは、意外そうにエルナを見た。冷たいだけの役人かと思っていたが、この人は、突き放すだけではないらしい。決まりは曲げない。だが、決まりの中で助けられる道は、ちゃんと探してくれる。それは、盗賊が長い旅で出会ってきた、どんな善人とも違う種類の優しさだった。
「……わかった。捜すよ。あの干し肉、本当に旨かったしな。代金くらい、払う価値はある」クロウは、ばつが悪そうに、けれど少しだけすっきりした顔で言った。
それまで黙って祈りを捧げていた僧侶のミラが、ここでそっと口を開いた。「あの……ひとつ、告白してもよろしいでしょうか」その声は、罪を悔いる信徒のように沈んでいた。「あの干し肉が、よそ様のものだと、わたし……薄々、気づいておりました。でも、あまりにお腹が空いていて、目をつぶって、いただいてしまったのです。神に仕える身でありながら」
「ミラ、お前も気づいてたのか」
「セリカさんも、たぶん」とミラ。セリカが気まずそうに視線を逸らした。「……三日ぶりのまともな食事だったのよ。あんなの、誰だって何も聞かずに食べるわ」と小さく弁解する。結局のところ、その夜、山小屋の食料を疑問も持たずにたいらげたのは、クロウだけではなかったのだ。勇者パーティは全員、そろって「事情を知らぬふり」という名の共犯者だった。
「つまり」エルナが静かにまとめた。「この食料の恩恵を受けたのは、パーティ全員。であれば、弁済の責任も、お一人に負わせるのは公平ではございません。代金は、四人で等分。これも、立派な決まりでございます」
「割り勘か……世界を救った仲間と、盗んだ干し肉を割り勘するとはな」ライルは乾いた笑いを漏らした。だが、悪い気はしなかった。罪も、宿題も、四人で分ければ、いくらか軽くなる。思えば、魔王との戦いも、ずっとそうやって分け合ってきたのだ。
こうして、勇者パーティの精算は、また一つ宿題を増やした。聖剣の継続使用申請。ドラゴンの新区分の提案書。そして、山小屋の持ち主捜し。世界を救う旅は終わったはずなのに、やることだけは、なぜか日に日に増えていくのだった。




