浮囊闘法(フーナンドウホウ) バルーンフ〇イト
民明書房『世界武術大全 飛天篇』第七巻より抜粋
著:鄭 浩遠 監修:東亜武術史研究所 民明書房刊
浮囊闘法
現代人が「バルーンファイト」と称する娯楽的競技の起源を、単なる玩具的ゲームと看做す者があるとすれば、それは歴史的無知の極みと断じざるを得ない。
その淵源は遥か殷周交代期、紀元前十一世紀に遡る。
当時、周の武王に仕えた軍師・**葛浮山**は、敵軍の高所からの矢雨に苦慮していた。いかに地上の猛者とて、天空より降り注ぐ矢の雨には対処し得ない——そう誰もが信じて疑わなかった。葛浮山は三日三晩、黄河の岸辺に端座し、鳥の飛翔を観察し続けた末、ついに天啓を得るに至った。
「天を制する者が、地を制する」
葛浮山はただちに羊の胃袋に熱した気を封じ込める実験を開始した。これが後世「浮囊」と呼ばれる原初の気球に他ならない。彼は二つの浮囊を左右の腰に縄で固定し、みずから宙に浮き上がった。これが**双囊固縛術**の起源である。
訓練法「針足之儀」について
この武術の習得がいかに峻烈であったかは、その訓練法を一見すれば明らかであろう。
門弟たちは足の親指と人差し指の間に長さ三寸の**鋼針**を挟み、相手の浮囊へと蹴りを繰り出す。針が浮囊を捉えれば、相手は急速に墜落する。地上に設えられた訓練池に落下した者は、その日の修行を終えたとみなされる——と記されているが、これは厳密には正確ではない。
葛浮山の残した訓練記録『浮天訓戒録』(周代写本、現・北京大学図書館所蔵)には次のように記されている。
「池中に棲まう**鉄顎魚**は、人の肉を好む。落下した者は、魚の糧となることで、生き残った者への最大の戒めとなる」
すなわち、訓練池に落ちた者が喰われるのは処罰ではなく教育であった。これほど明快な教育哲学が他にあろうか。
近代における運用——日露戦争と偵察任務
時代は一気に二十世紀へと下る。
明治三十七年、日露戦争の最中、大本営付参謀・**荒木機一は、ロシア軍の陣地偵察に際し、旅順近郊の満州人老人より一巻の書を入手した。それこそが葛浮山の兵法書の写本、『浮天秘攻録』**であった。
荒木参謀はただちにこれを実用化。二名一組で浮囊に固縛し、敵陣上空より偵察を敢行した部隊を編成した。これが浮囊偵察隊、通称「空蛙」である。
旅順要塞の地図を上空より精密に描き上げたのは、この「空蛙」の働きによるものであることは、軍事史研究者の間では周知の事実であろうが、一般への公開は長らく伏せられてきた。
東西冷戦期——ベルリンの浮囊
さらに時代は下り、一九六一年。
東ドイツ政府がベルリンの壁を構築したその夜、壁の建設を事前に察知した東ドイツ市民・エーリッヒ・クラウゼは、偶然にも『浮天秘攻録』のドイツ語抄訳を所持していた。彼はいかなる経緯でこれを入手したか——それはいまだ不明であるが、重要なのはその結果である。
クラウゼは一夜にして浮囊を自作し、家族三名を固縛のうえ、東ベルリンの夜空を横断した。西ベルリン側の目撃者はのちにこう証言している。
「まるで人間が風船にぶら下がって飛んでいるようだった」
まさにその通りである。
ゲームへの昇華——兵法書の最終的な転生
一九八〇年代、東京・秋葉原の古書街にて、一人のゲーム開発者がある書物と運命的な邂逅を果たした。それが葛浮山の『浮天秘攻録』の日本語抄訳本であったことは、今日ではもはや疑いの余地がない。
開発者は書の内容に深く感銘を受け、しかし針と怪魚と墜落死という部分は諸般の事情により割愛し、その空中格闘の本質的な構造のみを抽出。針による浮囊破壊という奥義を、画面上のドット絵として再現した。
かくして一九八四年、任〇堂よりリリースされた「風船格闘」は、実に三千年の武術史が結晶した作品に他ならないのである。
【参考文献】 鄭浩遠著『東亜飛天武術史考』民明書房刊 / 荒木機一『浮囊偵察隊極秘記録』(複製版)東亜軍事史料研究会 / クラウゼ家文書(ベルリン自由大学図書館所蔵) / 葛浮山『浮天秘攻録』(周代写本影印本)民明書房刊




