第5話 倒したドラゴンは「野生動物」か「災害」か、二つの課が三時間もめる
聖剣の件を一日棚上げにして、ライルはまた第七号様式に向き合っていた。すると、帳簿をめくっていたエルナの手が、ふと止まった。
「ライル様。旅の途中、ドラゴンを一頭、倒しておられますね。第二十三日、火竜の巣で」
「ああ、あの厄介なやつか。村を一つ焼こうとしてたから、仕方なくな」
「であれば、討伐報酬の対象になります。魔王討伐とは別に、ドラゴン一頭ぶんの報奨金が出ます」
「本当か!」ライルの顔が、久しぶりに明るくなった。「それは助かる。で、いくらもらえるんだ?」
「それが――」エルナはめずらしく、少し言いよどんだ。「金額を決める前に、ひとつ、片づけねばならないことがございます。そのドラゴンが、何だったのか、という」
「何だったのか? ドラゴンはドラゴンだろう」
「王国の決まりでは、報奨金を出す課が、相手によって変わるのです。ドラゴンが『野生動物』であれば、自然環境課から。『災害』であれば、防災課から。――どちらの予算から出すかを、まず決めねばなりません」
こうして、財務課の小さな会議室に、二つの課の役人が呼ばれることになった。
自然環境課からは、丸眼鏡をかけた、植物図鑑のように分厚い手帳を抱えた女――ハンナ。防災課からは、いかにも頑固そうな、四角い顎の男――ボルク。二人は部屋に入るなり、目を合わせ、そして、露骨に嫌そうな顔をした。どうやら、もとから仲が良くないらしい。
「では、始めましょう」エルナが議題を読み上げた。「火竜の巣のドラゴン一頭。これが『野生動物』か『災害』か。決まれば、報奨金の出どころが決まります」
「災害に決まっています」ハンナが即座に言った。「村を焼こうとしたのでしょう? 人里に被害を及ぼす規模の火。これはもう、立派な災害です。防災課のお仕事ですね、ボルクさん」
「いやいや」ボルクが負けじと身を乗り出す。「ドラゴンは生き物だ。卵から生まれ、肉を食い、空を飛ぶ。れっきとした野生動物だろうが。自然環境課の管轄に決まっている、ハンナさん」
「火を噴くんですよ? そんな野生動物、聞いたことありません」
「火山だって火を噴く。だが火山は災害だ。火を噴けば災害だと言うなら、ドラゴンも災害でしょう」
「火山は生きていません! ドラゴンは生きています! 生きて動くものは野生動物です!」
「では津波はどうだ。津波は動く。動けば野生動物か?」
「津波は卵を産みません!」
ライルは、ぽかんと口を開けたまま、二人の応酬をながめていた。自分が命がけで倒したドラゴンが、今や「火山か」「津波か」「卵を産むか」という、まるで別の生き物のような議論にすり替わっている。当のドラゴンが聞いたら、さぞ複雑な気持ちだろう。
「あの……」ライルはおそるおそる口を挟んだ。「俺が言うのもなんだが、あいつは、普通にドラゴンだったぞ。火を噴いて、空を飛んで、めちゃくちゃ強かった」
「黙っていてください(くれ)」
二人の声が、見事にそろった。仲が悪いくせに、勇者を黙らせるときだけは息がぴったりだった。ライルはしゅんと口を閉じた。世界を救った男の証言は、この部屋では何の重みも持たないらしい。
部屋のすみで、クロウが小声でセリカにささやいた。「なあ……俺たち、命がけであのドラゴン倒したんだよな?」「倒したわよ。あなた、しっぽに弾き飛ばされて気絶してたけど」「思い出させるな。とにかくよ、こんな言い争いのために倒したわけじゃ、ねえよな」セリカは深くうなずいた。「世界って、たぶん、こういう人たちが回してるのよ」
議論は、それから三時間に及んだ。ドラゴンの生態。火の性質。過去の前例。ハンナは図鑑を開いて「ドラゴンは爬虫類の一種」と主張し、ボルクは古い記録を持ち出して「百年前のドラゴンは災害として処理された」と反論した。だがその百年前の記録も、よく見ると「災害(野生動物含む)」というあいまいな書き方で、結局どちらの味方にもならなかった。
日が傾く頃には、二人とも疲れ果て、ただ意地だけで言い合っていた。最初の「どちらが正しいか」は、いつのまにか「どちらが報奨金を払わずに済むか」という、もっと切実な問題に変わっていた。要するに――どちらの課も、自分の予算からは一銭も出したくないのだった。
「……あの、エルナさん」ライルは小声で尋ねた。「これ、いつ決まるんだ?」
「過去の似た案件では、決着まで半年かかりました」エルナは平らな声で答えた。「鳥型の魔物が『鳥』か『魔物』かで、二つの課が争った件です」
「半年!? ドラゴン一頭の報酬に半年!?」
「しかも、その鳥型の件は、いまだに決着しておりません。今年で四年目でございます」
ライルは天を仰いだ。魔王を倒すのには三か月。ドラゴンを「何だったか」決めるのには、四年でも足りない。世界の理不尽は、魔物の形ではなく、役所の形をしてやってくるのだと、彼はようやく学びはじめていた。
そうこうするうち、ハンナが新たな一手を放った。「そもそも、このドラゴンは本当に村を襲ったのですか? 勇者様が先に手を出したのでは? だとしたら『正当な討伐』ではなく、ただの『野生動物への加害』。報奨金そのものが出ません」「待て、それは聞き捨てならん」とライル。だがボルクも乗ってきた。「そうだ、もし加害なら、むしろ勇者様が罰金を払う側だ。野生動物保護の決まりがある」「俺が罰金!? ドラゴン倒して!?」議論はいつのまにか、報奨金の話から「勇者を処罰できるか」という、とんでもない方向へ脱線しかけていた。エルナが「論点がずれております」と一言で引き戻さなければ、ライルは世界を救った罪で罰金を取られるところだった。
「ひとつ、提案がございます」見かねたエルナが、静かに切り出した。その一言で、もめていた二人がぴたりと黙る。「どちらの予算からも出せないのであれば――新しい区分を作ればよいのです。『野生動物でも災害でもない、第三の何か』として」
「第三の?」ハンナとボルクが、同時に首をかしげた。
「はい。名づけて――『災害級野生生物』。新しい区分には、新しい予算が必要です。つまり、お二人の課ではなく、王国本体の予算から出すことになります」エルナは静かに微笑んだ……ように見えた。「これなら、どちらの課も、一銭も損をいたしません」
二人の役人の顔が、ぱっと晴れた。三時間の激論が嘘のように、「それがいい」「名案だ」と、初めて意見が一致した瞬間だった。自分の財布が痛まないとなれば、人はこうも簡単に仲良くなれるのだ。ライルは、その光景を半ば呆れ、半ば感心しながら見ていた。エルナという人は、剣の代わりに「言葉」で、ねじれた状況を一刀両断してみせるのだった。
「ただし」エルナが最後に付け加えた。「新しい区分を作るには、王国の規定集を改訂する必要がございます。その改訂を承認するのは――」
ライルの背筋が、いやな予感に冷えた。「……まさか」
「はい。財務課長、フェルゼンでございます」
「あの方は、新しい区分を、認めてくれるのか」ライルはおそるおそる尋ねた。「『前例がない』と言って、また突き返されるんじゃ……」
「正直、半々でございます」エルナは正直に言った。「フェルゼン課長は、新しい区分を嫌います。区分が増えるほど、決まりは複雑になりますから。ですが――筋の通った提案であれば、たとえ嫌いでも、判を押す方です。あとは、提案書をどれだけ隙なく書けるか。それにかかっております」
「つまり、また書類か」
「はい。世の中の大半のことは、最後はだいたい、書類でございます」
部屋の外、紙の山の奥で、白髪の男が今日も静かに判を押している。その一打の音が、やけに重く、ライルの耳に響いた。ドラゴンの報酬への道は、結局、あの男の机の上へと続いているのだった。




