表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者、経費で落ちません  作者: みき
第1幕 国内編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/64

第35話 妨害していた男の、本当の狙い

 御前(ごぜん)会議は、三日後と決まった。その準備のため、ライルたちは、財務課の一室を借りることになった。すべての領収書を、もう一度整理し、王の前で申し述べる筋道を組み立てる。エルナとザイデルが、その作業を取り仕切った。


 だが、その夜。一人、遅くまで書類を整えていたエルナは、気づいた。並べたはずの領収書のうち、二枚が見当たらない。火竜の里の現物取引の控えと、関所の後日確定の控え。よりにもよって、最も説明の難しい二枚だった。「……おかしい。確かに、ここに置いたのに」彼女の背筋に、冷たいものが走った。


 そのとき、廊下の奥から、ひそやかな足音が近づいてきた。エルナは、とっさに棚の陰に身を隠した。現れたのは、一人の財務官。きっちりとした身なりの、神経質そうな中年の男。エルナは、その顔に見覚えがあった。フェルゼン課長の筆頭補佐官――ヴァロ。課長の最も近くで、その決裁を補佐する男だった。


 ヴァロは、あたりをうかがいながら、エルナの机に近づいた。そして、整理された領収書の束に手を伸ばした。さらに、何枚かを抜き取ろうとしている。エルナの胸に、すべてがつながった。先回りして、各地で妨害していた者。財務の内部で、勇者の旅程を正確に知り、課長の近くにいる者。――このヴァロだったのだ。


「何をしておられるのですか。ヴァロさん」エルナが、棚の陰から進み出た。ヴァロは、びくりと肩を震わせ、振り返った。その手には、抜き取った二枚の控えが握られている。「……エルナ。お前、まだいたのか」彼は、すぐに、ふてぶてしい表情に戻った。「これは、ただの確認だ。明日の会議に向けて、不備がないか、補佐官として(あらた)めている。それだけのことだ」


「では、なぜ、こそこそと。なぜ、最も説明の難しい二枚だけを」エルナの声は静かだったが、鋭かった。「各地の店に嘘を吹き込んでいたのも、あなたですね。『再発行に応じれば、罪に問われる』と。わたしを、規程を悪用する不正の()だと言いふらしていたのも」


 ヴァロの顔がゆがんだ。観念したのか、彼は、低い声で吐き捨てた。「……ああ、そうだとも。この旅を潰すためだ。お前たちの精算が認められれば、とんでもない前例ができる。『領収書をなくしても、旅に出れば救われる』――そんな甘い前例が。そうなれば、これから誰もが、いいかげんに書類を扱うようになる。財務の秩序が崩れる」


「それは違います」エルナは、きっぱりと言った。「この旅が示したのは、その逆です。領収書をなくせば、これほど大変な思いをして、取り戻さねばならない。安易な救済ではありません。むしろ、書類の大切さを、誰よりも思い知る旅でした。前例になるなら、それは『書類を大切にせよ』という戒めの前例です」


「綺麗事を!」ヴァロは、声を荒らげた。だが、その目には、別の感情がちらついていた。エルナは、それを見抜いた。「……いいえ。あなたが本当に恐れているのは、前例ではない」彼女は、静かに言った。「あなたが恐れているのは――この精算が認められれば、王国の制度が変わってしまうこと。難しすぎるしおりや決まりが見直されること。そうなれば、その『難しさ』を知り尽くしていることで力を持っていた、あなたのような人の立場が危うくなる。――そうではありませんか」


 ヴァロは、ぐっと言葉に詰まった。図星だった。複雑な規程と手続き。それを、誰よりも熟知していることが、彼の権力の源泉だった。普通の人には読めない決まり。だからこそ、それを操れる自分に価値があった。もし、制度が誰にでもわかりやすく作り直されたら。彼の特別な力は消えてしまう。彼が恐れていたのは、まさにそれだった。


「規程は」エルナは、まっすぐに彼を見た。「一部の人が力を持つための道具ではありません。すべての人を守るための傘です。あなたは、その傘を、自分だけの武器にして握りしめていた。――ですが、傘は、皆で差すものです。あなたが抜き取ったその二枚を返してください。そして、明日の会議で、堂々と議論しましょう。隠すのではなく」


 ヴァロは、しばらく、握りしめた二枚を見つめていた。その手が震えていた。長年、複雑な決まりを操ることで保ってきた、自分の立場。それを手放すことへの恐れ。だが、エルナのまっすぐな目の前で、彼は、その二枚をごまかし通すことができなかった。やがて、彼は、力なく、その控えを机に戻した。「……勝手にしろ」彼は、吐き捨てるように言うと、足早に立ち去っていった。だが、その背中は、これまでのふてぶてしさを失っていた。


 物音を聞きつけて、ライルとザイデルが駆けつけてきた。事の次第を聞くと、ザイデルは、深くうなずいた。「……やはり、ヴァロだったか。私も、薄々感づいていた。各地の店への先回り。あれほど正確に旅程をつかめるのは、課長の補佐官くらいのものだ」彼の声は苦かった。「同じ財務の人間として、情けない。規程を、誰かを蹴落とす道具にするとは」「責めないであげてください」エルナは、静かに言った。「あの方も、長く複雑な決まりと向き合ううちに、見失ってしまったのです。規程は、何のためにあるのかを。――わたしも、一歩間違えれば、ああなっていたかもしれません」その言葉に、ザイデルは、はっとした。規程を愛するがゆえに、道を踏み外す。それは、彼自身もまた抱えてきた危うさだったのだ。


「なあ」ライルが、口を開いた。「俺は、難しい決まりのことはわからん。でも、これだけはわかる。エルナさんの規程は、いつも、誰かを助ける方に使われてた。字の書けないじいさんも、宿の跡継ぎも、偏屈な薬師も、みんな助かった。でも、そのヴァロって人の規程は、誰かを困らせる方に使われてた。――同じ決まりでも、使う人の心ひとつで、こんなに違うんだな」その素朴な言葉が、その場の誰の胸にも、深く響いた。道具に善悪はない。それを握る者の心が、すべてを決めるのだった。


 エルナは、戻された二枚をそっと拾い上げ、元の場所に戻した。妨害者の正体はわかった。その狙いも。だが、彼女の胸に、勝利の喜びはなかった。あるのは、むしろ、深いもの悲しさだった。ヴァロもまた、規程を愛していたのだ。ただ、その愛し方がねじれていた。規程で人を守るのではなく、規程で人の上に立とうとした。同じ規程を扱いながら、自分とは正反対の道を歩んでしまった男。明日の会議は、彼のようなねじれた者を生まないための戦いでもあるのだと、エルナは静かに思った。世界で一番地味な冒険は、その最後の舞台を前に、財務の闇の部分とも向き合うことになった。窓の外には、王城のいくつもの灯りが、夜の中に点っていた。そのどこか一つの部屋で、今ごろヴァロは、何を思っているだろう。エルナは、戻ってきた二枚の控えを、もう一度そっとなで、明日への覚悟を静かに固めた。隠された妨害は、これで消えた。あとは、王の前で、すべてを明るみに出し、堂々と問うだけだ。――この三か月の旅が、王国にとって何を意味するのかを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ