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勇者、経費で落ちません  作者: みき
第1幕 国内編

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第32話 最後の一枚は、魔王自身が書いた領収書だった

「さて」魔王が、ガランに目配せをした。「本題に、参りましょう。勇者殿が、お探しの、城の売店の領収書。――ガラン、当時の記録を」「はい、ただ今」ガランは、奥から一冊の、分厚い帳簿を運んできた。魔王軍時代の、売店の売上記録。背表紙には、几帳面な字で、日付の範囲が記されている。彼は、ライルに討伐の日付を確かめると、慣れた手つきでページを繰っていった。


「ございました」ガランの指が、ある一行で止まった。「魔王城・最終決戦の当日。城内売店にて。回復薬、三本。松明、五本。締めて、銀貨八枚。――お買い上げ、勇者一行様」彼は、顔を上げた。「間違い、ございませんか」


「……ああ」ライルは、その記録をのぞき込んで、うなずいた。確かに、あの日。魔王の間へ続く、最後の階段の手前。薄暗い売店で、震える手で、最後の補給をした。回復薬と、松明。あれを買わなければ、最上階の暗闇の中で、魔王と戦えなかった。「間違いない。これだ。この一枚を、ずっと探してた」


 ガランは、うなずき、新しい用紙に、その記録を丁寧に書き写しはじめた。日付。品目。金額。但し書き。一字も、おろそかにしない、美しい筆跡だった。だが、最後の店の証明――発行者の判のところで、彼の手が、ふと止まった。彼は、魔王を振り返った。


「魔王様。この売店の発行者は……当時の責任者のお名前と、判が要ります。城内の、すべての売店の最終責任者は」「私だ」魔王は、静かに言った。「魔王城のすべては、私のものだった。あの売店も。だから――その領収書の発行者は、この私になる」


「待ってくれ」ライルは、ふと引っかかった。「それは、おかしくないか。俺は、お前の城に攻め込んだ。お前の配下の魔物から、薬を買った。つまり――俺は、お前を倒すための薬を、お前の店で買った、ってことになる。お前は、自分を倒す手助けを、自分の売店で売ってたのか?」


 魔王は、その問いに、声を上げて笑った。「ははは。言われてみれば、その通り。ですが、商売とは、そういうものです。売店の魔物に、客を選り好みする権限は、ありません。代金を払う者には、誰であろうと、薬を売る。たとえ、それが、主を討ちに来た勇者であっても」彼は、愉快そうに目を細めた。「むしろ、誇らしい。我が軍の売店は、最後まで、商売の筋を通した。敵にすら、公平に品物を売った。――いやはや、あのころから、私の軍は、商売の素質があったのかもしれませんな」その軽妙な語り口に、ライルも、つられて苦笑した。かつて、これほど話の通じる相手だと知っていたら。あの戦いも、少しは違ったのだろうか。いや――戦った仲だからこそ、今、こうして笑い合えるのかもしれない。


 ライルは、はっとした。最後の領収書。それを発行できる、ただ一人の人間。それは、ほかでもない、自分が命がけで斬った魔王、その人だったのだ。長い、長い再発行の旅。世界中を駆け回り、たどり着いた最後の一枚。それを書く資格を持つのが、かつての最大の宿敵だとは。運命の、奇妙な巡り合わせに、ライルは、言葉を失った。


 魔王は、ガランから筆を受け取った。そして、領収書の発行者の欄に、ゆっくりと、自らの名を記しはじめた。かつて、世界を滅ぼそうとした手。ライルと死闘を演じた手。その同じ手が、今、勇者のための一枚の領収書に、署名している。魔王は、書き終えると、傍らの自分の印を、ぺた、と押した。『発行者・マオウ』。世界で、ただ一枚の、魔王が勇者に宛てて発行した領収書だった。


「……どうぞ」魔王は、その一枚を両手で、ライルに差し出した。「あなたが、私を討った、あの日の最後の買い物。その証です。妙な巡り合わせ、ですな。あなたを滅ぼそうとした私が、今、あなたの世界を救った証明に、判を押している」


ライルは、震える手で、その一枚を受け取った。軽い、ただの紙きれ。だが、その軽い紙が、ずしりと重かった。三か月の旅の、最後のピース。そして、かつての宿敵との、奇妙な和解のしるし。「……ありがとう」ライルは、絞り出すように言った。「お前を倒したのは、俺だ。なのに、お前が、その最後の証明を書いてくれるなんてな。――変な気分だよ」


「世界とは、そういうものでしょう」魔王は、穏やかに微笑んだ。「勝者と敗者が、いつまでも、その役のままでいるとは、限らない。私は、敗れて商人になった。あなたは、勝って領収書を集めて回っている。――もう、勇者と魔王では、ないのかも、しれませんな。ただの書類をめぐる、二人の男です」


 セリカが、そっと目元をぬぐった。「……なんだか、泣けてきちゃった。最初は、領収書がない、って、財務課で途方に暮れてたのに。世界中、歩き回って。いろんな人に会って。そして、最後は、倒したはずの魔王に、最後の一枚を書いてもらうなんて」「ああ」ミラも、静かにうなずいた。「これも、神のお導きかもしれません。倒すべき敵と再び出会い、こうして、和やかに別れる。――旅とは、本当に不思議なものです」クロウだけは、「俺は、まだ、こいつを完全には信じてねえぞ」と、魔王を横目でにらんでいたが、その口元は、どこかゆるんでいた。


 エルナが、その最後の一枚を受け取り、しっかりと検めた。日付、金額、但し書き、発行者の署名と印。一点の不備も、なかった。「……完璧でございます」彼女は、静かに言った。「これで、すべての領収書が揃いました。勇者様の、三か月の旅のすべての出費が、一枚残らず証明されました。――長い旅でしたね」その声には、深い感慨がこもっていた。後ろで、ずっと見守っていた監査官ザイデルも、小さくうなずいた。彼の目から見ても、その一枚は、文句のつけようがなかった。


 こうして、世界で一番地味な冒険は、その最後の目的を果たした。最初の馬車賃から、最後の城の売店まで。すべての領収書が、今、ライルの鞄の中に揃っている。あとは、これを王都に持ち帰り、フェルゼン課長の決裁を受けるだけ。三か月前、突き返された、あの宿題の答えも、旅の中で見つけていた。長い戦いの終わりが見えた。――だが、魔王は、去り際の一行に、思いがけない一言を投げかけた。「勇者殿。王都へ戻られるなら……近いうち、私も参りますよ。我が社の“マオウ・ソフト”を――王国に売り込みに、ね」その言葉が、次なる大きな嵐の始まりだとは、このとき、まだ誰も知らなかった。「王国に、売り込む……」エルナだけは、その一言に、ぴくりと反応した。彼女の脳裏に、ひとりの男の顔が浮かんでいた。紙とハンコを何より重んじる、あの財務課長フェルゼン。手書きの帳簿に、四十年を捧げてきた、あの男の前に、この“マオウ・ソフト”を突きつけたら――いったい、何が起こるのか。穏やかならぬ予感が、彼女の胸をよぎった。だが、今は、まず、この揃った領収書を、無事に王都へ持ち帰ること。それが、先だった。


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