第59話 国境の関所で、王国の通行手形が「書式不備」で突き返される
帝国側の国境検問所は、王国のそれとはまるで違っていた。
石造りの四角い無駄のない建物。窓口は十以上並び、それぞれに担当の職務が細かく書かれた札が下がっている。『通行証・確認』『積荷・査定』『滞在目的・記録』『帰路・予定確認』――王国の関所なら、一人の門番がまとめてこなすようなことを、帝国では四人がかりで分業していた。
「通行証を拝見します」窓口の若い職員がきびきびと言った。「団体名。人数。滞在の目的。滞在日数の見込み。それぞれ書式二番にご記入を。……ああ、それと、王国の方は初めてですね。念のため申し上げますが、当帝国では書類の片面のみの記入は認めておりません。両面、記入漏れなきよう」
「両面って……何を書くんだ」ライルが思わず尋ねると、職員は事務的に答えた。「表面に事実を。裏面に、その根拠と証人を。帝国の書式は常に二重の裏づけを求めます」ヴァロが横で、その書式をまじまじと見つめ、感嘆の声を漏らした。「……美しい書式だ。無駄がなく、それでいて抜け道もない。これを考えた人間は、相当な腕前です」
エルナも、その書式を興味深そうに眺めていた。「王国の様式は、この三年で十七枚から三枚に減らしました。ですが、帝国のこれは――最初から一枚で両面。密度で勝負している。……方向性が違うだけで、これも一つの完成形かもしれません」
手続きは一分の狂いもなく進んだ。荷物検査も通行料の計算も、あっという間に終わる。だが、その速さは決して雑さではなかった。むしろ、あまりに整いすぎていて、クロウが思わずこぼした。「……速いのに隙がねえ。俺の目で見ても、ごまかせる隙間が一つもねえぞ」「それが帝国流ということでしょう」ミラが静かに言った。「王国は、人の事情に寄り添うやさしさで決まりを育ててきました。帝国は――きっと、寸分の狂いもない正確さで決まりを磨いてきたのです。どちらも誰かを守るための形」
「――さて、こちらが王国側の通行手形と使節の証明書だ」ライルは窓口に、王国発行の正式な書状を差し出した。フェルゼン課長が手ずから整えてくれた自信作である。職員はそれを受け取ると、几帳面な手つきで検め始めた。表を見て、裏を返し、また表に戻す。その指の動きが途中で、ふと止まった。
「……失礼ながら、こちらの証明書。裏面が白紙でございます」職員は静かに告げた。「表面には使節団の目的と人数が記されております。ですが、帝国の様式では裏面に、その根拠となる王命の発令日と発令者の署名、そして証人を記すことが定められております。……これでは受理いたしかねます」
「はあ!?」クロウが素っ頓狂な声を上げた。「王様の御命令だぞ! これ以上確かな根拠があるかよ!」「おっしゃる通りとは存じます」職員は眉ひとつ動かさず答えた。「ですが、規程は規程です。『王命である』という事実そのものを裏面に記していただかねば、当方の記録として正式には扱えません。……王国の証明書に、そのような欄がないことは承知しております。ですが、当帝国に入国される以上、当帝国の書式に従っていただくほかございません」
ヴァロが慌てて鞄から、予備の用紙を取り出した。「……仕方ありません。この場で裏面を作成いたしましょう。発令日は三の月、二十二日。発令者は陛下御自ら。証人は――」彼はふと困った顔で振り返った。「証人の署名が要るようですが、王都の証人はここにはおりません」
「随行の監査官殿、あるいは団長殿ご自身の署名でも差し支えございません。当事者による宣誓という扱いになりますが」職員が事務的に付け加えた。ザイデルがすぐさま進み出て、証人の欄に署名した。
「……こういう細かさは嫌いではない」彼がぽつりとこぼすと、隣でメルツも深くうなずいていた。「わかります。この徹底ぶり。惚れ惚れいたしますね」
「二人とも、こんなときに感心してる場合か……」ライルが額を押さえた。だが、エルナだけは、そのやり取りを興味深そうに見つめていた。「王国の様式で育った目には、意地悪に映るかもしれません。ですが――これは悪意ではなく、ただ徹底しているだけです。表だけでなく裏まで。事実だけでなく、その根拠まで。……三年前のわたしたちが十七枚の様式と格闘したように、帝国の民も、この細かさと日々付き合っているのでしょう」
裏面の記入を終え、ようやく証明書は受理された。だが、それで終わりではなかった。次の窓口で、今度はテオの分の身分証明が「肖像の記載なし」を理由に差し戻され、さらに次の窓口で荷物の目録が「数量の単位が王国式で、帝国の標準単位に換算されていない」ことを指摘された。一つ片づけるたびに、新しい不備が見つかる。まるで、いたちごっこだった。
「……もしかして」セリカがげっそりした顔でつぶやいた。「これ、三年前のわたしたちと同じじゃない? あのときも、一枚埋めるたびに次の壁が出てきたわ」「ああ」ライルは乾いた笑いを漏らした。「立場が逆になっただけだ。今度は俺たちが『よその国の決まり』に振り回される番らしい」
それでも根気強く、一つひとつ片づけていくうちに、日は大きく傾いていた。最後の窓口で、すべての書類がようやく受理されたとき、窓口の職員が初めてわずかに表情をやわらげた。「――お見事です。半日で、これだけの不備をすべて正しく直された方々は、そう多くはございません。たいてい途中で諦めて帰られますので」「諦めるって選択肢があったのか……! 」クロウが崩れ落ちるようにつぶやいた。
検問所を抜けると、そこはもう帝国領だった。街道は定規で引いたようにまっすぐ。道端の里程標も、寸分違わぬ間隔で並んでいる。行き交う商人たちの荷馬車にまで、几帳面な番号の札が下がってた。……なんつうか、几帳面な国だな」ライルは率直な感想を漏らした。「王国とはまた違う意味で書類の国だな」
「これしきで驚いていてはいけません」エルナが前を見据えたまま静かに言った。「明日からは、通行手形どころでは済まぬ相手が待っております。帝国側の首席交渉官――書状一枚で、あれほどの隙のなさを示した方です。……気を引き締めてまいりましょう」夕暮れの街道の先に、帝国の行政都市の灯りがぽつぽつと見えはじめていた。




