表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者、経費で落ちません  作者: みき
第1幕 国内編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/69

第26話 上限の三倍の宿代を、どうやって認めさせるか

 魔王城を間近に望む、丘の上。そこに、『黒霧の宿』は、まだ建っていた。三か月前、魔王城へ乗り込む前夜、ライルたちが泊まった最後の宿だ。一泊、金貨三枚。王国の決める、宿泊費の上限の三倍。この旅で、最も手ごわい一枚になるはずだった。


 宿の主人は、あのときと変わらず、丘の上で一人、宿を守っていた。魔王が消えても、客はまだほとんど来ない。それでも、彼は、宿をたたまなかった。一行を見て、主人は懐かしそうに、目を細めた。「おお……あんた方、あのときの。無事だったか。城が片づいて、本当に、よかった」


 エルナは、その宿を、しみじみと見上げた。三か月前、ライルが語った、あの夜の話を、思い出していたのだ。魔王城を間近に、震えながらも、温かいスープと、まともな寝床を出してくれた宿。値段が高かったのは、ぼったくりではなく、その場所で宿を開け続けること自体が、命がけだったから。「……ここが、あの『黒霧の宿』なのですね」彼女は、つぶやいた。「机の上で、わたしが『上限超過』と、たった四文字で片づけた、あの宿。こうして、目の前にすると――まるで、印象が、違います」


「だろう」ライルは、笑った。「ここのおやじさんは、世界が滅ぶかもしれない夜に、たった一人、丘の上で、宿を開けてた。逃げずにな。あのスープがなかったら、俺たちは、まともに眠れないまま、魔王に挑んでた。あの一泊に、世界の運命が、かかってたかもしれないんだ」その言葉を聞いて、宿の主人は、照れくさそうに、鼻の頭をかいた。「大げさだなあ。わしゃ、ただ、宿屋だから、宿を開けてただけさ。逃げたら、宿屋じゃ、なくなっちまう。それだけだ」その素朴な言葉に、エルナは、深く、胸を打たれたようだった。霧の谷のモーリスと、同じだ。自分の持ち場を、ただ、まっとうに、守り続けた人。世界には、こうして、名もなき場所で、黙々と、務めを果たす人々が、いるのだった。


 領収書の再発行を頼むと、主人は、快く応じた。日付、金貨三枚、宿泊代。但し書きまで、丁寧に。それ自体は、何の問題も、なかった。問題は、その「金貨三枚」という金額が、王国の上限を、大きく超えていることだった。


「正直に申し上げます」エルナは、ライルに言った。「この領収書は、本物です。ですが、このまま提出すれば、上限を超えた分――金貨二枚は、自己負担とされます。それが、王国の決まりです。三か月前、わたしが、財務課で、申し上げた通りに」


「あのときは、例外規定がある、と言ってたよな」ライルは、思い出した。「『近くに、上限以下の宿が、一軒もなかったと証明できれば、認められる』と」「はい」エルナは、うなずいた。「ですが、その『なかった』を証明するのが、難しい。何もなかった、ということを、どうやって、紙の上で、示すか。――それが、宿題のまま、でした」


 ライルは、丘の上から、あたりを見回した。魔王城のふもとの、荒れ果てた一帯。かつて、いくつもの宿や家が、あったはずの場所。だが、今は、崩れた石垣と、焼けた柱の跡が、点々と残るばかり。魔王の軍勢に、すべて、踏み潰されたのだ。あのとき、泊まれる宿が、この『黒霧の宿』しか、なかったのは、まぎれもない、事実だった。


「証明できるはずだ」ライルは言った。「だって、本当に、ほかに、なかったんだから。見てくれ。あの崩れた跡。全部、昔は、宿や、家だった。魔物に、潰されたんだ」


「その『崩れた跡』こそが、証拠になります」エルナの目が、光った。「ですが、それを、客観的な記録と、結びつけねばなりません。あの石垣の跡が、かつて、宿であったこと。それが、魔王の被害で、いつ、失われたか。――その記録を、持っているのは」彼女は、少し、声を落とした。「自然環境課と、防災課。あのお二人です」


 ライルは、げんなりした。ドラゴンで、三時間もめた、あの二人だ。だが、ここで、思わぬ助け舟が、出た。後ろで聞いていた、監査官ザイデルである。


「その記録なら、私が、持っている」ザイデルは、小脇の書類束を、開いた。「監査官は、各課の記録を、照会する権限がある。この一帯の、被害記録も、旅の前に、念のため、取り寄せておいた」彼は、一枚の書類を、取り出した。「『魔王城周辺地域・施設壊滅状況報告書』。これによれば――この丘の一帯にあった宿屋七軒、旅籠四軒、すべて、魔王軍の侵攻により、壊滅。残存する宿泊施設は、『黒霧の宿』、ただ一軒のみ。日付も、課の印も、すべて、揃っている」


 エルナの表情が、わずかに、ほころんだ。「……完璧な、記録です。これがあれば、証明できます。『当該地域に、上限額以下の宿泊施設が、一軒も存在しなかった』ことを。客観的な、王国公式の記録で」彼女は、ザイデルを見た。「ザイデル殿。なぜ、これを。あなたは、この旅を、検める立場。むしろ、わたしどもの不利になる証拠を、探すのが、お役目では」


「勘違いするな」ザイデルは、そっぽを向いた。「私は、ただ、正しい精算を、見届けたいだけだ。上限を超えた宿代を、不当に、自己負担させられる。それもまた、規程の、ゆがみだ。正しく認められるべきものは、正しく認められねばならない。――それを、証明する記録が、私の手元にあった。出さない理由は、ない。それだけのことだ」彼の言葉は、ぶっきらぼうだったが、その中身は、まぎれもなく、エルナたちへの、助けだった。好敵手は、いつのまにか、確かな、味方に、なっていた。


 こうして、この旅で、最も手ごわいはずだった一枚は、思わぬ形で、片づいた。宿代、金貨三枚。そのすべてが、例外規定によって、正当な経費として、認められることになった。エルナは、黒霧の宿の領収書に、壊滅状況報告書を、しっかりと添えた。三か月前、財務課で、宿題のまま残された、あの問題が、今、世界の果ての丘の上で、ついに解かれたのだった。


 主人は、再発行した領収書をライルに手渡しながら、ぽつりと言った。「あんた方が、また、この丘に来てくれて、嬉しいよ。魔王が消えてから、客は、ぱったりだ。みんな、こんな世界の果てまで、来やしねえ」彼は、寂しそうに、笑った。「だが、わしは、まだ、宿を開けてる。いつか、また、誰かが、この道を通るかもしれねえ。そのとき、灯りの点いた宿が、一軒くらい、あってもいいだろう」エルナは、その言葉に、しばらく、黙っていた。それから、静かに言った。「ご主人。きっと、また、人は、来ます。道が、安全になれば。この丘に、宿が必要になる日が、必ず。――それまで、どうか、灯りを、絶やさないでください」その声には、心からの、祈りが、こもっていた。


「……これで」ライルは、丘の上から、すぐ目の前に、そびえる魔王城を、見上げた。崩れかけた、黒い城。三か月前、あそこで、魔王を、斬った。「再発行の旅も、いよいよ、大詰めだな。残るは――あの、城だけだ」魔王城。そこには、ライルたちが最後に支払った、何かの領収書が、まだ、残っているはずだった。だが、あの城に、今、誰がいるというのか。魔王は、倒した。城は、もぬけの殻のはずだ。誰に、領収書を、再発行してもらうというのか。一行の胸に、最後の、大きな謎が、影を落としていた。世界で一番地味な冒険は、旅前半を終え、いよいよ、最後の目的地――魔王城へと、足を踏み入れる。そして、その城で待っていたものは、ライルたちの想像をはるかに超える、奇妙な再会だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ