表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者、経費で落ちません  作者: みき
第1幕 国内編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
37/65

第37話 ついに玉座の間へ。世界を救った男が、経費の話をする

 玉座の間は、まばゆいほど明るかった。高い天井から、いくつもの光が降り注ぎ、磨き上げられた床に反射している。三か月前、ライルがついぞたどり着けなかった場所。世界を救った報酬をもらえるはずだった場所。今、彼はようやく、その中央に立っていた。だが、手にしているのは剣ではなく、領収書の束だった。


 玉座には、王が座していた。その両脇には、居並ぶ大臣たち。フェルゼン課長も、財務の長として列席している。そして、エルナとザイデルが、ライルのすぐ後ろに控えていた。荘厳な静寂の中、王が口を開いた。「勇者ライルよ。よく戻った。世界を救ったそなたの働き、改めて礼を言う。だが、聞けば、そなた、奇妙な旅をしておったとか。経費の精算のために、もう一度、世界の果てまで行ってきた、と」


「はい、陛下」ライルは頭を下げた。緊張で、声がわずかに震えた。「世界を救ったあと、わたしは報酬をいただくはずでした。ですが、旅の経費の領収書を、すべてなくしておりました。そのため、精算ができず、報酬もいただけず。財務課で立ち往生しておりました」


 玉座の間に、ざわめきが走った。大臣の一人が声を上げた。「ばかな。世界を救った英雄ぞ。領収書の一枚や二枚、なくとも報酬を与えればよいではないか。たかが紙きれの話で、英雄を煩わせるとは、財務の怠慢ではないか」


 それは、もっともな意見に聞こえた。だが、ライルは首を横に振った。「いいえ。それは違います」彼の声に、もう震えはなかった。「最初は、わたしもそう思いました。世界を救ったのだから、細かいことはいいだろう、と。ですが、旅をして、わかったのです。それは、間違いだと」


 彼は王にまっすぐ向き直った。「もし、わたしが英雄だからと、領収書もなしに報酬をもらっていたら。それを見たほかの者たちは、こう思うでしょう。『英雄は特別だ。決まりを守らなくていい』と。そして、次はこう思う。『なら、自分たちも少しくらい、いいだろう』と。その、ほんの少しのほころびが、いつか、国の帳簿を崩します。誰も、決まりを守らなくなる。それは、国の根を腐らせるのです」


 それは、かつて監査官ザイデルが語った、あの村の教訓だった。一枚のほころびが、村を滅ぼした、あの話。ライルは旅の中で、それを自分の言葉として受け取っていた。後ろで、ザイデルがわずかに目を見開いた。


「だから、わたしは旅に出ました」ライルは続けた。「英雄だからと特別扱いを受けるのではなく、一人の王国に仕える者として、当たり前に決まりを守るために。世界中を歩いて、領収書を一枚ずつ集め直しました。三か月かけて。ここにあります。すべて本物です。一枚の嘘もありません」


 彼は領収書の束を、うやうやしく掲げた。そして、一枚ずつ、その物語を語りはじめた。字の書けない御者の焼き印。亡き宿主の宿帳に隠された真心。偏屈な薬師が、四十年の誇りを込めて初めて書いた証文。お金を使わない里の物々交換。そして、倒したはずの魔王が最後に署名した、一枚。


「特に、陛下に申し上げたいのは、この一枚です」ライルは薬師ドルフの証文を掲げた。「これを書いた薬師は、四十年、ただの一度も証文を書いたことがありませんでした。『効けば、それでいい。紙きれに意味はない』と。ですがその薬が、わたしの命を何度も救い、世界を救う旅を支えた。彼が初めて書いたこの一枚には、こう添えてあります。『この薬、勇者の旅を支えたるものなり。薬師ドルフ、生涯の誇りとす』と」彼の声が、わずかに震えた。「陛下。経費の精算とは、ただお金を計算することではありません。誰が、どこで、どんな思いで世界を支えたか。それを記録し、忘れないこと。この、たった一枚の証文が、それを教えてくれました」


 王は、その証文にじっと見入った。玉座の間の誰もが言葉を失っていた。無骨な、達筆とは言えぬ字。だが、そこには一人の職人の四十年の人生が宿っていた。それは、どんな立派な勲章よりも雄弁に、「人が世界を支える」とはどういうことかを語っていた。


 玉座の間は静まり返って、その語りに聞き入っていた。それは、ただの経費精算の報告ではなかった。一枚の領収書の向こう側に生きる、人々の物語だった。王も、大臣たちも、いつしかその話に引き込まれていた。世界を救った冒険譚よりも、ずっと地味で、けれど、ずっと人の心に触れる物語だった。


「この精算は」ライルが語り終えると、ザイデルが進み出た。「監査官として、わたしが全行程を検めました。一切の不備なし。全面的に認めます」続いて、フェルゼンが立ち上がった。「財務課長としても確認した。これほど誠実で、完璧な精算の束を、わしは四十年で見たことがない。陛下。この精算、認めるに十分かと存じます」二人の王国でも指折りの堅物が、揃って太鼓判を捺した。その重みは、どんな美辞麗句より確かだった。


 王は、しばらくライルの掲げる領収書の束を見つめていた。そして、深くうなずいた。「……あいわかった」その声は、玉座の間に朗々と響いた。「勇者ライルよ。そなたは、剣で世界を救っただけではなかった。その後始末を、一枚の紙に至るまでまっとうに果たすことで、この国の根を守ってくれた。それは、魔王を討つことと同じくらい、いや、それ以上に得難い働きである」王は玉座から身を乗り出した。「そなたの経費精算、この王が確かに認める。報酬は、ただちに支払われよう。長きにわたる二つの旅。本当に、大儀であった」


 玉座の間に、安堵と感嘆のため息が広がった。ライルの肩から、三か月分の重荷が、すうっと下りていった。ついに。ついに、認められたのだ。長い、長い世界で一番地味な冒険が報われた瞬間だった。後ろを振り返ると、エルナがいつもの無表情を保とうとして保ちきれず、目にうっすらと涙を浮かべていた。世界で一番地味な冒険は、こうして玉座の間で、その最初の大きな目的を果たした。だが、王の次の一言が、物語をさらに思いがけない方向へと転がしてゆく。「ところで、勇者よ。一つ、気になることがある。城門の前に、先ほどから奇妙な商人が一人。そなたに取り次げと申しておるのだが、名を、マオウ、と」


 その名に、玉座の間が凍りついた。マオウ。魔王。世界を滅ぼそうとした、あの。大臣たちがざわめき、衛兵が剣の柄に手をかけた。だが、ライルは思わず苦笑した。あの男だ。よりにもよって、勇者の経費が認められた、まさにこの日に、城へ乗り込んでくるとは。「陛下」ライルは頭を下げた。「その者なら、わたしの知る相手です。もはや、世界を滅ぼす魔王ではありません。今は、会計ソフトを売り歩く、一人の商人です。おそらく、その商売を王国に売り込みに参ったのでしょう」「会計ソフト?」王が眉をひそめた。聞き慣れぬ言葉に、玉座の間がさらにざわめいた。フェルゼン課長の表情が、わずかに険しくなったのを、エルナは見逃さなかった。新たな嵐が、今、城門の前で、その幕を開けようとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ