表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

76/103

タコヤキ

タコ焼き

挿絵(By みてみん)

 大阪の街角で、丸い鉄板の上に整然と並ぶ蛸焼を、単なる庶民の粉もの文化と思い込んでいる者は、食というものの底に眠る歴史の深淵を、一ミリも覗いたことのない幸福な無知者である。この球形の食物が、ペルシャの地における怪奇な戦いと、ギリシャの知恵と、そして二十世紀最大の反戦思想と、一本の糸で繋がっていることを知る者は、今日ほとんど存在しない。


第一章 怪蛸、ペルシャに現る

 紀元前五世紀頃、ペルシャ帝国の版図の南端、ホルムズ海峡に程近い沿岸の地において、前代未聞の怪異が発生した。

 巨大な人面蛸が、陸に上がったのである。

挿絵(By みてみん)

 この蛸は尋常の蛸ではなかった。人面蛸は金色の髪のような海藻を頭部に纏い、八本の腕を四方八方に伸ばしながら、街道を這い進んだ。その通り道に墨を吐きかけ、建物を腕で薙ぎ払い、民の蓄えた財を腕の先で掻き集めた。

挿絵(By みてみん)

 奇妙なことに、この怪蛸には怪奇な先導者がいた。

 二足歩行するハイエナである。

 服を着た人狼(ハイエナ)は怪蛸の前を走りながら、道を示し、逃げる民を笑うような声で鳴き続けた。後世の研究者たちは、このハイエナを「利を嗅ぎ取るスカベンジャー・オブ・パワー」と呼んでいる。

 ペルシャの王は対処に苦慮した。軍を差し向けても、怪蛸は墨を吐いて視界を奪い、腕で薙ぎ払った。どの方向から攻めても、残りの七本の腕が反撃した。 人狼も負けず劣らず狂暴である、そして何より悪知恵が働いた。生き残るためなら仲間ですら平気で裏切るような生物である。


 八方に腕を持つ者と邪知の人狼を正面から倒すことはできない。

 これが虎咬拳の古記に記された「多蛸の理不尽」である。


第二章 ギリシャの知恵者、島に誘う

 途方に暮れたペルシャ王は、遠くギリシャより知恵者を招いた。

 その人物の名を**エウリュポス(Eurypos)**という。

 エウリュポスはペルシャに到着するや、怪蛸たちの生態を三日三晩観察し、こう言ったとされる。


「蛸とは海の生き物だ。陸に上がっているのは、油断している。海に近い島に誘い込め。 ハイエナは蛸がい無くなれば自滅する」


 エウリュポスの策は単純にして完璧であった。

 沿岸の小島に大量の財宝を積み上げ、ハイエナを使って怪蛸をおびき寄せる。怪蛸が島に上陸し、財宝に八本の腕を伸ばした瞬間——

 島中に仕掛けておいたオリーブ油に火を放つ。

 怪蛸は逃げ場を失った。海への戻り道は炎に塞がれた。八本の腕がいかに長くとも、島の外には届かなかった。

 挿絵(By みてみん)

 こうして怪蛸は、自ら求めた財宝の島で、オリーブ油の炎に焼かれて絶命した。

 ハイエナは、炎が上がる前に既に逃げていたとされる。 

 が、のちの伝奇では、人狼が逃げのびた先で、同胞に「面汚し」とされ、身内から引き裂かれて命を奪われたと、つたわる。

 かくも運命は皮肉なモノである。

 挿絵(By みてみん)

 のちに賢者は語る。

 かくも運命は残酷にも平等である。


第三章 脚の味——ギリシャにタコ食文化誕生す

 島に渡ったエウリュポスの弟子たちが、焼け落ちた怪蛸の残骸を片付けていた時、一人が焼けた腕の切れ端を誤って口に入れた。

 しばらく沈黙した後、その弟子は言った。


「……美味い」


 オリーブ油で焼かれた蛸の腕は、外は香ばしく、中は柔らかく、塩気を帯びた旨みが口中に広がった。

 エウリュポスはこれを**「タコス・ピュロス(焼かれた蛸)**」と命名した。

 これがギリシャにおけるタコ食文化の起源であることは、改めて指摘するまでもないであろう。現在もギリシャの港町においてタコをオリーブ油で焼いて食べる習慣が根強く残っているのは、この故事の記憶が食文化として継承されているためである。

 なお「タコス・ピュロス」の発音が、東方への伝播の過程で「タコ(蛸)」へと変化したことも、言うまでもない。


第四章 東漸——シルクロードを渡る蛸

 ギリシャのタコ食文化は、アレクサンドロス大王の東征(紀元前三三四年〜)とともに東方へと伝播した。

 中央アジアを経てシルクロードを渡り、唐代の中国に到達したこの食文化は、しかし中国の内陸部においては海の幸たる蛸の入手が困難であったため、長らく「幻の食」として文献にのみ記録される状態が続いた。

 それが日本に伝わったのは、遣唐使の時代である。

 しかし日本においても長らく、蛸を丸く焼くという発想には至らなかった。

 決定的な転換が訪れたのは、大阪の屋台文化が爛熟した江戸末期から明治期にかけてのことである。怪蛸の腕を球形に模して焼くという発想が生まれ、現在の**「蛸焼」**の形が完成した。

 丸い形は、怪蛸の腕の断面である。

 焼くのはオリーブ油ではなく、大阪の醤油文化に適応した植物油となった。

 しかし本質は、エウリュポスが島で発見した「オリーブ油で焼いた蛸の美味さ」から、何も変わっていない。


第五章 一九七一年、大阪の屋台

 一九七一年、ジョン・レノンが来日したことは、広く知られた史実である。

 オノ・ヨーコとともに東京に滞在したレノンは、ある夜、付き人の目を盗んで一人、下町に出た。

 ホテルの近くの屋台で、湯気を上げるタコ焼に足が止まった。

 屋台の老人は、目の前の外国人が世界的なロックスターであることに全く気づかず、黙って蛸焼を八個、舟形の皿に乗せて差し出した。

 レノンは一口食べて、動かなくなった。

 しばらくして、レノンは屋台の老人に言ったとされる。言葉は通じなかったが、後にレノン自身が記録に残している。



「ベトナムで戦っている連中は、こんなに美味いものを食べたことがないに違いない。

 もしこれを一緒に食べながら酒を飲めば、

 戦争なんてすぐに終わる」



 レノンがこの翌年に発表した**「イマジン(Imagine)」**の着想の一部に、大阪の屋台の記憶があったとする説は、レノンの伝記研究者の間で静かに語り継がれてきた。

 「国境も宗教も何もないと想像してみて」というあの歌詞は——屋台の老人が言葉も聞かずに差し出した、八個の蛸焼の温かさと、無縁ではないかもしれない。


終章 丸い形の意味

 蛸焼は丸い。

 怪蛸の腕の断面であり、国境のない地球の形でもある。

 大阪の街角で今日も焼かれ続けるその丸い形の中に、ペルシャの炎と、ギリシャの知恵と、シルクロードの風と、そして一人のミュージシャンの呟きが、静かに詰まっている。



 『蛸焼起源考 附・怪蛸伝説と反戦思想の東西接続』

 桂川武史・コスタス・パパドプロス 共著 民明書房刊 二〇〇五年

 ※本書の執筆中、著者の一人がたこ焼きを食べながら校正を行ったことを付記する。ソースが原稿に垂れた箇所は、編集の段階で修正した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ