第56話 魔法使いと、僧侶と。三年ぶりに、それぞれの居場所を訪ねる
クロウを仲間に加え、二人は王都の魔法学院へと向かった。石造りの荘厳な建物。その片隅の小さな教室から、涙声が漏れ聞こえてきた。
「……やっぱり、わたし、向いてないんです」若い女の子の生徒が、うつむいていた。机の上には、少し変わった形の杖。「皆と同じ詠唱の型ができなくて。先生に言われた通りにやっても、うまくいかなくて。……この杖が悪いのかもしれません。おばあちゃんの古い杖だから、今の魔法には合わないのかも」
「――それ、わたしと同じね」
静かな声が教室に響いた。振り向くと、そこに立っていたのは、優しい目をした女性――セリカだった。今は、この学院で教鞭を執っている。彼女は生徒の隣にそっと腰を下ろした。「わたしも昔、同じことを言われたわ。型にはまらない変わった杖だ、って。おばあちゃんの形見の杖。誰にも真似できない、わたしだけの杖」
「先生もですか」生徒が驚いたように顔を上げた。「みんなと同じにできなくて、悩んだことが」「たくさんあったわ」セリカは微笑んだ。「でもね、あるとき教えてもらったの。値段のつけられない物は、価値がない物じゃない。むしろ、その逆だって。……あなたの杖も同じ。型に合わないんじゃない。あなただけの型を、まだ見つけてないだけ」
セリカは生徒の杖をそっと手に取った。「見せて。……ああ、この柄の反り。これ、詠唱をゆっくり長く伸ばす型に向いてる杖だわ。皆と同じ速い詠唱じゃなくて。あなたは、あなたの速さでいいの」彼女は生徒の手を取り、ゆっくりとした独自の詠唱の型を示してみせた。杖の先に、淡く優しい光が灯る。ほかの生徒たちとは違う、けれど確かに美しい光だった。
「……できた。わたしにもできました!」生徒の顔がぱっと輝いた。「ええ。あなたの速さで。あなたの型で」セリカは優しくうなずいた。その姿は、かつて変わり者と呼ばれ、居場所を探していたあの少女の面影をそのままに、今度は誰かの居場所を作る側になっていた。
「相変わらず、いい先生になってるじゃないか」ライルが教室の外から声をかけた。セリカがはっと振り向き、目を丸くした。「ライル! それに、クロウも! ……もしかして」「ああ。また旅に出る。お前の力が要るんだ」
セリカは生徒の頭をそっとなでてから立ち上がった。「いいわ。……でも、条件が一つ」「なんだ」「この子――アリスを一度だけ見学に連れて行っていい? 実際に魔法がどう人の役に立つのか、机の上の勉強だけじゃなく見せてやりたいの」ライルは笑ってうなずいた。「もちろんだ。学びの種は多いほうがいい」
次に向かったのは、王都の外れの小さな教会だった。ミラはそこで静かに祈りを捧げていた。だが、その前には、涙をこらえる一組の母子の姿があった。「夫が先月、東部の村の警護の任務中に亡くなりました」母親は震える声で言った。「王国から見舞金が出ると聞いたのですが……夫はもういません。書類には本人の署名が要る、と言われて。どうすればいいのか」
ミラは静かにその手を取った。「大丈夫です。故人に代わって、ご遺族が署名できる決まりがございます。『代理署名』と申します。わたしが財務課への橋渡しをいたします」彼女は母子を教会の奥の小さな机へと案内した。そこには、簡単な書式と記入の見本が置かれていた。「まず、心を落ち着けて。それから、ゆっくり一緒に進めましょう。あなたは一人じゃありません」
かつてライルの旅で、「故人宛ての領収書」の壁にぶつかったあの日。ミラは、あのときの経験を今、目の前の悲しむ母子のために活かしていた。神への祈りだけでなく、生きる者の暮らしの手続きにも寄り添う。それが彼女の選んだ生き方だった。
母子が少し安堵した顔で教会を後にしたあと、ミラはようやく入り口に立つライルたちに気づいた。「あら、ライルさん。クロウさんも」「相変わらず大忙しだな」ライルが笑いかけると、ミラは静かに微笑んだ。「困っている方がいる限り。神は人を救います。ですが、書類もまた人を救うのです。……それが、わたしのこの三年の実感です」
「その実感、また貸してほしい」ライルは帝国との一件をかいつまんで話した。ミラは静かに聞き終えると、深くうなずいた。「行きます。ご遺族の悲しみに寄り添うことも、国と国の争いを防ぐことも――根っこは同じ。誰かの痛みを減らすこと。喜んでお供いたします」
「ただ」ミラは少しためらってから付け加えた。「一つだけ、皆さんに知っておいていただきたいことがあります。わたしは三年前の旅で、たくさんの人の死と向き合う場面を見てきました。故人の名で書かれた領収書。誰にも看取られず消えた命の記録。……あのとき、わたしは無力さを感じていました。祈ることしかできない、と。ですが、今は違います。祈りと手続きと両方を携えていれば、遺された人の悲しみを少しだけ軽くできる。それを、この三年で学びました。今度の旅でも、きっとその学びが役に立つと信じています」その言葉には、静かな、しかし揺るぎない確信がこもっていた。
その夜、四人いや、セリカの生徒アリスも興味津々でついてきて、五人は三年前と同じあの安宿の一室に集まった。テオも招かれて、末席に座っていた。
「いやあ、揃ったな、みんな!」クロウが酒杯を掲げた。「セリカは先生様。ミラは教会の支え。俺は村のまとめ役。……それぞれ立派になったもんだ」「あなたがまとめ役って、いちばん驚きだけどね」セリカがからかうと、どっと笑いが起きた。ミラもめずらしく、くすくすと笑っている。
「なあ」ライルがしみじみと皆を見渡した。「三年前、俺たちはただ領収書を探して歩いてた。でも今、それぞれの場所でちゃんと誰かの支えになってる。……あの地味な旅は、無駄じゃなかったんだな」「無駄なんかじゃなかったわ」セリカが静かに言った。「わたしたちは、あの旅で規程の向こう側にいる人の顔を見ることを覚えたの。それを今、それぞれの場所で続けてる。……それだけの違いよ」
アリスが目を輝かせて、その話を聞いていた。「すごい……皆さん、本当に世界を救った勇者様たちなんですね」「いや、俺たちはただ書類と格闘しただけだ」ライルが照れくさそうに笑うと、また笑い声が広場に広がった。窓の外、東の空に月が昇りはじめていた。三年前は四人と一人の財務官だった旅が、今度はこれほど多くの仲間と絆を連れて旅立とうとしている。明日には、監査官ザイデルに正式な辞令が下る。そして、いよいよ旅立ちの日が近づいていた。




