冠を求めた娘たち——ソロモンの問い
冠を求めた娘たち——ソロモンの問い
古代イスラエルにおいて、賢者とは知恵を持つ者ではなく、知恵をどこに隠すかを知る者である。この真理を最も鮮やかに示した故事が、今日まで語られることなく歴史の帷の奥に眠り続けてきた。
第一章 暗殺者の夜
ソロモン王の賢明さは、近隣諸国に知れ渡っていた。
しかしその賢明さゆえに、彼は恐れられた。
ある夜、王宮を出たソロモンは、敵国の放った暗殺者に気づいた。路地を走り、角を曲がり——気づけば王は、エルサレムの裏街にある**「歓楽の館」**の扉の前に立っていた。
王は躊躇せず扉を開けた。
まさか賢者がそのような場所に逃げ込むとは、暗殺者も思うまい。
これもまた、知恵である。
娘たちは突然現れた見知らぬ男を匿い、夜が明けるまで客のふりをさせ、暗殺者の目を欺いた。
第二章 ソロモンの問い
夜明け、難を逃れたソロモンは娘たちに言った。
「命を救われた。望むものを何でも与えよう」
娘たちは顔を見合わせた。
やがて議論が始まった。
最初の娘たちは言った。
「王と同じ金の冠を頂きたい。この街で一番美しく輝きたい」
次の娘たちは言った。
「館にネズミが出て困っています。猫を一匹頂けますか」
最後の一人は黙っていた。
ソロモンが促すと、静かに言った。
「何もいりません。ただ——これからも時々、ここに来て、私たちに会いに来てください」
ソロモンはしばらく三者を見比べた後、それぞれの願いを聞き届けた。
第三章 三つの末路
金の冠を求めた娘たち
翌日から、娘たちは金の冠をつけて街を歩いた。美しく輝いた。人々の目を引いた。
しかし輝きは、善意の目だけを引くわけではない。
三日後、盗賊が館を襲った。金の冠は奪われた。抵抗した娘は傷を負った。館は荒らされた。
目立つ富は、標的である。
雀が金の冠をつけて空を飛べば、鷹に狙われる。それだけのことであった。
猫を求めた娘たち
猫は館に放たれた。ネズミを捕った。
客が増えた。清潔な館に人が集まった。猫は子を産み、近所の商人に売れた。まあまあな暮らしが続いた。
実利を選んだ者は、実利を得た。
それだけのことであった。
何も求めなかった娘
ソロモンは約束通り、幾度も館を訪れた。
しかし彼が娘に与えたのは、金でも宝石でもなかった。
言葉であった。
正義と不正義の見分け方。人の心の動かし方。沈黙すべき時と語るべき時。商人の嘘の見破り方。貴族の虚栄の読み方。
娘は聞いた。考えた。問い返した。
やがて娘の評判は街に広まった。
「あの館の娘は、話が深い」と。
裕福な商人が訪れた。賢い貴族が通った。彼らは娘の知恵に魅了された。娘は彼らの相談に乗り、助言を与え、信頼を得た。
金の冠を持つ者より多くの富を誰にも狙われることなく、
静かに、しかも確実に手に入れた。
第四章 ソロモンが後に語ったこと
この話を後に問われたソロモンは、こう答えたとされる。
「三人の娘が私に問いを出した。
金の冠を求めた娘は、富とは何かを問うた。
猫を求めた娘は、実利とは何かを問うた。
何も求めなかった娘は、知恵とは何かを問うた。
私が答えを持っていたのは、最後の問いだけだった」
終章 知恵という冠
金の冠は奪われる。
猫は年老いて死ぬ。
しかし知恵だけは、奪われない。
年老いても死なない。
与えても減らない。
むしろ与えるたびに増える。
ソロモンが「望むものを何でも与えよう」と言った時、最も賢い答えは**「あなたと話す時間をください」**であった。
それを知っていた娘が、最も多くを得た。
エルサレムの裏街に、今も同じ問いが眠っている。
富を求めるか。実利を求めるか。知恵を求めるか。
古記に違わず。人の選択もまた、違わず。
『ソロモン賢王秘話考 附・歓楽の館と知恵の三択』
桂川武史・ヨナタン・レヴィ 共著 民明書房刊 二〇〇七年
※本書の執筆にあたり、エルサレム旧市街の路地を実地調査した。調査中、著者の財布が何者かに抜き取られたことを付記する。金の冠を持っていなかったにもかかわらず。




