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民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


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鼠の知恵(ネズミのちえ)

鼠の知恵ネズミのちえ

挿絵(By みてみん)

 「ネズミの知恵」——この言葉を、小賢しい小細工の意と解する者は、言葉の来歴を一層も掘り下げたことのない者である。この言葉の真意は、適正なる危険を取る勇気と、知の有無が生死を分けるという、古代より変わらぬ真理に他ならない。


第一章 メソポタミアの五匹

 はるか古代、チグリス・ユーフラテスの沃野に、五匹のネズミがいた。

 飢えていた。倉庫の麦が見えていた。しかし猫が守っていた。

 五匹はそれぞれ、異なる選択をした。


一匹目——動かぬネズミ

 怖れて一歩も動かなかった。

 安全のうちに、餓死した。


二匹目——知らぬものに手を出したネズミ

 少しだけ取ろうとした。しかし倉庫の奥に見たことのない色の実があった。匂いも違った。しかし量が多く、見た目も立派だった。

 知らぬものに手を出した。

 それは毒餌であった。

 翌朝、このネズミは冷たくなっていた。後世、この毒餌の製法が改良され、石見銀山で精製された砒素を用いたネズミ取りとして広まったことは、歴史の皮肉と言う他ない。知らぬものへの好奇心が、同族の罠を生んだのである。


三匹目——知るものだけを取ったネズミ

 少しだけ取った。しかしよく知っている麦だけを取った。

 倉庫の奥の見慣れぬ実には、触れなかった。

 猫に気づかれぬ量を素早く取り、素早く逃げた。

 生き延びた。


四匹目——欲張ったネズミ

 目いっぱい取ろうとした。

 猫に捕まり、食われた。


 この四匹の結末を、物陰から静かに観察していた者がいた。

 五匹目のネズミである。


第二章 五匹目の選択——観察と忍耐

 五匹目は動かなかった。しかし一匹目とは根本的に異なっていた。

 待っていたのである。

 猫が守っている間は動かない。それは怖れではなく、計算であった。

 そして観察した。

 四匹の末路から、五匹目が学んだことは明快であった。

動かぬことは死である

知らぬものには触れるな

欲に任せれば食われる

しかし——機会は必ず来る

 五匹目はひたすら、倉庫を見続けた。


第三章 猫の代替わり——優良倉庫の出現

 長年倉庫を守っていた猫が老い、代替わりした。

 新しい猫はペルシャ猫であった。

 丸く、おっとりとして、ネズミを追うより日向で眠ることを好んだ。警戒は緩く、倉庫の守りは甘くなった。

 しかし五匹目は即座に動かなかった。



「猫が変わっただけでは動かぬ。倉庫の中身が本物かどうか、まず確かめよ」



 じっくりと観察した。

 倉庫の麦は、良質であった。量も十分あった。腐敗もなかった。

 優良な倉庫が、緩い守りで現れた。

 その時初めて、五匹目は動いた。

 よく知っている麦だけを選びながら——しかし今回は機会の大きさに見合った量を、大いに取った。

 そして多くの食料を得て、多くの子孫を残した。


第四章 タルムードへの収録

 この話がメソポタミアからイスラエルの地に伝わり、ユダヤの知恵の集積であるタルムードに収められたことは、ユダヤ商人文化の本質を理解する上で重要である。

 タルムードにおけるこの教えは**「適正危険の五則」**として記録され、代々のラビたちに講じられてきた。

一 動かぬリスクを恐れよ

二 知らぬものには手を出すな

三 適正な量を適正な時に取れ

四 欲に飲まれるな

五 優良なものが割安になった時

  初めて大きく動け

 猫を恐れて動かぬ者は、安全のうちに餓死する。

 知らぬものに手を出す者は、無知のうちに毒を食らう。

 欲に任せて取りすぎる者は、強欲のうちに食われる。

 しかし本質的な価値を見極め、機会が来た時に大きく動く者だけが、次の世代を残せる。


終章 投資の神様の耳に入るまで

 二十世紀、この教えがある人物の耳に入った。

 ユダヤ系の知人から食事の席でこの話を聞いた**「投資の神様」**と後世呼ばれることになる人物は、しばらく沈黙した後、静かに言ったとされる。



「それは私が五十年かけて学んだことと、全く同じだ」



 彼の投資哲学は、五匹目のネズミそのものである。

知らない業種には手を出さない

→ 二匹目の教訓


猫が変わっただけでは動かない

本質的な価値を先に確かめる

→ 五匹目の慎重さ


優良な企業が何らかの理由で

割安になった時——

ペルシャ猫が守る優良倉庫——

初めて大きく動く

→ 五匹目の決断

 ITバブルの絶頂期、彼はIT株を買わなかった。「理解できないから」という理由で。周囲に嘲笑された。しかしバブル崩壊後、彼だけが無傷だった。

 二匹目のネズミの末路を、知っていたからである。

 そして優良企業が市場の混乱で割安になった瞬間——ペルシャ猫が守る良質な倉庫が現れた時——彼は躊躇なく大きく動いた。

 五匹目のネズミの知恵を、実践したからである。


 メソポタミアの倉庫は、形を変えて今も存在している。

 猫も、今も守っている。

 いつかペルシャ猫に代替わりする日が、また来る。

 その時に五匹目でいられるかどうかは——

 今、何を知っているかによる。



 『鼠知恵東西考 附・タルムード適正危険論と近代投資哲学の接続』

 桂川武史・ヨナタン・レヴィ 共著 民明書房刊 二〇〇六年

 ※石見銀山のヒ素を用いたネズミ取りは史実として記録されている。投資の神様はこの逸話についてコメントを差し控えている。

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