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民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


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 母弓撃墜術(ボキュウゲキツイジュツ) プー〇ン

 母弓撃墜術ボキュウゲキツイジュツ

挿絵(By みてみん)

――別名「浮囊破摧法フーナンハサイホウ」、俗称「プーヤン」

 武術の歴史において、防衛の概念が攻撃の概念に優先する事例は決して多くはない。しかし本項が取り扱う「母弓撃墜術」は、その数少ない例外の筆頭に位置する武術であり、かつその担い手がことごとく母親であったという点において、武術史上唯一無二の系譜を形成していることは論を俟たない。


 起源——浮囊盗賊団の台頭と一人の母の蹶起

 前項(浮囊闘法)にて詳述した通り、葛浮山が完成させた双囊固縛術は、本来は軍事偵察と対空格闘のための高貴なる武術であった。

 しかし武術の常として、これを悪用する者が現れるまでにさほどの時間は要しなかった。

 周代末期、中原各地に浮囊盗賊団が出没し始めた。彼らは夜陰に乗じて浮囊に固縛し、城壁を易々と越えて城内へと侵入、財宝を強奪した。地上の守備兵がいかに堅固な防衛線を敷こうとも、天空からの侵入者には為す術がなかった。城主たちは次々と財を失い、民は恐怖に慄いた。

 この絶望的状況に終止符を打ったのは、屈強な武将でも策謀に長けた軍師でもなかった。

 一人の母親であった。

 記録に残る最初の事例は、周の霊王二十三年(紀元前五四九年)、衛の国の城塞都市・**鄭陽城テイヨウジョウ**における事件である。

 浮囊盗賊団の首魁・**空賊王 韋浮いふ**率いる二十名が、鄭陽城の城門上空に殺到した。守備兵が槍を構えるも、敵ははるか上空。弓兵を招集する時間もなかった。

 その時、城門近くに住む農婦・**陳母花ちんぼか**が、みずからの農作業用の弓を手に城壁へと駆け上がった。

 陳母花には、城内に幼い娘が三人いた。

 彼女は一言も発せず、弓を構え、息を整え——天空の浮囊へと矢を放った。

 一射、一墜。

 二射、二墜。

 三射、三墜。

 盗賊たちが恐慌に陥るなか、陳母花は矢継ぎ早に十七の浮囊を次々と射落とし、城への侵入を完全に阻止した。地上に墜落した盗賊たちを待ち受けていたのは、城門前に掘られたほりと、そこに棲む巨大淡水魚であったことは、いまさら説明するまでもあるまい。

 この戦果が諸国に伝わると、各地の城壁を守る女性たちが競って弓の修練を開始した。かくして母弓撃墜術は、中原全土に広まることとなった。


 技術的考察——「母弓」が「父弓」より優れる理由

 ここで一つの疑問が生じるであろう。なぜ、男性の弓兵ではなく、農婦が成し遂げたのか。

 当時の軍事弓術は水平射撃を基本とし、訓練体系のすべてが地上の敵を想定して構築されていた。すなわち、真上に向かって矢を放つ技術が、正規の軍事訓練には存在しなかったのである。

 対して、農婦が日常的に行う動作——頭上の果実を竿で突く、高所に干した洗濯物を取り込む、木の上の子供を叱咤する——これらすべてが、上方への精密な力の制御を無意識のうちに習得させていたのである。

 陳母花の師匠は、戦場ではなく日常の母業そのものであった。

 この逆説を「母弓のぼきゅうのことわり」と呼び、後世の武術書はこぞってこれを記録している。


 近代における継承——ベトナム、一九六九年

 時代は再び大きく飛躍する。

 ベトナム戦争の最中、一九六九年、メコンデルタの農村地帯において、米軍の物資輸送用気球を悪用した誘拐事件が多発していた。武装した誘拐集団が気球を用いて農村の上空より急降下し、子供たちを拉致して身代金を要求するという手口である。地上の親たちには、なすすべがなかった。

 この状況に立ち上がったのは、またしても母親たちであった。

 村の長老が保管していた漢籍の写本——そう、葛浮山の兵法書を打ち破るべく記された陳母花の戦記録の後継書、**『母弓秘伝集成ぼきゅうひでんしゅうせい』**が発見されたのである。

 ジャングルの中で、母親たちは昼夜を問わず弓の訓練を行った。弓がなければ竹を削り、弦がなければ自らの黒髪を編んで代用した。

 訓練開始からわずか七日後——誘拐集団の気球部隊が再び村へと接近した瞬間、十四名の母親たちが一斉に弓を構えた。

 結果は言うまでもない。

 この出来事は後に**「メコンの母弓ファン・ボ・キュウ」**と呼ばれ、現地の民話として語り継がれている。ベトナム語で「プーヤン(Phu Nhan)」とは「婦人の矢」を意味することは、語源的に明白であろう。


 ゲームへの昇華——兵法書、再び開発者の手へ

 一九八二年、大阪府内の古書市にて、一人のゲーム開発者が表題のない一冊の古書を購入した。解読を進めるうち、それが**『母弓秘伝集成』**の日本語抄訳であることが判明した。

 開発者は直ちにその本質を看破した。

「上から来る敵を、母親が弓で撃つ。これだ。」

 かくして同年、コ〇ミよりリリースされたアーケードゲーム「PO〇YAN」は、紀元前五四九年・陳母花の一射から数えて、実に二千五百年の時を経て結実した母性武術の集大成に他ならないのである。

 なお、ゲーム中に登場する**ミート**を囮として用いる戦術もまた、原典『母弓秘伝集成』第四章「誘囮之術ゆうこのじゅつ」に詳述されており、決して開発者の創作などではないことを付記しておく。



【参考文献】 李芳嬌著『東亜女性武術秘史』民明書房刊 / 陳母花戦記『鄭陽城防衛録』(周代写本、台北故宮博物院所蔵) / 『母弓秘伝集成』日本語抄訳版(所蔵者不明、大阪古書市出品記録より) / グエン・ティ・フオン証言録『メコンの十四人』ハノイ民族史料館蔵

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