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勇者、経費で落ちません  作者: みき
第1幕 国内編

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第18話 立ち寄った町が「勇者御用達」だらけになっていた

 次の町に着いたとき、ライルは、思わず目を疑った。


 町の入り口に、でかでかと立て看板。『ようこそ、勇者ライル様、ご休憩の町へ!』。通りを歩けば、軒並み、店という店の看板に、同じ文句が躍っている。『勇者ご愛飲の井戸水』『勇者がお座りになった椅子、あります』『勇者御用達・伝説のパン』。どの店も、三か月前にライルが通りすがっただけの町を、今や「勇者ゆかりの地」として、町ぐるみで売り出していたのだ。


「……俺、この町で、井戸水なんか飲んだか?」ライルは、首をかしげた。「だいたい、ここ、ただ通り抜けただけだぞ。一泊も、してない」


「世界を救った英雄が、足を踏み入れた。それだけで、町にとっては、大変な誉れなのでしょう」エルナが、看板の数々を、めずらしそうに見上げた。「商魂、たくましいですね。これはこれで、たいした、ものです」


 一行が、町の広場に足を踏み入れた、その瞬間だった。どこで聞きつけたのか、わっと人だかりができた。商人たちが、われ先にと、ライルのもとへ殺到してくる。手に手に、紙きれを握りしめて。


「勇者様! 私の店で、パンをお買い上げいただいた領収書です! 判をください!」「いやいや、勇者様がお泊まりになったのは、うちの宿で!」「勇者様、馬の蹄鉄を、うちで直されたでしょう! さあ、こちらに証明を!」


 ライルは、たじろいだ。パンも、宿も、蹄鉄も、まるで身に覚えがない。だが商人たちは、口々に「勇者御用達」の証明を求めて、ぐいぐいと迫ってくる。どうやら、ライルから「確かにここで買った」というお墨付きをもらえれば、それを店の宣伝に使えると踏んでいるらしい。


「待て待て、落ち着いてくれ! 俺は、この町じゃ、何も買ってない! 通っただけだ!」ライルが叫んでも、熱狂した商人たちは、聞く耳を持たない。あわや、もみくちゃにされそうになった、そのときだった。


「――皆さま、お静かに」


 凜とした、しかし、よく通る声が、広場に響いた。エルナだった。彼女は、人だかりの前に、すっと進み出ると、いつもの平らな声で、しかし有無を言わさぬ調子で、告げた。


「わたくしは、王国財務課の者。勇者様の経費精算を、預かっております。皆さまの主張なさる取引、ひとつずつ、確認させていただきます。ただし――虚偽の領収書を作成し、王国に提出することは、立派な、文書偽造の罪。発覚すれば、相応の罰がございます。それを、ご承知のうえで、なお『確かに勇者様と取引した』とおっしゃる方は、こちらへ、お並びください」


 その一言で、広場の熱狂が、すうっと、引いていった。文書偽造の罪、という言葉が、効いたのだ。さっきまで「うちで買った」と叫んでいた商人たちが、急に、もごもごと口ごもり、一人、また一人と、後ずさりしていく。パンの店主も、宿の主人も、蹄鉄屋も、いつのまにか、人混みに紛れて、消えていた。


「……見事なものだ」ライルは、半ば呆れ、半ば感心して、つぶやいた。「あんなに殺到してたのに、ひと言で、潮が引くみたいに」


「嘘の証明を欲しがる者は、たいてい、罰を恐れます」エルナは、淡々と言った。「本当に取引のあった方なら、罪の話をしても、堂々と並びます。やましいことがありませんから。――ふるいに、かけただけです」


 それでも、一人だけ、食い下がる男がいた。でっぷりと太った、いかにも抜け目のなさそうな商人だ。「い、いや、私は、本当に取引をしたんですよ! 勇者様に、最高級の外套を、お売りした! ほら、この控えに、ちゃんと!」彼は、もっともらしい紙きれを、ずいと突きつけた。


 エルナは、その紙を、ちらりと見た。そして、一点の動揺もなく、言った。「この控え、日付が、三の月の三十一日とございますね」「そ、そうです! その日、確かに!」「おかしいですね」エルナは、静かに告げた。「三の月三十一日、勇者様は、すでに魔王城の最上階で、魔王と対峙しておられました。この町から、馬を飛ばしても、十日はかかる場所で。――勇者様は、魔王と戦いながら、同時に、この町で、あなたから外套を、お買いになった。そういう、ことですか?」


 商人の顔が、みるみる、青くなった。「い、いや、それは、その、日付を、書き間違えたのかも……」「日付を書き間違えた控えを、王国に提出する。それもまた、不実記載でございます」エルナは、すっと、目を細めた。「もう一度、お尋ねします。あなたは、本当に、勇者様と、取引をなさいましたか?」商人は、もう、何も言えなかった。脂汗をかきながら、紙きれを引っ込めると、転がるように、人混みへと消えていった。


「日付ひとつで、嘘を見破るのか」ライルは、舌を巻いた。「あんた、本当に、隙がないな」「嘘は、たいてい、どこかで、つじつまが合わなくなります」エルナは、淡々と言った。「勇者様の旅程は、すべて、頭に入っております。どこに、いつ、おられたか。それと照らせば、嘘は、自分から、ほころびを見せるのです。剣で斬るまでも、ございません」


 果たして、最後まで広場に残ったのは、たった一人だった。年老いた、小柄な女。手には、一杯の水。彼女は、おずおずと、前に進み出た。


「あの……勇者様。覚えて、いらっしゃらないかも、しれませんが」女は、震える声で言った。「三か月前、この町を、足早に通り抜けていかれたとき。ひどく、喉が渇いた様子で。わたしが、井戸の水を、一杯、差し上げました。お代は、いただいておりません。ですから、領収書なんて、めっそうもない。ただ……あのとき、勇者様が『うまい、生き返った』と、笑ってくださったのが、嬉しくて。それだけ、お伝えしたくて」


 ライルの記憶が、ふと、よみがえった。そうだ。確かに、あった。魔王城を急ぐ道すがら、灼けつくような喉の渇きに、この町で、見知らぬ老婆が、井戸の水を、そっと差し出してくれた。あの一杯の、冷たく、甘かったこと。「……覚えてるよ」ライルは、静かに言った。「あの水は、本当に、うまかった。生き返った。ありがとう、ばあちゃん」


 老婆は、くしゃりと、顔をほころばせた。お代も求めず、証明も求めず、ただ、覚えていてほしかった。それだけのために、この熱狂の中、最後まで、たった一人で、待っていたのだ。エルナは、そのやりとりを、静かに見ていた。そして、ぽつりと言った。「……本物は、いつも、いちばん、静かなのですね」


 この町では、結局、再発行する領収書は、一枚もなかった。買い物などしていないのだから、当然だった。だが、ライルの鞄には、紙の代わりに、もっと確かなものが、ひとつ、加わった。あの一杯の水の記憶と、それを差し出した、名もなき優しさ。台帳には、決して載らない。だが、決して、忘れてはいけないもの。


「行きましょうか」エルナが、促した。町を出るとき、ライルは、ふと振り返った。『勇者御用達』の看板の群れが、午後の日差しに、にぎやかに並んでいる。「あの看板、放っておいていいのか? 嘘の宣伝だぞ」と尋ねると、エルナは、めずらしく、小さく笑った。「あれくらいは、町の元気の、しるしです。魔王の影におびえていた町が、勇者様を口実に、こんなに明るく笑っている。――嘘も、ときには、人を元気にいたします。罪に問うほどの、ことでは、ございません」その言葉に、ライルも、つられて笑った。世界で一番地味な冒険は、こうして、また一つ、人の営みのおかしさと、温かさを、見届けていくのだった。


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