第4話 伝説の聖剣に、資産管理番号のシールを貼られる
翌朝、ライルがまた財務課の扉をくぐると、エルナの机の前に、見知らぬ若い男が立っていた。
きっちりと制服を着込み、胸には小さな木の札をいくつもぶら下げている。手にはやはり帳簿。そして、なぜか大量の小さな紙のシールと、糊の壺を抱えていた。男はライルを見るなり、ぱっと顔を輝かせた。財務課に来てから、初めて見る「うれしそうな顔」だった。
「あなたが勇者ライル様ですね! お会いできて光栄です! 資産管理係のトビアスと申します!」
「お、おう。元気だな」
あまりの勢いに、ライルは半歩下がった。エルナが横から、いつもの平らな声で言った。「トビアスは、王国の備品を管理する係です。机も、椅子も、ペン一本まで、すべて番号をつけて記録しております」
「番号をつける。それが、何よりの喜びでして」トビアスはうっとりと言った。「番号のない物が、この世にあると思うと、夜も眠れません。さて、ライル様。本日はぜひ、確認させていただきたい物が、ひとつ」
「物?」
トビアスの目が、ライルの腰へと向けられた。そこには、鞘におさまった一振りの剣がある。鈍く青く光る、見るからにただ者でない剣――魔王の心臓を貫いた、伝説の聖剣エクスフィナだった。
「その聖剣でございます」
「これがどうした。俺が魔王を倒した剣だぞ」
「はい。存じております。王国の宝物庫より、出発の際にお貸し出しした品ですね」トビアスは帳簿のある一行を、うやうやしく指さした。「貸出記録、しっかり残っております。『聖剣エクスフィナ 一振り 勇者へ貸与』。――つまりこれは、王国の備品でございます」
「……び、備品?」
「はい。お借りになった物は、任務の終了とともに、お返しいただくのが決まりでして。魔王はすでに倒されました。よって、聖剣はご返却いただきます」
財務課に、しんと静かな時間が流れた。ライルは自分の耳を疑った。世界を救った剣。共に死線をくぐった、相棒とも言える一振り。それを、こいつは「借りた備品だから返せ」と言っているのだ。図書館で本を返すように。
「待て待て。この剣は、俺と一緒に魔王と戦ったんだぞ。何度も折れかけて、それでも俺を守ってくれた。これはもう、ただの備品じゃ――」
「お気持ちは、たいへんよくわかります」トビアスは深くうなずいた。本当に、わかっているような顔だった。「ですが、気持ちと台帳は、別でございます。台帳には『貸与』と書かれている。ならば、返していただかねば、数が合いません。数が合わないと、わたしは、夜も眠れません」
「さっきから寝てないなお前!」
クロウが思わず突っ込んだが、トビアスは気にする様子もなく、糊の壺のふたを開けた。そして、小さな紙のシールを一枚、ていねいに取り出す。シールには几帳面な字で、こう書かれていた。――『王国備品 No.0001』。
「では、ご返却の前に、まずは番号を。これがないと、台帳に戻せませんので」
「番号を……どこに貼る気だ」
「もちろん、剣の柄に」
「やめろ! 伝説の聖剣だぞ! 何百年も語り継がれる神聖な――」
だがトビアスの手は早かった。ライルが止める間もなく、青く光る聖剣の柄に、ぺた、と小さなシールが貼りつけられた。『王国備品 No.0001』。世界を救った神聖なる刃は、こうしてこの世で最初に番号をつけられた備品となった。
「……ふふ。No.0001。栄えある第一号です。これほどの品に最初の番号を。ああ、なんという幸せ」トビアスは胸の前で手を組み、感激に打ち震えていた。
ライルはがっくりと膝をついた。魔王の威圧にも屈しなかった聖剣が、今や、机や椅子と同じ「番号つきの備品」の仲間入りである。剣の青い光が、心なしか、しょんぼりして見えた。
「エルナさん……これは、どうにもならないのか」ライルは、すがるようにエルナを見た。
エルナはしばらく帳簿を見つめ、それから静かに口を開いた。「貸与品である以上、返却の義務は生じます。これは、覆せません」
「そんな……」
「ですが」エルナは続けた。「『貸与品を、引き続き使用する必要がある』と認められれば、返却を保留できます。『継続使用申請』という手続きがございます」
「使う必要なら、ある! また魔物が出るかもしれない!」
「ただし」エルナの声は、どこまでも平らだった。「魔王はすでに倒されました。世界は平和になりました。『今後この聖剣を使う必要がある』と証明するには――『まだ世界に倒すべき脅威が残っている』ことを、書類で示さねばなりません」
ライルは言葉に詰まった。世界を救った自分が、報酬と剣を守るために、「世界はまだ危ない」と書類で訴えなければならない。自分の手柄を、自分で否定するようなものだ。
「……世界を救ったのに。救ったって証明できたら、今度は剣を取られる。救ってないって書いたら、剣は残るが、手柄も消える」
「はい。たいへん、悩ましいところでございます」エルナはうなずいた。「これを我々は、『英雄のジレンマ』と呼んでおります」
「役所が名前までつけてるのかその矛盾に!」
そのときだった。トビアスの目が、ふいにきらりと光った。彼の視線は、ライルの腰から離れ、ゆっくりと、後ろに立つ仲間たちへと移っていったのだ。
「ところで……そちらの杖。魔法使いのセリカ様の、その杖も。もしや、王国魔法院からの貸与品では?」
「え」セリカが、とっさに杖を背中に隠した。「こ、これはわたしの私物よ! 学院に入る前から持ってる――」
「では、購入の記録を。いつ、どこで、おいくらで?」
「……お、おばあちゃんの、形見」
「形見の場合、相続を証明する書類が必要です」トビアスは新しいシールを取り出した。「ない場合、出どころ不明の品として、いったん王国でお預かりを――」
「やめて! おばあちゃんの杖にシール貼らないで!」
トビアスの番号への情熱は、もはや誰にも止められなかった。ミラの聖印にも、クロウの短剣にも、その目はぎらぎらと向けられる。クロウなどは「俺の短剣は全部、その……出どころは聞くな」と早々に目をそらした。財務課の一角は、いつのまにか「番号をつけたい男」と「つけられたくない一行」の、静かな攻防の場と化していた。
「トビアス」見かねたエルナが、静かに割って入った。「本日の用件は、聖剣の確認まで。仲間の方々の私物は、別の手続きです。順序を守りなさい」
「……はっ。失礼しました。つい、番号のない物を見ると、夢中になってしまって」トビアスは我に返り、シールを引っ込めた。だがその目は、まだ名残惜しそうにセリカの杖を追っていた。
「とにかく」ライルは話を戻した。「聖剣を残すには、その『継続使用申請』を書けばいいんだな。世界はまだ危ない、と」
「はい。ですが先ほど申し上げた通り、それを書けば、勇者様ご自身の手柄――『世界を完全に救った』という功績が、揺らぎます」エルナは静かに言った。「報酬の査定にも、影響するかもしれません。剣を取るか、手柄を取るか。よくお考えになって、お決めください」
「どっちを選んでも、何かを失うのか……」ライルは頭を抱えた。魔王と戦っていたときのほうが、よほど選択は単純だった。斬るか、斬られるか。ただそれだけ。だが書類の世界には、斬るか斬られるかのあいだに、無数の「どちらも損をする選択肢」が並んでいるのだった。
トビアスはというと、二人のやりとりなどどこ吹く風で、聖剣に貼ったシールの角を、糊でていねいに押さえていた。「うん、しっかり貼れました。No.0001……いい番号だ」と、世界一しあわせそうに微笑みながら。
世界を救う戦いは、剣で魔王を斬れば終わった。だが、その剣を手元に残す戦いは――どうやら、剣ではどうにもならないらしかった。ライルは、シールの貼られた相棒を見つめ、深く、深くため息をついた。




