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勇者、経費で落ちません  作者: みき
第1幕 国内編

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第48話 勇者、剣を置いて、机に向かう

 数日後、ライルは王の御前に再び召された。今度は報酬の話ではなかった。王はライルに、新しい役目を授けようとしていたのだ。


「勇者ライルよ」王はおごそかに告げた。「そなたに爵位と領地を与えた。だが、聞けばそなたは、それを固辞したいと申しておるとか」「はい、陛下」ライルは頭を下げた。「ありがたいお話です。ですが、わたしは領主として静かに暮らすよりも――もっとやりたいことが見つかったのです」


「申してみよ」「王国の財務をもっと良くするお手伝いがしたいのです」ライルはまっすぐに言った。「わたしはこの三か月、書類に苦しめられました。世界を救ったのに、領収書一枚で立ち往生した。ですが、その中で知ったのです。王国の決まりや手続きには、まだまだ人を苦しめるものがたくさんある。わたしのようにつまずく人が、これからもたくさん出る。――それをなくしたい。剣で魔物を斬るように。一つずつ、人をつまずかせる決まりを斬っていきたいのです」


 玉座の間がざわめいた。世界を救った英雄が爵位を捨てて、財務の業務改善を志願する。前代未聞の申し出だった。だが、王はしばらく考えたのち、深くうなずいた。「……よかろう」王は微笑んだ。「そなたほど、その役目にふさわしい者はおるまい。書類に苦しんだ者だからこそ、書類の苦しさがわかる。――勇者ライルよ。そなたを王国財務の『業務改善担当』に任じる。フェルゼンの財務課と共に、王国の仕組みをよりよいものへと変えていくがよい」


 御前を辞すとき、フェルゼン課長がライルに歩み寄ってきた。「……勇者殿」彼はいつもの厳しい顔で、しかしその奥に温かいものを込めて言った。「四十年、わしはこの仕事を孤独に守ってきた。誰にもわかってもらえぬ地味な仕事だと思っていた。だが――世界を救った英雄が、自らこの仕事を選んでくれた。これほど誇らしいことはない」彼は深々と頭を下げた。「財務課へようこそ。共に王国の根を守ろうぞ」その言葉に、ライルは胸が熱くなった。かつて特例を一度も認めなかった頑固な老人。その人が今、自分を仲間として迎えてくれている。


 こうして、世界を救った勇者は剣を置いた。代わりに手にしたのは、羽根ペンと書類だった。最初に財務課に呼ばれたときには、想像もしなかった未来だ。あのとき、領収書一枚に立ち往生した男が、今、王国の財務をよりよくする役目を担っている。人生とは本当にわからないものだった。


 ライルの最初の机は、地下二階の財務課に置かれた。エルナのすぐ隣だった。「これからよろしくお願いします。ライル様」エルナがいつもの平らな声で、しかしどこか嬉しそうに言った。「ああ、こちらこそ。――だが、エルナさん。一つだけ言っておく」ライルは苦笑した。「俺は書類が苦手だ。今でも。だから、しょっちゅうあんたに助けを求めることになる。覚悟しといてくれ」「望むところです」エルナは微笑んだ。「あなたは書類が苦手だからこそ、『どこがわかりにくいか』が誰よりもわかる。それは業務改善には何よりの才能です。――苦手なままでいてください。それがあなたの武器ですから」


 ライルはその言葉に、なるほどと思った。書類が得意な人ばかりでは、書類のわかりにくさには気づけない。自分のような苦手な人間がいるからこそ、本当にやさしい仕組みが作れるのだ。剣の腕も財務の知識もなくていい。ただ、「つまずく人の気持ちがわかる」――それが、この新しい役目での彼の力だった。


 仲間たちはそれぞれの道を歩みはじめた。クロウは報酬の一部で、貧しい村への施しを続けながら、たまにふらりと財務課に顔を出す。セリカは魔法学院に戻り、研究のかたわら、しおりの挿絵を手伝った。ミラは故郷の教会で、人々の相談に乗りながら、王国の困っている人を財務課へとつなぐ橋渡しを買って出た。世界を救った冒険は終わった。だが、それぞれの新しい物語は今、始まったばかりだった。


 監査官ザイデルとは、同じ王国財務をよりよくする同志として、たびたび卓を囲んだ。彼は相変わらず厳しかったが、その厳しさはもう誰も孤独にしなかった。フェルゼン課長は新しい仕組みを見守りながら、若い職員たちに自分の四十年の経験を伝えはじめた。そして、ヴァロはしおりをよりわかりやすくする仕事に、誰よりも熱心に取り組んでいた。かつて対立し、すれ違った者たちが今、同じ方向を向いて歩いている。それは、ライルが剣では決してなし得なかった、もう一つの世界の救い方だった。


「さて、ライル様」エルナが最初の書類を差し出した。「あなたの業務改善担当としての初仕事です。――王国の数ある手続きの中で、最も人をつまずかせているものを一つ選び、それをやさしく作り直す。何から手をつけますか」ライルはしばらく考えてから、にやりと笑った。「決まってる。あの第七号様式だ。十七枚もあるあれを、まずなんとかする。あれに三か月苦しめられた俺が言うんだ。間違いない。あれが王国で一番、人を泣かせてる書類だ」エルナはその答えに、声を上げて笑った。「……同感です。では、さっそく取りかかりましょう。あの十七枚を一枚に。それができれば――この国の誰もが、少しだけ楽になります」二人は顔を見合わせ、うなずき合った。世界を救ったあの旅の出発点だった第七号様式。それを今度は二人で作り変えていく。なんともふさわしい初仕事だった。


 羽根ペンを握り、ライルは最初の業務改善の書類に向き合った。剣よりずっと軽いそれが、今はしっくりと手に馴染んだ。隣では、エルナがいつものように帳簿をつけている。窓の高いところから、午後の光が差し込んでいた。地下二階の紙の海は、もう冷たい場所ではなかった。人を守るための温かい仕事場だった。世界で一番地味な冒険の、その後の物語は――こうして静かに、けれど確かに続いていく。剣を振るう日々は終わった。だが、ライルは知っていた。これからの地味な日々こそが、本当に世界を少しずつよくしていくのだと。一枚の書類をやさしくするたびに。一人のつまずきをなくすたびに。世界はほんの少し優しくなる。魔王を斬ったあの一瞬よりも、ずっとゆっくりと。けれど、ずっと確かに。


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