第58話 九人の旅立ち。国境の山地で、残党の群れと、剣を交える
王都の門を出るとき、見送りの人だかりができていた。三年前とは違う、静かな、しかし温かい見送りだった。フェルゼンが深く頭を下げる。トビアスが聖剣を丁寧に見送る。アリスがセリカに大きく手を振る。「先生、いってらっしゃい!」その声を背に受けて、九人は東への街道を歩きはじめた。
旅は順調に進んだ。ヴァロが道中の宿の手配をてきぱきと整え、メルツは馬車の中で両国の税制を一心に比べていた。ザイデルは寡黙に地図を検め続けている。三年前と同じ賑やかな、けれど、あのころよりずっと頼もしい旅路だった。
道中、立ち寄った村では、思わぬ再会もあった。かつて字の書けなかった、はやて亭の御者の息子が、今では立派に店を継いでいた。灯火屋の若い主人もすっかり貫禄がつき、旅人で賑わう宿を切り盛りしていた。「あのときの勇者様!」と駆け寄ってくる顔、顔、顔。三年前、一枚ずつ集めて回った領収書の、その先にあった暮らしが確かに続いている。ライルは、その一つひとつに目を細めながら、東へと歩を進めた。
異変が起きたのは、国境の山地に差し掛かった三日目のことだった。街道の両側の木々が不自然に揺れている。先頭を歩いていたテオの足がぴたりと止まった。
「――皆さん、下がってください」テオの声が鋭く変わった。次の瞬間、木々の陰から飛び出してきたのは、数十を数える魔物の群れだった。かつての魔王軍の残党。行き場をなくし、この人の通わぬ国境の山地に巣食っていたのだ。
「多いな……! 」ライルが聖剣を抜き放った。青い光が木漏れ日に鋭く閃く。「陣形を組め! 三年前と同じだ、俺たちの動きを思い出せ!」その号令に応じるように、九人が素早く散開した。
まず動いたのは、クロウだった。彼は群れの輪郭を一瞬で見て取った。「――右奥の一回り大きい奴が頭だ! そいつを落とせば、統率が崩れる!」盗賊時代に磨いた観察の目。それは村の揉め事を見抜く目でもあり、今、戦場でも的確に急所を射抜いていた。彼の短剣が影のように群れの隙間を縫って、頭目の喉元へと迫る。
「させないわ」セリカの声が朗々と響いた。彼女の杖――祖母の形見のあの杖が、淡く深く輝きはじめる。速い型どおりの詠唱ではない。彼女だけの、ゆっくりとした長い詠唱。それは力任せの一撃ではなく、群れ全体を包み込むように広がる炎の壁だった。「下がりなさい、皆! ここは通さない!」魔物たちの後方がその炎に阻まれ、群れが二つに割れる。
「クロウさん、今です!」ミラの澄んだ声が飛んだ。彼女の祈りが淡い光となって、クロウの足元を後押しする。速さを増した一撃が、頭目の喉元を正確に貫いた。同時に、ミラのもう一つの祈りが、負傷しかけていたテオの腕の傷をそっと癒していく。癒しと加護。ミラの力は剣のように目には見えない。だが、その支えなくして、この戦いは成り立たなかった。
頭目を失った群れが、明らかに浮き足立つ。「今だ! テオ、右から!」ライルの号令にテオが応えた。三年前の、あの大魔獣との死闘を思い出しながら。今の彼は、あのときよりずっと落ち着いていた。仲間の位置を見極め、無理のない一撃を次々と放っていく。かつて一人で大魔獣に挑んだ、若さだけの勇者は、もうそこにはいなかった。仲間と共に戦う勇者になっていた。
ライル自身は群れの中心へと切り込んでいた。聖剣が月光のように、幾筋もの軌跡を描く。三年、業務改善の机に向かっていた腕は鈍ってはいなかった。むしろ、剣を振るう理由をより深く知った今、その一振りは三年前より迷いなく確かだった。
戦いは四半刻ほどで決着した。残った数匹の魔物は、算を乱して山の奥へと逃げ去っていく。九人は肩で息をしながら顔を見合わせた。「――やるじゃねえか、みんな」クロウが額の汗を拭いながら笑った。「三年、ブランクがあったとは思えねえ」「あなたこそ。相変わらず、いい目してるじゃない」セリカが返す。ミラは静かに、皆の傷を確かめて回っていた。
「見事だ」ザイデルが静かに評した。彼は戦いのあいだ、剣を抜くことなく、ただ地形と敵の数を冷静に見極め、退路と増援の有無を確かめ続けていた。「私は剣は振るえん。だが、状況を読むことはできる。……敵に援軍の気配はない。この一群だけで片づいた。安心して進める」剣を持たぬ者にも、戦場での役割があった。
「皆、無事か」ライルは聖剣を鞘に納めながら、一同を見渡した。誰も大きな傷は負っていない。三年前よりずっと洗練された連携だった。それぞれが、それぞれの場所で磨いてきた力が、ここで一つに束ねられている。
ふと、テオが山の稜線を見上げて声を上げた。「――あそこ、誰かいませんか」一同が視線を追った。遠く、尾根の上。一人の人影がこちらをじっと見下ろしていた。きっちりとした旅装。小脇に分厚い帳簿らしきものを抱えている。距離は遠く、顔までは見えない。だが、その隙のない立ち姿だけで、ただ者ではないとわかった。
「……まさか」エルナが息をのんだ。「カリナ・ヴェルト」その名を口にした瞬間だった。人影はすっと身を翻し、尾根の向こうへ姿を消した。まるで、初めからそこにいなかったかのように。
「……偵察か。それとも出迎えか」ライルは遠い尾根を見つめたまま、つぶやいた。
「気配だけでわかる」ザイデルが低く言った。「あの立ち姿。一分の隙もない。荷の抱え方一つ、無駄がない。……只者ではない。私と同じ種類の匂いがする」「あなたと同じ種類ですって?」メルツが横から覗き込んだ。「つまり――規程を心から愛する変わり者ということですか」「その通りだ」ザイデルは真顔でうなずいた。誰も否定しなかった。
エルナも同じ方向を見つめていた。まだ顔も知らぬ好敵手。その気配だけが確かにそこにあった。「……お会いするのが楽しみです」エルナは静かにつぶやいた。かつて几帳面な経理魔物、ガランの足跡を追ったときと同じ、静かな闘志がその目に宿っていた。世界で一番地味な二度目の冒険は、いよいよその本当の相手と間近に対峙しようとしていた。剣で片づく戦いは、もう終わった。ここから先は、帳簿と言葉と、そして互いの譲れぬ誇りをかけた、静かな、しかしこれ以上なく本気の戦いになる。一行は崩れた尾根を見つめたまま、しばし動けずにいた。




