第57話 監査官ザイデル「この賠償金、そもそも税はかかるのか」と言い出す
監査室の扉には、その日、真新しい木の札が掛かっていた。『監査室長 ザイデル』。三年前、たった一人で店々を回っていた男は、今では王国監査の頂に立っていた。
「ザイデル殿。使節団への加入を正式に要請する」ライルは辞令の写しを差し出した。「帝国との協議には、金の動きを厳しく検める目が要る。あんた以上の適任はいない」ザイデルは辞令を受け取り、無言で目を通した。その鋭い目は、三年前と少しも変わっていなかった。だが、その口元には、あのころにはなかったかすかなやわらぎがあった。
「光栄だ」ザイデルは短く答えた。「帝国の書状、あれを書いたカリナ・ヴェルトという女。書式から見て、相当な手練れだ。私が検め、崩す。それが私の役目だろう」「頼りにしてる」ライルはうなずいた。「それと、もう一つ。今度の旅、税の絡むややこしい問題が出るかもしれない。……メルツさんにも声をかけたいんだが」
「メルツか」ザイデルの口元がわずかに動いた。「呼ぶまでもない。もう来ている」その言葉通り、廊下の向こうから、やせた神経質そうな男が足早にやってきた。税務担当のメルツである。三年前よりやや丸くなった、その顔つきには、どこか心なしか機嫌のよさそうな色があった。
「勇者殿! お待ちしておりました」メルツは開口一番、興奮気味に言った。「帝国からの請求書の一件、税務の観点から大変興味深い問題をはらんでおります!」「……税務の観点?」ライルは嫌な予感がした。三年前、回復薬を「甘い飲み物」と言い張った男である。「もしや、また何か揉め事の種を見つけたのか」
「揉め事ではなく、大事な論点です!」メルツは指を一本立てた。「よろしいですか。仮に両国の協議の結果、王国が帝国にいくらかの金銭を支払うことになったとします。あるいは、その逆でも構いません。――その金銭は、いったい何なのでしょう」
「何って……賠償金だろう。魔獣の被害の分の」
「まさに、そこが問題なのです!」メルツは興奮を隠さなかった。「『賠償金』であれば、両国間の旧い条約により、非課税となる可能性が高い。ですが、これが『協力金』や『調査への対価』という名目になった場合――双方の国内法において、思わぬ課税が生じる恐れがあります。名目一つで、実際に支払う額が大きく変わってしまうのです」
財務課の面々が顔を見合わせた。エルナが静かに口を開いた。「……つまり、メルツさん。協議の場で、わたしどもは金額そのものだけでなく、その名目まで慎重に選ばねばならないということですね」「その通りです、エルナ殿!」メルツは我が意を得たりとうなずいた。「そして、これは我が国だけの問題ではありません。帝国側にも同様の税の決まりがあるはず。もし、カリナ・ヴェルトという方が優秀な財務官であれば、向こうも必ず、この点を突いてくるでしょう」
ライルは頭を抱えかけたが、ふと思い出した。三年前、あの回復薬の一件で、メルツが最後に認めたことを。「あんた、あのときも頑固だったが、最後には認めるところは認めたよな。……今回は最初から味方になってくれるのか」
「あのときは、私が間違っておりました」メルツは意外にもあっさりと認めた。「エルナ殿の理屈に負けたのです。あれ以来、わたしは『秩序を守る』ことと、『秩序を盾に人を追い詰める』ことは違うのだと学びました。……此度は初めから王国の側に立ちます。むしろ、この問題、わたし以上に詳しい者はおりますまい。ぜひ、使節団に加えていただきたく」
「望むところだ」ライルは笑ってうなずいた。かつての頑固な論敵が、今は頼もしい味方になっている。三年前の、あの小さな衝突の一つひとつが、こうして今の王国の厚みになっているのだった。
「もう一つ、ご提案が」メルツは鞄から分厚い綴りを取り出した。「わたし個人で、この三年、諸国の税制を調べ続けておりました。……実を言えば、あの回復薬の一件のあと、悔しくてたまらなかったのです。エルナ殿の理屈に負けたことが。だから、二度と負けぬよう、他国の決まりまで学ぼうと。まさか、それがこんな形で役に立つとは」彼は照れくさそうに笑った。「帝国の財務省の組織図も、税の一覧も、ここにすべて。カリナ・ヴェルトという名も、実は以前、税務の学術誌で見た覚えがあります。国境地帯の課税に関する論文を書いていた。……相当な切れ者とお見受けします」
エルナは、その綴りを受け取り、素早く目を通した。「……メルツさん。これは大変な宝です。感謝いたします」「なに、恨みっこ無しですよ」メルツは鼻をこすった。「三年前のあなたには負けました。ですが今度は、一緒に帝国に勝ちに行くのです。同じ王国の財務官として」
その夜、旅装を整えながら、テオがふとライルに尋ねた。「ライルさん。……僕、正直、まだ少し怖いんです。帝国のカリナという人。会ったこともないのに」「怖くて当然だ」ライルは若い勇者の肩を叩いた。「俺も三年前、エルナさんに初めて会ったとき、心底怖かった。でもな、テオ。怖いってのは悪いことじゃない。ちゃんと相手を真剣に見てる証拠だ。剣を抜くときと同じさ。恐れを知らない奴より、恐れを乗り越える奴のほうがずっと強い」テオは、その言葉を噛みしめるようにうなずいた。
「では」エルナが一同を見回した。「使節団の顔ぶれが揃いました。団長、ライル様。副団長兼首席交渉官、わたし。討伐の当事者としてテオ様。旧知の仲間、クロウ様、セリカ様、ミラ様。監査、ザイデル殿。税務、メルツ殿。そして、書式を整えるヴァロ殿」彼女は指を折って数えた。「九名。三年前よりずっと心強い陣容です」
「一つ、確認させてくれ」ザイデルが口を挟んだ。「帝国の国境の山地には、まだ魔物の残党がいると聞く。書類だけではなく、剣も要る旅になるだろう。……その備えは」「ある」ライルは腰の聖剣を軽く叩いた。「クロウも、セリカも、ミラも、この三年、それぞれの場所で鍛えてきた腕がある。俺たちは書類の旅であると同時に、今度もちゃんとした冒険の旅でもあるんだ」
出発の前夜、財務課の地下二階には、旅支度の荷が山と積まれていた。書式の束、証拠品を運ぶ頑丈な箱、そして旅の食料。フェルゼン課長が最後に皆を見回して言った。「三年前、わしはこの旅を送り出したとき、正直、半信半疑だった。経費の申請を認めるべきか、悩みに悩んだ。だが今は違う。心から信じて送り出せる。行ってこい。王国の正しさを示してこい」その声には、四十年、規程を守り続けてきた老人の万感の思いがこもっていた。
窓の外、東の空が白みはじめていた。荷造りを終えた九人の顔には、それぞれの緊張と、そして確かな期待が浮かんでいた。三年前は、ただ途方に暮れるだけの旅立ちだった。だが今は違う。誰もが自分の進むべき道を知っている。旅立ちの朝が、もうすぐそこまで来ていた。




