第11話 「なぜ」を突き詰めた勇者、領収書を取り戻すしかないと気づく
フェルゼンの宿題は、思っていたより、ずっと厄介だった。
「なぜ、期限を守れなかったのか。その『なぜ』を、とことん突き詰めろ」――言葉にすれば簡単だが、いざ向き合うと、これがまるで底なしの井戸だった。財務課の片すみを借りて、ライルは羊皮紙に、自分の「なぜ」を書き出していった。エルナが、その横で、静かに付き合ってくれている。
「まず――期限を過ぎた。なぜか。出張所で延長の届けを出さなかったからだ」ライルは羊皮紙に書きつけた。「じゃあ、なぜ出さなかった。出張所の場所を、知らなかったからだ」
「では、なぜ知らなかったのですか」エルナが、フェルゼンの代わりのように問う。
「しおりを、なくしたからだ。あの『勇者様のしおり』に、出張所の場所が書いてあった。でも、セリカが吹雪の夜に焚き火にした」
「では、なぜ、しおりを焚き火にするしかなかったのですか」
「……吹雪で、乾いた紙が、ほかになかったからだ。あのまま火をおこせなければ、全員凍え死んでた」ライルは、ペンを止めた。「待てよ。じゃあ、なぜ、しおりしか乾いた紙がなかった? 旅の装備に、火口の替えが入ってなかったからだ。なぜ入ってなかった? ――出発のとき、装備を揃えたのが、慌ただしすぎたからだ」
「なぜ、慌ただしかったのですか」
「魔王の進軍が、思ったより早くて、出発を前倒しにされたからだ。王様が『一日でも早く発て』と」ライルの手が、だんだん速くなっていった。一つの「なぜ」が、また次の「なぜ」を呼ぶ。気づけば、羊皮紙は「なぜ」の連なりで埋まっていた。そして、その鎖をたどっていくと――最後にたどり着いたのは、ライル一人の落ち度では、とても片づけられない場所だった。
「……これ、俺だけのせいじゃないぞ」ライルは、書き上げた羊皮紙を見て、つぶやいた。「魔王の進軍が早かった。だから出発が前倒しになった。だから装備が不十分だった。だから吹雪でしおりを燃やすしかなかった。だから出張所がわからなかった。だから期限を過ぎた。――全部、つながってる。そもそもの始まりは、世界が危機だったこと、なんだ」
「フェルゼン課長が、見たかったのは、これかもしれません」エルナが、静かに言った。「『忘れていた』の、ひと言の裏に、これだけの鎖がある。あなた一人の不注意ではなく、世界の危機そのものが、あなたから期限を守る余裕を奪った。――それを、書類で示せ、と」
ライルは、希望を感じた。これなら、特例の理由になるかもしれない。だが、エルナの表情は、晴れなかった。彼女は、しばらく羊皮紙を見つめてから、慎重に口を開いた。
「ですが……ライル様。これで期限の問題が認められたとしても、もうひとつ、根本の問題が残ります」
「根本の問題?」
「領収書が、一枚もない、ということです」エルナの声は、静かだった。「特例で期限が認められても、立替を証明する領収書がなければ、経費は、結局おりません。十七枚の様式は、あくまで『こう使った』という申告。それを裏づける領収書がなければ、いくら期限を許されても、お金は一銭も戻らないのです」
財務課の片すみに、重い沈黙が落ちた。ライルは、ようやく、自分がぶつかっている壁の、本当の大きさに気づいた。期限の問題は、入り口にすぎなかった。その奥には、もっと大きな壁――「領収書がない」という、どうにもならない事実が、ずっと立ちはだかっていたのだ。
「……じゃあ、どうすればいいんだ」ライルは、絞り出すように言った。「領収書は、もうない。なくしたんだ。今さら、どこからも出てこない」
「出てこないなら――」エルナは、ゆっくりと顔を上げた。その目に、いつもとは違う、何か覚悟のような光があった。「作り直してもらう、しかありません」
「作り直す?」
「再発行です」エルナは言った。「領収書をなくしたとき、正しい手は、ひとつ。支払った相手のところへ行き、もう一度、領収書を書いてもらう。馬車屋に。宿に。薬屋に。一軒ずつ、訪ね歩いて。――『再発行』を、お願いするのです」
ライルは、息をのんだ。馬車屋。宿。薬屋。――それは、三か月の旅で、彼らが立ち寄ったすべての場所だ。出発の村から、関所、宿場町、霧の谷、火竜の里、そして魔王城のふもとまで。その一軒一軒を、もう一度、たどり直すということ。
エルナは、一枚の古びた地図を、机に広げた。王都を起点に、東へ、東へと延びる一本の道。その線は、いくつもの村と町を貫き、霧の谷を越え、火竜の里をかすめ、最後に、世界の果ての魔王城へとたどり着いていた。彼女は、ライルたちの十七枚の様式と、その地図とを、丹念に照らし合わせていった。そして、領収書が必要な場所――支払いが発生したすべての地点に、小さな赤い印を、ひとつずつ打っていった。
「はやて亭。出発の村の馬車屋。ここで馬車賃」エルナの指が、地図の上を東へ進む。「峠の関所。通行料。次の宿場町、三軒の宿。薬屋が二軒。武具の修繕をした鍛冶屋。霧の谷の手前、亡者よけのお守りを買った露店。火竜の里、回復薬の店。そして――魔王城のふもと、『黒霧の宿』」彼女が印を打ち終えると、地図の上には、十数個の赤い点が、点々と東へ連なっていた。「この、すべて。一軒残らず訪ねて、領収書を再発行してもらう。それが、再発行の旅でございます」
ライルは、その地図を、まじまじと見つめた。赤い点の連なりは、まるで、自分たちが流してきた血と汗の跡のように見えた。一つひとつの点に、思い出があった。あの関所では門番と一悶着あった。あの宿では、はじめて全員で笑い合えた。あの里で、セリカが熱を出して、三日間足止めされた。――三か月の旅は、こうして地図の上に並べてみると、ただの「経費の発生地点」では、決してなかった。
「ひとつ、確認したいことが」ライルは尋ねた。「その店が、もう、なかったら? 潰れてたり、人がいなくなってたりしたら、どうなる」
「その場合は、再発行は、受けられません」エルナは正直に答えた。「魔王の被害で、すでに消えてしまった店も、あるでしょう。『黒霧の宿』も、無事とは限りません。――ですが、行ってみなければ、わかりません。一軒でも多く、領収書を取り戻す。それしか、道はないのです」
「それって……つまり」ライルの声が、かすれた。「もう一度、あの旅を、最初から?」
「はい」エルナは、はっきりとうなずいた。「魔王城まで。今度は、魔物を倒すためではなく、領収書を、再発行してもらうために」
クロウが「冗談だろ」とうめき、セリカが「あの道を、また?」と顔をしかめ、ミラが「神よ」と天を仰いだ。三か月かけて、命がけで踏破した道だ。それを、もう一度。しかも今度の目的は、世界の平和ではなく、紙きれ一枚。誰が聞いても、間の抜けた話だった。
だが、ライルは、不思議と、笑っていた。
「……いいじゃないか」彼は、立ち上がった。「魔王を倒す旅は、もう終わった。だったら今度は、もっと地味で、もっとまっとうな旅だ。世界を救ったあと始末を、自分の足で、つけにいく。――悪くない。やってやろう」
その目には、魔王城の門をくぐったときと、同じ光が宿っていた。仲間たちも、顔を見合わせ、やがて、あきらめたように、けれどどこか楽しげに、笑いはじめた。世界で一番地味な冒険。世界で一番まっとうな冒険。勇者一行の、二度目の旅は、こうして、財務課の片すみで、静かに幕を開けたのだった。




