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勇者、経費で落ちません  作者: みき
第2幕 国際編

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第55話 聖剣を借りに、宝物庫へ。そして、最初の仲間を訪ねる

 王城の宝物庫は、三年前と変わらぬひんやりとした空気に満ちていた。だが、棚の様子はずいぶん変わっていた。整然と並ぶ無数の品々。そのどれもに、几帳面な字で番号の札が下がっている。


「おや、これはライル様!」奥から駆け寄ってきたのは、資産管理係のトビアスだった。三年前より貫禄がつき、今では資産管理課の課長になっている。だが、その目の輝きは、あのときと少しも変わっていなかった。「本日は、いかなるご用件で」


「聖剣エクスフィナを借りに来た」ライルは単刀直入に言った。「帝国との協議の旅だ。国境の山地は、まだ魔物の残党がいる。念のため要る」


「聖剣でございますね。少々お待ちを」トビアスは、奥のひときわ厳重な棚へと向かった。ガラスの飾り棚。その中央に、あの青く光る聖剣が安置されていた。柄には、あの日貼られた小さなシールが――『王国備品 No.0001』が、まだしっかりと貼られている。ただし、色あせないよう、上から薄い透明な膜で覆われていた。


「……大事にしてくれてるんだな」ライルは思わずつぶやいた。「三年経ったのに、シール一枚剥がれてない」「当然でございます」トビアスは胸を張った。「No.0001は、この資産管理課、初代にして最重要の備品です。わたしが休みの日にも、状態を確かめに来るほどの」「休みの日にまで……」ライルは半ば呆れ、半ば感心した。この几帳面さは、三年経っても健在らしい。


「継続使用申請はいかがいたしましょう」トビアスが帳簿を開いた。「今回は、王命による公式の使節団任務。あの『英雄のジレンマ』を悩む必要もございません。むしろ、」彼はにっこりと笑った。「勇者様が剣を必要となさるたび、世界にまだ守るべきものがある証。わたしは、それを誇りに思っております」


 ライルは、その言葉に少し驚いた。三年前の、あの規程一辺倒のトビアスとは、どこか違う。「あんた、変わったな」「エルナ様のおかげです」トビアスは照れくさそうに頭をかいた。「あのセリカ様の杖の一件。あれ以来、わたしは台帳を、ただの数字の羅列ではなく、『物に宿る想いの記録』だと思うようになりました。実は、」彼は棚の一角を指した。そこには、『評価額・算定不能』の札を下げた品々が何十と並んでいた。「あの分類、今では資産管理課の正式な区分になっております。子の初めての靴。戦友の形見の指輪。値段のつけられない大切な物を、王国中の人々が安心して預けられるようになりました」


「それだけじゃございません」トビアスはさらに続けた。声に誇らしさがにじんでいた。「わたしは今、若い係員たちに教えているのです。『番号をつけるとは、物を支配することじゃない。物に居場所を与えることだ』と。……最初は皆、ぴんと来ない顔をします。ですが、いつか必ず出会うのです。値段のつけられない大切な物を抱えて、途方に暮れる誰かに」トビアスは、ふと遠くを見るような目をした。「あの日、セリカ様が涙ながらに抱きしめていた、あの杖。あれを見て、わたしは初めて気づいたのです。台帳とは、冷たい数字の羅列ではなく、―人の大切な物語を書き留める場所なのだと」


 ライルは、その棚をしみじみと見渡した。あの日、エルナがたった一言ひねり出した一つの理屈。それが三年かけて、王国の当たり前の仕組みになっていた。地味な冒険の種は、こんなところにも芽吹いていたのだ。


 聖剣を腰に佩き直し、ライルは宝物庫を後にした。次に向かうのは、旧知の仲間たちのもとだった。まずは、王都から馬で半日の小さな村。盗賊あがりのクロウが今暮らしている場所だ。


 村に着いたとき、ライルは思わぬ光景に出くわした。村の広場に人だかりができている。中心にいたのは、日に焼けたたくましい男、クロウだった。だが、様子が少しおかしい。向かい合っているのは、二つの村の代表らしき老人たちだった。


「――で、双方の言い分はわかった」クロウの声が広場に響いていた。「上流の村さんよ、あんたは『下流が勝手に水路を広げて、水を独り占めしてる』と言う。下流の村さんは、『去年の大雨で崩れた水路を直しただけだ』と言う。……なあ、爺さん。その水路、直したのはいつだ」


「え、えーと……去年の秋口だったか」下流の村の老人が口ごもった。クロウの目が、すっと細くなった。かつて盗賊として、獲物の隙と嘘を見抜いてきた、その目だ。「おかしいな。去年の秋は雨が少なかった。水路が崩れるほどの大雨は、一昨年の夏じゃなかったか。俺はこの村に来て三年、天気のことはいやでも覚えてる」


 老人がぐっと詰まった。上流の村人たちが色めき立つ。だが、クロウはそこで意外なことを言った。「と、責めたいわけじゃねえんだ。爺さん、正直に言ってくれ。水路、直したとき、ついでに少し広げたな? 悪気はなかった。今年は日照りだったから、少しでも多く水が欲しかった。そうだろう」


 下流の老人は、観念したようにうなだれた。「……その通りだ。皆が喉から手が出るほど水が欲しくてな。少しくらいいいだろうと」「気持ちはわかる」クロウはうなずいた。「だが、それを黙ってやりゃ、上流は騙されたと思う。今日みたいに揉める。……こうしよう。水路の幅は去年の姿に戻す。その代わり、日照りの年だけ、上流が下流に水を少し多めに分ける取り決めを作る。文書にして、両方の村長が判を押す。それなら来年からは、疑い合わずに済むはずだ」


 両方の村人たちが顔を見合わせた。そして、ゆっくりとうなずきはじめた。「クロウ殿の言う通りにしよう」「ああ、それなら納得だ」広場に、ほっとした空気が流れた。かつて他人の物を黙って持ち去っていた男が、今は隠しごとを暴き、正しい取り決めを結ばせている。ライルは木陰から、その一部始終を見ていた。胸にこみ上げるものがあった。


「よお、久しぶりだな、クロウ」人だかりが散ったあと、ライルは声をかけた。クロウがぎょっと振り向き、それから顔をくしゃっと崩した。「ライル! なんだよ、いきなり! ……見てたのか、今の」「見てた。大したもんだ。お前が村の揉め事を収める側になるとはな」


「柄じゃねえけどな」クロウは照れくさそうに後ろ頭をかいた。「でもな。盗賊だったころ、俺は人の隙と嘘ばっかり見てきた。それを盗むために。……でも、その目は使いようだったんだ。嘘を暴くためにも使える。隠れた本当の気持ちを見つけるためにも。エルナさんが教えてくれたよ。『あなたの目は、悪事のためじゃなく、人のために使える目だ』って」


「……いいこと言うようになったな、お前」ライルはしみじみと笑った。「で、本題だ。帝国との揉め事を収めに行く。お前のその目が要る。一緒に来てくれるか」クロウは目を丸くした。そして、すぐににっと笑った。「聞くまでもねえだろ。俺たちのパーティに二言はねえ。……ただし、今度は水路じゃなくて国境の揉め事か。スケールがでかいな」「ああ。だから、お前の力が要るんだ」二人は固く握手を交わした。三年前と同じ、しかし少したくましくなった手だった。


 帰り支度をしながら、クロウはふと真顔になって尋ねた。「なあ、ライル。正直、聞きたかったんだ。……俺は盗賊だった。人の物を黙って盗んできた男だ。それが今じゃ、村の揉め事を収める役だなんて。おかしいと思わないか」ライルは少し考えてから答えた。「思わないさ。お前は盗む才能があったんじゃない。人を見抜く才能があったんだ。使う方向を間違えてただけ。……三年前、経費の旅でいろんな人に会っただろう。字の書けない御者。亡くなった宿の主人。頑固な薬師。あの旅で、お前も変わったんだ。俺と同じようにな」クロウは、しばらく黙っていた。それから照れくさそうに笑った。「……らしくねえこと言うようになったな、お前も」「エルナさんの受け売りだよ」二人は声を合わせて笑った。世界で一番地味な二度目の冒険の仲間集めが、いよいよ始まった。


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