表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者、経費で落ちません  作者: みき
第2幕 国際編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
53/64

第53話 地図を広げたら、国境線が魔獣の巣のど真ん中を通っていた

 王国測量局の書庫は、財務課の隣の棟にあった。カビと古い紙の匂い。ライルたちはそこで、二百年前の条約の写しと東の山地の地図を掘り出した。羊皮紙の地図は端が茶色く焼け、折り目がぼろぼろになっていた。


「これが二百年前の国境条約の付属地図です」測量局の老技師が、うやうやしくそれを長机に広げた。「東の国境は、この赤い線。『大鷲の峰より、双子岩を経て、黒河の源流に至る尾根(おね)線』と条文にはあります」


 エルナが、帝国の書状に添えられていた帝国側の地図をその隣に並べた。同じ山地。同じ尾根。だが、二枚の地図を見比べた一同は、そろってうなった。赤い線の位置が微妙に違うのだ。王国の地図では、線は尾根の東側を通る。帝国の地図では西側を通る。そのずれの幅、およそ半里。そして問題の魔獣の巣は――ちょうど、その「ずれ」のど真ん中にあった。


「……なんだ、これは」ライルは二枚の地図を何度も見比べた。「同じ条約の同じ線のはずだろう? なんで半里もずれてるんだ」


「原因は二つ考えられます」老技師が眼鏡を押し上げた。「一つは写し間違い。二百年のあいだに、地図は何度も書き写されます。そのたびに線は少しずつずれる。もう一つは、『一里』の長さが両国で違うことです」


「は?」


「王国の一里は千歩。帝国の一里は千二百歩なのです。条約の条文には『双子岩より三里』などと書かれた箇所がある。同じ『三里』でも、王国の物差しで測るか、帝国の物差しで測るかで、行き着く場所が変わってしまう」


 ライルは頭を抱えた。国と国の境目が「歩幅の違い」で揺らいでいる。二百年間、誰もそれに気づかなかった。気づく必要がなかったのだ。あの山地には誰も住んでいなかったから。魔獣が巣を作るまでは。


「これは……協議が揉めますよ」ザイデルが低く言った。「国境線そのものがあいまいだ。帝国は『巣は帝国領』と言い、王国は『いや、王国領』と言える。どちらの地図にもそれなりの根拠がある。水掛け論になる」


「なら、測り直せばいいじゃないか」ライルが言った。「今の技師が今の道具で実際に測る。それで白黒つくだろう」「それが、そうもいかんのです」老技師が首を振った。「国境の実測には、両国の立ち会いが要ります。王国だけで測って『こちらの線が正しい』と言っても、帝国は認めません。逆もまた同じ。……実測をやるなら、両国合同の測量隊を組むしかない。それにはまず、協議の場が要ります」どこまで行っても、話し合いの卓にたどり着く。国境とは地面にあるものではなく、人と人との合意の中にあるものなのだった。


 そのとき、地図をのぞき込んでいたテオが、あ、と小さく声を上げた。「この谷……覚えてます。魔獣を追い詰めたとき、僕、ここで尻もちをつきました。岩が双子みたいに二つ並んでて」「双子岩!」老技師が身を乗り出した。「条約の目印の一つです! 勇者どの、その岩の位置、正確に思い出せますか。岩から巣までどれほど歩きました?」「ええと……夢中だったけど、たぶん四半刻ほど東へ」テオの記憶を頼りに、老技師が地図に点を打っていく。戦いの記憶が、思わぬ形で測量の手がかりになりはじめていた。「討伐の当事者が使節団にいる意味は大きい」エルナが静かに言った。「テオ様の足と目が、そのまま証拠になります」


「いいえ。水掛け論にはいたしません」エルナが静かに言った。その目は二枚の地図をじっと見据えていた。「発想を変えましょう。『巣がどちらの国にあったか』を争うのではなく――『巣がどちらの国にあったとしても、討伐は正当だった』ことを示すのです」


「……どういうことだ?」


「魔獣の被害は両国に出ています」エルナは帳簿を開いた。「王国側では三つの村が焼かれた。そして帝国の書状自身が認めています。『当該魔獣に関わる被害の補償』と。つまり、帝国側にも被害があったのです。両国の民を襲っていた魔獣。それを討った行いが、どちらの国の法でも罰せられるはずがありません。国境がどこであろうと、です」


「緊急避難というやつだな」フェルゼンがうなずいた。「家が燃えていれば、隣の家の者でも水をかけてよい。むしろ、かけねばならん。……理屈は通る。だが、それを通すための材料がいる。魔獣の被害の正確な記録。討伐の正確な経緯。両方の国の分がな」


「王国側の記録は揃えられます」エルナが言った。「問題は帝国側の被害記録です。あちらの村々の何が、いつ、どれだけ襲われたか。それは――帝国の中に入らねば手に入りません」旅の必要性が、また一つ積み上がった。


 と、そこで書庫の扉が勢いよく開いた。現れたのは、二人の見覚えのある顔だった。一人は日に焼けた豪快な女性――自然環境課のハンナ。もう一人は青白い神経質そうな男――防災課のボルク。三年前、ドラゴンの所管をめぐって三時間揉めた、あの二人である。


「聞いたわよ! 例の魔獣の件、うちの課の記録が要るんですって?」ハンナがどっさりと綴りを机に置いた。「東部魔獣被害記録、全部持ってきたわ。野生動物の観察記録なら、うちが王国一よ」


「待ちたまえ。あの魔獣は村を三つ焼いた。あれは明白に『災害』だ。よって、被害記録の正本はわが防災課にある」ボルクも負けじと綴りを積み上げた。「災害記録として、家屋の損害、避難の記録、一円単位まで揃っている」


「野生動物よ」「災害だ」「野生動物っ」「災害だっ」


 始まった。三年前と寸分たがわぬ応酬である。ライルは天を仰いだ。だが、次の瞬間、思いがけないことが起きた。二人がぴたりと言い争いを止め、顔を見合わせ、そして同時に、にやりと笑ったのだ。


「……なんてね。冗談よ、冗談」ハンナが肩をすくめた。「三年前、あんたたちに教わったもの。『所管で揉えるより、記録を出し合うほうが早い』って。今回は最初から、二課合同で記録をまとめてきたわ」ボルクも、こほんと咳払いした。「『野生動物にして災害』。両課併記の合同報告書だ。……この形式、三年前のドラゴンの一件で生まれた前例だからな」


 差し出された綴りの表紙には、確かに二つの課の判が仲良く並んで押されていた。ライルは思わず笑ってしまった。三年前、あれほど揉めた二人が、今や王国でいちばんの名コンビになっている。あのときのうんざりするような三時間は、無駄ではなかったのだ。


「王国側の材料は、これで揃いはじめた」エルナは合同報告書を大切に受け取った。「あとは、これを王の御前で示すこと。使節団の派遣を正式に認めていただくことです」視線の先、地図の上では二本の赤い線があいまいに揺れている。その線をはっきりさせる旅が、もう目の前まで来ていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ